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最近、「想像力」という言葉を耳にする。わたしもよく使う。 大きなお城とか壮大な冒険を描く能力とはまた別の、他人を慮る能力という意味だと理解している。 でもけっきょく、他人への想像力ってなんだろう。 「他人への想像力がない」という批判に、もう一歩踏み込んでみる。他人への想像力がない人は、具体的になにが欠けているのだろう。想像力には、何が必要なのだろう。 わたしは、「他人への想像力=知識 × 能力 × 態度」という仮説を立ててみた。 他人の人生、感じ方についてのデータ想
相手に自分を否定されたとき。 相手はバカだと思うか、相手にも一理あると思うか。 どちらもあっていいと思う。 本当に相手がバカで、自分のことを分かってくれないときもある。 けれど、もし余裕があれば。 否定が初めてで、もしかしたら自分の落ち度もあるかもしれなければ。 どんな一理があるか、探せるつよさはもっていたい。 否定し返すのが守りで、相手の視点に立って自分を見つめ直すのは責めだ。 つらいのなら、守ったほうがいい。無理に自分を傷つける必要はない。 でも責める余
毎日noteをお休みし始めてから一ヶ月。アウトプットがなくなると、発信する癖がなくなる。 誰かに向けた言葉ではなく、輪郭も色もはっきりしない感覚が、自分の内側に積もるようになる。 この一ヶ月、何かを感じずにはいられないようなできごとがたくさんあった。私の感覚だと、あまり楽しくないものの方が多かった。 みんなが知っているニュースや、ツイッターでのあれこれや、昨日受け取った八月のサマーインターンの不合格通知なんかがそれなんだけれど、うーん。 面接が苦手すぎて、人生で一度も
世の中には、加点方式で生きている人と、減点方式で生きている人がいる。 今を0点として、100点を目指すのが前者。 私はこのタイプで、あれができるようになった、これができるようになったと、加点をして生きている。 一方で、目標を0点として、今をマイナスで捉えるのが後者だ。 完璧な状態から、あれができていない、これができていないと減点して今を分析する。 心理学的に、人はネガティブな情報に動かされるらしい。 たしかに「これもできた方がいいよ」よりも、「これができていない」
あなたも忙しいのはわかってるけど。 わたしのためなのはわかってるけど。 やらなきゃいけないのはわかってるけど。 「わかってるけど」のあとに続くのは、自分の言い分だ。 最近のわたしは、この「わかってるけど」をよく使っていた。 でも、わたしの「わかっているけど」は自分を守るための建前でしかなかった。 わかっているけどというのは、あなたはこう言うんでしょう?と反論を先回りできる、便利な言葉なのだ。 だから、自分の言い分を通すための飾りでしかなく、本当にわかっているかは
「素直が一番大切。」 新社会人1年目の心得として5歳さんが語るそれは、今日上司に言われたこととも、去年大学を卒業して社会人をやっている大学の先輩にされたアドバイスとも、全く同じだった。 これを言われるってことは、今の私は素直じゃない部分が目立つのだろう。 自分では素直さが売りだと思っていたから、それが足りないと言われると、堪えるものがある。 そんな、私は素直なはずなのになんて思い込みも、5歳さんが言う「プライド」なのかもしれない。 一度殻に閉じこもると、全部自分を傷
世の中全て、「思ったより」だ。 誰かに傷つけられたこと。それを相手はとっても反省しているかと思えば、けろっとしている。 あの人の中で、私はとっても大切な人に違いないと思えば、そうでもないただの替えがきく友達だったりする。 そんな期待外れが立て続けに起きて、だったら確かめなければよかった。頭の中で大事にされていると信じておけばよかったと後悔したところで、思っていたよりも別の誰かに大切にされていることに気がつく。 すっかり忘れられたと思っていたのに、きちんと自分のことを覚
