ブランド人になれ!
トム・ピーターズの心に響く言葉より…
ブランド人の時代にようこそ。
いたるところでホワイトカラー革命の火の手があがっている。
この革命を無傷で生き延びられる人が、はたして何人いるだろうか。
職の保証は灰塵(はいじん)に帰した。
世の中はこれからどうなるのか。
私の答え…また、職の保証が戻ってくる。
と言っても、みなさんが考えているようなものではない。
新しい職の保証だ。
いや、新しいと言っても、しばらく忘れていただけで、実はふる―いものなんだ。
大企業なんてものが生まれるまえ、いやそのはるか昔、社会保障も失業保険もなかった頃、図らずも、ホワイトカラー労働者から元気と気骨と勇気を奪った「セーフティネットなるものがまだ存在しない頃、職を保証するものは、《抜きんでた技量》と《ネットワーキングの力》だった。
世間(市場)で通用する技量、ひとを感動させ、ひとから感謝される技量をもたなければ生きていけなかった。
世間の評判と仲間の支援(これが当時のネットワーク)がなければ生きていけなかった。
その頃にまた戻ると思えばいい。
村の鍛冶屋のように古いといえば古いし、ハリウッドのように、あるいは世界のどこかのアパートの一室で、インターネットを使って仕事をしている人のように、新しいといえば新しい。
仕事には丹精を込め、自分が仕上げた仕事にはきちんと責任を取らなければならない(あなたの仕事を、社会は必要としているのだから)。
この点については、昔も今も変わらない。
ただ、評判が伝わる速度が、昔と今ではくらべものにならないだけだ。
昔の職人は、仲間づきあいと世間の評判を大切にし、修練研鑽を怠らず、誇り高く、自分の腕一本を頼りに生きていた。
これを現代の言葉になおすと、要するに、自分の名前をブランドにしていたのだ。
私はブランド信者である。
ブランドが、マーケティングのペテンだとは思わない。
消費者はそれほど馬鹿ではない。
玉石を見分ける目をもっている。
いいものは売れる。
ブランドとして認知されたものは売れる。
ジップロックやiMacやスターバックスをみればわかるだろう。
ブランドは「信頼のマーク」である。
名前やロゴを見ただけで、消費者は安心する。
ブランドかどうかで、あらゆる商品とサービスがふるいにかけられる。
ナイキやスターバックスのブランド確立に一役買ったスコット・ベッドベリーは、ブランドについてこう語っている。
「偉大なるブランドは感情に訴える。
すべてとは言わないまでも、私たちが下す決断の多くは、感情に左右される。
ブランドは、人の心を強く揺さぶる。
製品の機能より大切なもの、それは心の接点なのだ…。
偉大なるブランドは、結末のわからないストーリー、はてしなく展開していく隠喩的なストーリー…。
そのストーリーが、深い感動の中に身を置くために人々が必要とする感情の流れを創りだす」
人間がブランドになるなんて、そんなひどい話はない。
非人間的だ。
人間の尊厳はどうなる。
そう言って怒る人もいるかもしれない。
みなさんはどうか知らないが、私はすこしもそうは思わない。
ブランドになった人間をイメージしようとして、私の頭にまっ先に浮かぶのは、ベンジャミン・フランクリンやスティーブ・ジョブズといった人たちだ。
私は会社人間(ましては会社奴隷)よりも、そういう血筋の人たちのほうが好きなのだ。
私の友人にアニエット・ルミューというアーティストがいる。
私の家の壁には、彼女のすばらしい作品『I AM』の横に、雑誌から切り取ったモノクロのフルページが飾ってある。
その広告いわく…「あなたは、あなたの人生のCEO」。
現代は、人類史上、1万2000年以来の大変革の時だと『サピエンス全史』のハラリ氏は語る。
それは、言うまでもなくITやAIのデジタル革命だ。
AIによって、サラリーマンも絶滅危惧種となる日が近い。
特に、バックオフィスと言われる事務処理や、管理、総務、人事、経理、財務、法務などの業務の多くはAIに取って代わられる可能性が高い。
そうなったとき、唯一生き残れる方法が、トム・ピーターズのいう「ブランド人」になること。
この本は2000年に出版されたものだが、現代でもいささかも色あせない。
ブランド人とは、自分をブランド化して高く売れるようにすること。
これは、個人だけでなく、会社も同じこと。
どれだけユニークで、他と違うスペシャルを持てるか、そして、それを発信できるか。
特に、発信というアウトプットは大事だ。
SNSだけでなく、あらゆる機会をとらえてアウトプットする。
どんなに素晴らしいことも、人に知られなかったら、それは無いのと一緒だからだ。
この大変革の時代に生き残るため…
ブランド人を目指したい。
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