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法然寺〜極楽浄土を前にして殿からのメッセージが凄すぎた

高松市にある法然寺。

鎌倉時代前期である1207年に、浄土宗開祖の法然が讃岐に配流されました。
その際に籠居していたのが、小松庄(現まんのう町)生福寺。

江戸時代 1668年に、徳川家康の孫であり、水戸徳川の長子である初代高松藩主松平賴重公が、法然上人の徳を慕い、戦乱で荒れ果てていた生福寺を、高松に移転・建立。藩主家菩提寺を開きます。

その際に、仏生山 来迎院 法然寺と改名。

境内奥にある藩主家墓所 般若台以外であれば、身分を問わず希望する者は墓をつくることができると、「仏生山法然寺条目」で定めています。仏生山は頂上が藩主家、その下に領民の墓が一山を覆うよう意図されています。

また、極楽浄土をこの世に現す寺として、伽藍配置も特殊です。寺の総門をくぐれば、領民は誰もが、極楽浄土への道を体感できるとして、今でも人々の信仰を集めています。(参照:法然寺)

出典:法然寺 境内図

黒門、仁王門をくぐり、まっすぐに伸びる137段の石段は、極楽浄土にいたる階段。

上りきった先には「来迎堂」。25尊もの菩薩が迎えてくださいます。

法然寺 来迎堂 2024年11月

毎年8月16日と12月31日の夕刻に開催される万灯会に合わせて公開されるとのこと。灯された際には、相当な輝かしさがあることは容易に拝察されます。

でも、普段は、格子窓から拝覧するだけ。中も暗い。
極楽浄土は、まだまだ遠い。

ところで、極楽浄土への手前、鐘楼門(文殊楼)で振り返るとこの景色。

法然寺 鐘楼門(文殊楼)前から 2024年11月

正面に見るのが、日山(ひやま)と前池。
その手前が仁王門。門から来迎堂へまっすぐにのびる道の両脇には、寸分の狂いなく配置された石灯籠。
左手には、五重塔、忠学上人堂、左手前 大きな建物が三仏堂(涅槃堂)。

11月中旬という、バエ感薄い時期でもこれ。季節によって、あるいは時間帯によっては、かなり美しい景色が見らるはずだ。

でもこれ、極楽浄土の手前、現世のうちに振り返ったからこそ見える景色。
※ 来迎堂まで上がると見えないのよ、本当に。

振り返った時の景色が美しいって、人生に当てはめちゃうとなんか泣けてくるよね。

極楽浄土への一本道の途中で、人生振り返って残してきたもの見とけって、戻れるうちに整えておけって、そんなメッセージなら、深すぎます、殿。



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