幸せになるためには、選ぶ勇気が必要なのかもしれない。 あなたが不幸なのは、過去や環境のせいではありません。ましてや能力が足りないのでもない。あなたには、ただ”勇気”が足りない。いうなれば「幸せになる勇気」が足りていないのです。 ベストセラー・嫌われる勇気でも、哲人はこう話す。 幸せになる勇気の説明は「嫌われる勇気」に譲って、このnoteでは選ぶ勇気について考える。 幸せには、いろいろな勇気や覚悟が必要みたいだ。 この二つのツイートはどちらも、自分が誰に影響される
一人で生きられる人を、かっこいいと思っていた。 今も、思ってはいる。 自分で気分をコントロールして、機嫌に関わらず人に笑顔で接して、自分で自分の課題を見つけ、そして解決するために歩み続けられる人。 孤独に生きるというより、人に迷惑をかけず、自分の問題を自力で解決できるというイメージだ。そんな風に自立した人は、人にも好かれるだろう。 でも、別に一人で生きる必要はないんだよなと気付いた。 後輩の悩みを、かつて自分も通った道だと先輩がアドバイスしたり。 自信がなくなって
え、ずるい。 あなたばっかり心配されて。 あなたばっかりひいきされて。 あなたばっかり得して。 そんなふうに思ったときは、自分について知るチャンスだ。 ずるいというちょっとドロドロした感情には、いろいろなものが混ざっている。嫉妬だったり、理想の自分だったり、嫌いな今の自分だったり。 それをしっかりと分析して分けることで、ドロドロとした感情は、キラキラした自分へのコンパスになる。 まず、「何が」ずるいと思うのかを考える。 たとえば、大げさに褒めることでサッカー部
人は、名付け親になりたがる。 自分がつけた名前を、みんなにも使わせたがる。 結婚を幸せなものと名付けたら、それを他のみんなにも使ってもらおうとする。そのために、独身を不幸せなものと呼ぶのだろうか。 そんなことを、このnoteを読んで思った。とってもとっても良いnoteだった。 たしかに、私たちには目の前のものを好きに呼ぶ権利がある。 道端に咲く黄色い花を「サリー」と呼び愛でてもいいし、育てているトマトの苗を「とまちゃん」と名付けても良い。 人がだれかに抱く思いを、
私らしさってなんだろう。私の個性って何だろう。 これらは悩みの定番だけれど、本当の自分なんて、きっとどこにもいない。 なぜなら、個性は作るもの、もしくは気がついたらできているものだからだ。 中学の同窓会で久しぶりにあった友達に、「そのしっかりしているところ、昔から変わってないね〜」と言われた。 でもその「しっかりしている」というのは、元から決まっていた個性ではなくて、たくさんある特徴の中から最終的に残したもの、もしくは残ったものだ。 小学生の頃には他にも、自分中心な
後悔や無駄な時間を減らすための一つの方法が、大切なものを二種類に分けること。 私たちはつい役に立つものを探してしまうけれど、集めるのが怖くなってしまうくらい本当に「大切なもの」をきちんと増やしていきたい。 そんなことを書きました。 道具的価値と内在的価値私たちが何かを大切にする理由は、二種類に分けられる。 一つ目が、道具的価値のあるもの。 これはその名の通り、何かを達成するための道具として見出す価値のことだ。例えば、人がお金を大切にするのは、そのデザインや質感に惹か
本当に大切なものは、失ってはじめて気付く。 どれほどの歌手が、詩人が、作家が、この言葉を主題として作品を作っただろうか。 なんど形を変え、語られようとも、私たちは失うまで大切なものに気付けない。だから、この言葉を呪文のように繰り返すのだ。 他の人への、そして未来の自分への警告として。 フランスの世界遺産、ノートルダム大聖堂での火災のニュースを聞いたとき、私の友人は「早くヨーロッパ旅行に、行っておけばよかった!」と言った。二人でヨーロッパに行きたいと話しつつ、旅行の計画