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憧れの校閲記者になるまで
こんにちは、この4月で入社3年目になる稲垣あやかです。
シリーズ化しつつある「 #この仕事を選んだわけ 」。
3回目は僭越ながら、私のきっかけの話をしたいと思います。
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校閲という仕事を知るまで
私が新聞社に「校閲」という業務があると知ったのは、高校3年生の春でした。大学受験を控えて、自分の将来についてぼんやりと考えていた頃のこと。
「校閲記者って知ってる?」
きっかけは、国語の先生の一言でした。
当時の私は、とにかく日本語に興味があり、街中で気になる言葉を見つけてはその先生へ報告をしていました。
そんなときに言われたのが上記の言葉。
「校閲ってなんだろう?」
そう思った私は、とりあえず辞書を引きました。
こう‐えつ【校閲】
しらべ見ること。文書や原稿に目を通して正誤・適否を確かめること。「原稿を―する」
辞書の説明では、分かったような分からないような感じで、「文章の誤りを直す仕事なのかな」というのが第一印象でした。
その後、先生から話を聞いたりインターネットや本で調べてたりしていくうちに、世の中にはこんな面白そうな仕事があるのか、と校閲記者に憧れを抱くようになりました。
ドラマ「校閲ガール」が放送されるおよそ3年半前。かくして私は、新聞社の校閲記者という仕事を知ったのです。
憧れの校閲記者に会う
私の通っていた名古屋市内の高校では、自分が将来なりたい職業の人に取材をする、といった授業がありました。
校閲記者という仕事を知ってからというもの「中日新聞の校閲記者に会ってみたい!」と思っていた私は、迷わず取材先を決めました。
幸いにも快く依頼を受け入れてもらうことができ、いざ中日新聞社へ。
実際に話を聞いてみると、校閲記者の仕事内容は、取材前に思い描いていたものとは少し違いました。
事前に調べた情報をもとに抱いていた校閲記者へのイメージは、記事中の日本語の誤りを正す仕事といった漠然としたものでした。
しかし、実際には数字の入力ミスや固有名詞の変換ミスの方が、言葉遣いの間違いよりもはるかに指摘する回数が多いとのこと。そう聞いて意外に思ったのを覚えています。
「読者に正確な情報を伝えることが何よりも大切」
その中でも、この一言が特に印象に残っています。
なぜ誤った言葉遣いが問題視されるのか、それまでは深く考えず「辞書で誤用とされているからダメ!」と決めつけていました。
しかし、この言葉を聞いて「誤った言葉遣いによって、物事を正しく伝達できなくなってしまうことがあるんだ」と気づきました。
今思い返しても、この一言は私の言葉に対する考え方を変えたきっかけです。
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好きなものを究める
さらに、私の進路を後押しした一言がもうひとつ。
校閲記者になるために何をしたらいいか、と質問したところ「好きなことを究めた方がいい」といった答えをもらいました。
政治や経済からスポーツ、音楽まで、あらゆる分野の記事を読む新聞校閲。
なにかひとつでも得意な分野があれば、それが仕事で生きてくる場面が必ずあるとのことでした。
当時、文学部に進んで日本語や日本文学を学びたいと考えていましたが、周囲からの風当たりは厳しく、同級生から「文学部に行って将来どうするの?」と言われることもしばしばでした。
周りからの反対で志を曲げるつもりはありませんでしたが、それでも多少は気に病んでいました。
このときの言葉に背中を押され、好きなものを究めるために文学部を受験する決心がつきました。
大学では泉鏡花や谷崎潤一郎など明治〜大正期の文学作品を学び、さらに2年間の修士課程を経て、晴れて中日新聞の校閲記者になることができました。
まだまだ「究めた」とは到底言えませんが、学生時代に得た知識が仕事に役立つ場面は多々あります。
特に印象に残っているのが、こちらの記事。
大正時代に作られた歌の初出が判明した、という自分の研究内容ドンピシャの記事をたまたま校閲することができました。
「引用されている与謝野晶子の短歌が正しいかどうか」や「公演時期は本当に1915年4月下旬か」などを確認するときに正確な資料をすばやく見つけ出せたのは、学生時代に培った知識のおかげです。
校閲記者になってみて
こうして、自分が校閲記者という仕事を選んだわけを振り返ってみると、高校3年生のときに校閲記者に会って話をした、という経験は私の人生の大きなターニングポイントだったなと思います。
言葉の正しさだけでなく、記事の内容や体裁など、紙面すべての正しさを追求する校閲記者としての姿勢がとてもかっこよく映り、この日を境に「絶対に校閲記者になりたい」と思うようになりました。
ちなみに、そのとき取材に応じてくれた方の一人が今の上司です。
校閲部に配属されてすぐに挨拶をすると、私のことを覚えていてくれたようで「あのときの!」と言ってくれました。
そして、校閲記者として2年弱働いてみて思うのは、想像していたよりも何倍も楽しいということ。
学生時代には苦手意識があって敬遠していた分野も、仕事となれば向き合わなくてはなりません。
でもいざ読んで調べてみると、今まで抱いていた印象ががらっと変わることもあります。
苦手だと思っていたことの面白さを知ることができたり、普段だったら見向きもしないような事柄の知識を得られたり…。さらには、記事を校閲したことで興味が出て、その後もっと詳しく調べてみる、なんてことも。
先日、中高時代の友人たちと会ったときに、これまではあまり得意としてこなかった政治や経済、はたまた理数系の話題についていくことができ「この話、こないだ読んだやつだ!」という感動を味わうことができました。
もうまもなく3年目になります。
いつか、高校生のころの自分が憧れるような校閲記者になるのが当面の夢です。