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読書日記(20240423)「14歳からの哲学」(池田晶子)/「君が、真理なんだ」

池田晶子さんの存在は知っていた。あれ、ずいぶん前に亡くなったはず。
2007年、46歳の若さで亡くなっていた。
わたしは、初めて彼女の本を手にとった。本当に、14歳に向けた本なのか。
わたしが幼稚なのか。言葉そのものは専門用語がないのに、頭がどんどんこんがらがってくる。そんなわたしの心の声はわかっておられるのか。

自分の足元が、どんどんぐらつくような気持ちになる本だった。と思っていたら、14歳以上の人へ という最後のページに「内容的なレベルは落としていません 落とせるはずがない」とあり、妙な安心を得たことも書く。


1.生きること、死ぬこと

小学生になる前だった。
「自分がいつか死ぬ」という事実を「体感」し、足元がグラグラして立てなくなった。今もおぼえている。近所にある公園の、すべり台の上で気づいたのだ。

すでに死がある、ということは知っていた。お葬式に出たり、法事だったりで、亡くなった人を弔う経験はあった。
そうではなく、自分の体が動かなくなり亡くなることが、今ある自分の「心」と言われているような意識が、どこへいってしまうのか。
死ぬ、ということを、今生きている人に聞いても、誰もわからない。当たり前だけど、みんな「生きている」からだ。

そのことを言葉通り、通電したようにに理解しまい、自分の心がなくなることがもう身動き取れないくらいに怖くなった。
そして、数年に一度くらいのペースで、この恐怖に囚われるとたまらなくなった。今もだ。

このことを人にたまに話しても、「そりゃいつかみんな死ぬでしょう」とあっさりした答えしか返ってこず、自分の恐怖心が伝わらないことがもどかしかった。
体の死は正直、あまりこわくない。体の死の結果、心がどこかへいってしまうかもしれないこと、精神の死が怖かった。

そんなことを思っていたので、この本で「死」を、「心」「体」「精神」といった形で真っ向からぶつかってくれていた。答えでなく、問いがある、という意味で。

2.「善悪」ー 人を殺すことはなぜよくないのか

一般論として、「殺人」は大きな罪だ。
池田さんは、「人をころすこと」は悪いのか についても書いている。
悪いか、いいか、を断じているのではなく、「悪いのか」を考えている。

戦争だったり、死刑制度だったり、「人をころす」ことが「正しい」とされるケースはある。あれこれ考えると、ケースバイケースで「人を殺す」という事柄そのものは、正当化されることもある。

だから、「人を殺す」という事柄そのものが「よくない」ということは、例外まみれの何かになってしまう。「人を殺す」という誰もが悪い、といいそうなことでさえそうなら、他のすべての「よくない」とされていることのほとんどが、「いいのか悪いのか」という前提を考えるまでもない、とされていることに違和感が出てくる。

議論にならないじゃないか。と思うけど、こういうことを内省していくのは、わたしは好きなんだろうな。そして、深く潜っていく思考、に、インターネットは向いてなくて、本はいいなと思う。

3.自分とは世界そのもの

わたしが足元、ぐらぐら。になる瞬間でもあるが、前提がくつがえされる瞬間がある。割とそういう性質なんだけれど、今のスピーディな意思決定が求められる今にはどうも向いてないみたいだ。

この本は、「自分が一番大事」というのが貫かれていて、「あなたは自由」という話が書かれている。「自分が一番大事」、それは、わたしがなくなったら、わたしの見ているこの世界は無くなる。

そして、一人一人、世界がある。人を殺す、ということは、一つの世界を殺してしまうことなんだと思う。政府だったり、国だったり、学校だったり、その全てはわたしの世界にあるフィクションだ。そんなことを考えていたから、この本を読んで、その対話ができることにホッとした。

Amazonで非常に多くのレビューを集めていたし、評価も高かったことが嬉しかった。同じような苦悩を抱えている人が結構いるんだな、と思ったから。

池田晶子さん、この本は「考え方の羅針盤」だと思っている。エッセイだったり、おすすめの本だったりを探して、「生きること」「死ぬこと」の、日々のことを彼女がどう考えていたのか、辿ってみたいなと思っています。


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