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「親は子どもを愛するもの」が苦しい人たち~児童虐待防止推進月間に伝えたいこと④~

傷を負った子どもたちを否定し、頑張って子育てしようとしている親を追い詰めてしまう言葉があります。

被虐待児を否定する言葉

「親は子どもを愛するもの。だからきっとあなたも愛されていたはず。」
…こういった言葉は、一見美しく聞こえるかもしれませんが、機能不全家族で育った多くの子どもたちや、かつて子どもだった私のような人間にとってはとても残酷で心を苦しめる呪いの言葉です。

私も、何度もこのような言葉をかけられ、その度に心が凍って無になる感覚を経験しました。悪気なんてなく励まそうとして言ってくれてるんだろうなと思うし、その場で何か反論する心の余裕もないので、「そうですね。うん…!ありがとうございます。」と、これ以上話が続かないようにとりあえず同意して、にこにこ笑ってやり過ごしていました。

虐待を受けていた子が保護されたりして、安全な場所で過ごせるようになったとしても、そこで苦しみが終わるわけではなく、子どもの頃の虐待というものは、心に大きな傷を残します。

トラウマが残ったり、孤独を感じたり、自尊心が著しく低かったり。自分自身でも戸惑いながら生きづらさを抱え生きています。
そんな中かけられる「親は子どもを愛するもの」という言葉は、自分自身を否定されているようで、苦しくてたまらなくなるのです。

もしこの記事を読んでくれている方で、困難な状況を生きた子どもに声をかける機会があるとするならば、「辛かったね」「頑張ってるね」など、傷ついた子どもの立場に寄り添った言葉をかけてあげてほしいなって思います。

ママコノシリヌグリ(継子の尻拭い)
葉や茎にある棘で憎き継子のお尻を拭いた
…という言い伝えから名前がついた。
でも、花言葉は「変わらぬ愛」だという。
どうしてそんな言葉が選ばれたのだろう。
花が咲いたら(大人になったら)、
「変わらぬ愛」と出会えますように。
…という願いを勝手に込めておきたいと思う。

親を追い詰める言葉

この「親は子どもを愛するもの」という言葉、時に親を苦しめてしまう言葉でもあるんじゃないかな、と私は思うのです。

機能不全家族(私の場合は親同士の対立や、母子家庭になってからの身体的・心的虐待、ネグレクト)で育った私が、子どもの心が健やかに育っていく上で特に大切だなと思うことは、

  • 子どもの頃に子どもらしくいて良い環境

  • 愛されているということが実感できる環境

この2つです。

そして、これらの環境を整えるのは親だけで無くて良いのではないだろうかと思うのです。
子育ては親だけが負担すれば良いと全ての責任を押しつけて、ちょっと上手くいかなかったら責め立てる。そんな息苦しい社会で良いのかなって。

「親なんだから」という言葉に追い詰められて、その気持ちが子どもへの虐待に繋がるケースがありますが、もし、そこまで追い詰められる前に親御さんが心に余裕を持てるように出来たら、犠牲になる子どもも減るのではないか…。

親が思わず子どもに手をあげてしまう前に、辛いことを共有できる居場所があったり、少しでも休める時間が作れたり、そういうことが許される社会を作らねばと思うのです。

とはいえ、具体的に何をしたら良いか考えるとちょっと難しいですよね。

「この人は親として問題あり!」
「この人は大丈夫だな!」
…なんて、外側から見ても分からないことも多いし、仮に問題を抱えた親が疑いの目を向けられたら、さらに隠そうとして辛い状況になるかもしれない。

だから、もっとフランクに、ご近所に住んでいる子どもを見かけたら「おはよう」って声をかけるとか、お買い物中に知り合いのパパ・ママを見かけたら「お疲れさまです」って会釈するとか、そういうことから初めてみたら良いんじゃないかなって思うんですよね。
自分を気にかけてくれる人が近くにいるって、気持ち的に大事なことだと思うのです。

私も小中学生の頃、同級生のお母さんに「みかちゃん!おかえり。」などとよく外で声をかけられて、「私のこと覚えてくれてるんだ!」って嬉しくなった記憶があります。

子ども食堂などでも、「経済的に困っている家限定」なんてことにしたら行きづらいけど、「みんなでご飯食べよう!」と、誰でも利用できる形にしているから本当に困っている子も気軽に利用出来るし、家の環境の違いなど関係なく集まりコミュニケーションを取れる居場所にもなれていると思うのです。

「誰かを監視するんじゃなくて、みんなを見守る。」という優しい気持ちが、めぐりめぐって誰かを救うことになればいいな…そんな風に思います。

…と、なんか偉そうに語っているけれど私には子どもがいないし、何か支援活動に関わってるわけでもありません。
親御さんの本当の辛さなど分かってあげられないけれど、電車やバスで何か困っているパパ・ママがいたら声をかけたり、公園で話しかけてきた小さいお子さんにはにこにこ笑顔で挨拶したり、とにかく、「応援してるよ〜!大丈夫だよ〜。」という想いが届いたらいいなと思いながら生きています。

そして子育て中のお友だちがお子さんを連れて遊びに来たら、その子をいっぱいかわいがろうと決めています。(不器用だからあんまりうまく話せないのが悩みですが…。)
子どもたちには、どんな場所でもたくさん愛を感じてほしいのです。


自分が虐待という辛い経験をしたからこそ、少しでも傷つく子どもを減らしたい。そのために、子どもだけではなく親が孤立しない社会についてもしっかりと考えたい、そういう風に私は思います。

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