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チェーンナーさんの企画「嫌なことを言われた時」に参加します!

 「嫌なことを言われた時」についての勉強会をご存じでしょうか?
 おもしろそうですよね。チェーンナーさんがされてる企画です。

 参加させていただきます。

 嫌なことを言われた時、以前は「なんでこの人はこんなことを言うのだろう?」と考えてました。
 「人を傷つけて楽しんでるんだな」
 「嫉妬してるんだな。ケケ」
 「幸せになれないかわいそうな人だ。ププ」
と結論づけて終わらせていました。これは言った人の人格を蔑んで優越感を味わっていたと考えられます。

 しかしnoteを始めた頃に書いていたエッセイにあるように「否定しない」ということを頑張っていたら、そんなふうに考えられなくなりました。だって嫌なことを言われても、言った人を否定しないので人格否定をしないのですから蔑むこともできません。更に、言われた嫌な言葉も否定しないのですから、その言葉をそのまま受け取るんです。

 そうするとどうなると思いますか?

「なんで私はこれを言われて嫌なんだろう?」って考えるようになりました。

 自分と向き合うようになったんです。「言われた嫌なこと」の部分の自分を深堀りしていくんです、

 そうするとどうなると思いますか?

 自分の欠点に突き当たるんです。奥の奥に隠されていて自分では見えない欠点です。しかしこの欠点は他人には丸見えなんです。

 私には見えない私の欠点。

 それは「私はこういう人間です」という自分の勝手な思い込みが包み隠していた本当の私です。

 人が傷つくのは「私はこういう人間だ」と思っている自分とまったく違う扱いを受けた時です。己を知っていれば傷つくことなんてありません。何を言われても「嫌なことを言いやがって!」なんてむかつくこともありません。他人が言ってくることは本当の自分の姿です。

 言われて嫌だった時は、本当の自分を知る絶好のチャンスです。

「私はそんな人間じゃない!」

と反発してぷりぷり怒ると、ますます本当の自分は自分からは見えない奥深くへ隠れていきます。でもそれは他人には丸見えです。だから何度でも言われるでしょう。

 しかし、嫌なことを言われた時にそんな自分を受け入れて、そんなことを言われない自分になるために行動を起こすとどうなると思いますか?

 魔法のように、嫌なことを言われることがなくなります。

 自分で「私はこうよ」と思い込んでいるのは驕りです。自惚れです。自分を高く評価してしまっている。他人から扱われたとおりに自分を評価できるために必要なのは、これです、

「自分は劣っている」

 この感覚が身に付けば何を言われても真摯にその言葉に向き合うことができます。そして自分の欠点を知って改善していけるんです。

 なので私は嫌なことを言われた時「ありがとう!」と思います。言ってもらわないと自分では気づきませんから。裸の王様状態ですから。恥ずかしいですよね。

 嫌なことを言われた時は感謝!

 これがクロウサ流の「#嫌なことを言われた時」です。

 

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木花薫(く-16 文フリ東京)
小説「梅すだれ」を連載中です!皆様の支えで毎日の投稿を続けられています。感謝の気持ちをパワーにして書いております!

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