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あなたの物語に、励まされ、救われました。

再読の部屋  No.6 堀辰雄作「姨捨」昭和15年(1940年)発表

初めて堀辰雄作「姨捨」を読んだ時、その感想をnoteに投稿しました(2021年3月31日)。そのときは、「更級日記」を知ったことで、この作品の面白さがわかり始めたことを記しています。

最近「生きることから無理な力を抜いていく」ことに関心をもったところ、「姨捨」の主人公が思い出されて再読したくなりました。

その結果、物語の華やかな世界を夢見た少女が、現実の世界では失望を重ね、それを受け容れていく様に、次のような印象を持ちました。

思いがけない出来事によって、激しく動揺し、失望し、悲しむ。震えるほど、感情の波に揉まれた後、「さて、まあ、何とか先へ進みましょう」と頭を上げる人。

淋し気ではあるけれど、弱くは感じられなかったのです。

こうした印象は、「姨捨」が、「更級日記」の前半に当たる部分を描いているため、もたらされたように思います。

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ニッポニカ多田一臣解説「更級日記」には、この日記は1060年ころに成立。作者は、菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)。彼女が、十三歳のとき父の任地から帰京する旅を記録したことが始まりで、以後四十年に及ぶ半生を自伝的に回想した記録、とあります。

「姨捨」は、京に帰ってきた少女が、その二十年後、夫に従い京を離れるまでを描いています。そのため、「更級日記」にある夫の死と、それに伴う安穏な生活が失われる様は描かれていないのです。

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主人公は、十三歳のときに、上総の守だった父、姉や継母などといっしょに、父の赴任地である東から京に帰ってきました。京では、おばから贈られた「源氏物語」を愛読し、宮中の華やかな世界に憧れました。

しかし、少女の現実は、次のようなものでした。
・昔気質の両親と京の生活が、思ったほど華やかではなかった。
・はやり病により、乳母や憧れた高貴な女性などが急死した。
・父の屋形が火災にあった。
・姉が出産時に亡くなった。

成長した主人公は、宮仕えを経験しますが、そこは夢見た世界とは程遠く、大きな失望を味わいます。
そして、その後、二十歳年上の男性の後妻となります。

結婚した主人公の様子は、次のように描かれていました。

夫は年もとっていた代わり、気立ての優しい男だった。その上、何もかも女の意をかなえてやろうとしていた。女ももちろん、その夫に、悪い気はしなかった。が、女の一向になって何かを堪え忍んでいようとするような様子は、いよいよ誰の目にも明らかになるばかりだった。しかし、もう一つ、そういう女の様子に不思議を加えてきたのは、女が一人でおりおり思い出し笑いのような寂しい笑いを浮かべている事だった。――が、それがなんであるかは女の外には知るものがなかった。

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やがて、女は、信濃の守に任ぜられた夫に従い、京を離れます。残していく父母への思を残すとともに、幼い頃、多くの夢を小さな胸に抱いて東から京へ上ってきたことのある逢坂の山を、女は二十年後に再び越えて行ったのです。そして、こう呟いた。

私の生涯はそれでも決して空しくはなかった――

この一言には、「とにかく頭を上げて、前を向こう」とする主人公の意思を感じました。このような素敵な場面で終わる「姨捨」という作品に、励まされ、救われる思いがしました。

ここまで、読んでくださり、どうもありがとうございました。

*「姨捨」に関する過去の投稿です。



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