壁を乗り越えた人は美しい。泣かずに保育園へ行った娘を見て、泣いた話。
人が壁を乗り越えた瞬間に立ち会えることはこの上ない喜び。
昨日、娘が毎日泣きながら保育園に行く娘の話を綴ったのだけど、
この記事を書いた後、ついに泣かずに行けた。
娘が一つの壁を乗り越えた。
いつもどおり自転車で保育園へ向かい、
カバンを肩からかけてあげて、
手提げをもたせてあげて、
手を繋いで向かった。
体温測定をして、そこでお別れ。
いつもはここで泣いてしまい、
自身をコントロールできず泣きわめいていた。
それが昨日は泣きそうではあったけど、
涙をこらえ、目を合わさずに振り返り、
下駄箱の方へと一生懸命に走っていった。
娘が自分の中にある不安や寂しさを乗り越えた瞬間だった。
きっと目を合わさなかったのは、
目を合わしたら泣いてしまいそうだったからだと思う。
僕もそれを察して、目を合わすことなく
「よし、あさちゃん、さあ行っておいで!楽しんでおいで!」
とさっと背中を押した。
泣かずに行けた理由はわからない。
この日はたまたま体温測定のチェックをしている先生が担任の先生で、
その先に待っている先生も、娘がよく知ってる先生だったからかもしれない。
体温測定をした後に、担任の先生が、
「あさちゃん、おはよう!こっちおいで〜!」
と声をかけてくれたからかもしれない。
たまたま、娘が行きやすい環境だったからかもしれない。
理由がそれでも全然良い。
とにかく、娘は一つの壁を自分の力で乗り越えた。
その事実は変わらない。
泣かずに走って行く娘をその場で見届けると娘が振り返ったときに
泣いてしまいそうだから、僕もそそくさとその場を後にして、
娘が下駄箱まで行くのを横目でそっと見ながら帰った。
待っている先生とハイタッチをして、
年長さんのお姉さんに付き添ってもらいながら、
教室へと向かっていった。
背中が見えなくなるまで横目で見届けて、
少し見えた横顔にはちょっと笑顔が見えた。
感極まって、自転車での帰り道、思わず涙した。
4月に入ってからのこの1週間、娘はしんどかっただろうけど、
僕も正直、しんどかった。
毎日泣きわめく娘を無理やり先生に預けて、
その場を後にした後、保育園を出た後も、
保育園の外まで娘の
「いぃぃやぁぁぁだぁぁぁぁーーーーパァァパァァーーーー!!!!パパがいいのぉぉぉーーーー!!!!ゔわぁぁぁぁーーーーー!!!」
と泣きわめく声を聞きながら帰っていた。
帰り道、毎日、考えていた。
「これでいいんだろうか」
「こんなに無理して行かせることあるんだろうか」
「あんなに泣きわめくまでさせることあるんだろうか」
「いや、でもこうでもしないと1人で行けるようにならない」
「きっと時間が解決してくれるはず」
「とはいえ、いつまでこんな状態が続くのかな」
「ずーっとこの状態だったらどうしよう」
こんなことを毎日考えては、最終的には
「これも成長痛。仕方ない。時間が解決してくれる。慣れだ。」
と折り合いをつけていた。
毎日、娘の泣きわめく声を聞きながらだったからしんどかった。
まあ娘の方がしんどかったと思う。
ほんとよく乗り越えた。
娘はまだまだ小さいけど、背中が少し大きく見えた。
その背中は誇らしかったし、美しかった。
よく頑張った。
夕方、帰ってきた娘を抱き締めて、めちゃくちゃに褒めた。
妻が僕が泣いたことを娘に言ったらしく、
「パパ泣いちゃったの?なんでパパが泣くのよ〜まったくぅ〜!笑」
と言われ、笑った。
また来週、泣いてしまうこともあるかもしれないけど、
もう大丈夫。
一度は乗り越えてる。
娘にはもう泣かずに行けたという成功体験があるから大丈夫。
もし連日泣いてしまったとしても、それこそ時間が解決してくれる。
ほんとよく頑張った。
娘が壁を乗り越えるときは僕も乗り越えるとき。
これからもいろいろと乗り越えるべき壁はたくさんあるだろうけど、
精一杯できることをして、背中を押してあげたい。