連なる記憶
夜空という名のキャンパスに、大輪の花が次々に、そしてどこまでも咲き誇る。視界いっぱいの、いや、視界を優にはみ出すほどに大きな、一瞬だけ咲いては消える花たち。
花火の開始直後はとにかく大興奮で、この壮大な景色をどうにか記録しようと必死でスマホの撮影ボタンを連打していた。でも今はただ、この夜を記憶しようと空を見上げている。スマホの代わりに、慣れ親しんだブランドのお酒の缶を持ちながら。
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遡ること、数時間前。ユキさんと私は、人で混み合う東京駅地下・グランスタにいた。カバンの中には、10年以上夢見ていた日本三大花火・長岡花火のペアチケットがしのばせてある。
移動中、そして会場で食べる用のおいしいものを探しに、ウキウキしながらお弁当・お惣菜コーナーを何度も往復する。肉厚のから揚げ、シュウマイ、変わり種のいなり寿司、エビとアボガドのサラダ、ベーコンとほうれんそうのキッシュ…目移りしてしょうがない。悩みに悩んで食べ物を確保するのにコーナーを4往復くらいはしただろうか。次はお酒を選ぶ番。移動の新幹線内ではビール、というところまではすんなり決まったものの、会場での乾杯用のお酒がなかなか選び抜けない。
どれにしようかとお酒コーナーをうろうろしていた私の目に止まったのは、見覚えのあるブランドの鮮やかな赤いダイヤマークだった。
考えるより先に言葉が口からこぼれ出る。宮城のブランドイチゴ「ミガキイチゴ」を使ったスパークリングワインの缶だった。ちょっとお値段のするその甘酸っぱいお酒は、これまでの人生でも何度か特別な瞬間を共にしたそんなお酒だった。ユキさんに、イチゴのスパークリングであること、今までに何度か飲んだことがあるお酒であることを手短に伝える。ユキさんはすかさず笑顔で言った。
ユキさんのひと押しもあり、食べ物・飲み物を存分に買い込んだ私たちは、長岡へと向かう新幹線に上機嫌で乗り込んだ。
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車窓を額縁に、外の風景は高層ビルでぎゅうぎゅうに埋め尽くされた景色から、空と山が広がる余白たっぷりの眺めへと移り変わってゆく。ユキさんとビールで本日最初の乾杯をしておしゃべりに花を咲かせるうちに、花火目当ての乗客でいっぱいの新幹線はすぐに長岡駅のホームに着いた。
初めて訪れる長岡の空は、まだ明るさを残したままの夏の夕暮れ前。どこもかしこも予想通り人でいっぱいだった。何しろ、日本三大花火なのだから。東京の通勤ラッシュ時にも勝るとも劣らない混雑っぷり。だが、そこに押し合いへし合いの不快感や殺伐とした雰囲気はない。今宵はみな、ただひたすらに花火を楽しみにしているのだ。
駅近くのホテルに荷物を置き、歩いて花火会場に向かう。あちらの路地から、こちらの路地から人が集まり、会場に近くなればなるほどその数は増えていく。地元の中高生たち、おじいさん・両親・孫たちの三世代と思しき家族連れ、近隣地域から仲間内で長岡にやってきたらしい二・三十代の男女のグループ、私たちのような観光客。
毎年来ているであろう人たちは、ブルーシートやクッション、クーラーボックスなど装備も用意周到で、動きに無駄がないのですぐにそれとわかる。まとう空気が歴戦の猛者だ。それでも、今日の長岡の街に流れている空気は終始優しい。
会場までの道すがら、青空に夕闇のカーテンがかかる。あたりはだんだんと黄昏色に染まっていった。どうにか花火開始前に会場につき、河川敷に腰を下ろす。まずはユキさんと本日2回目の乾杯だ。
甘酸っぱいイチゴの味がしゅわしゅわと口いっぱいに広がる。ああ、この味。サークル仲間とのホームパーティーで、就活終わりの新幹線の中で、帰省時の実家の食卓で。自分にとって「特別」なときに、いつも口にしていた至福の一杯。まさか長岡で飲むことになるなんて。
そして花火が始まった。カメラのフレームなど優にはみ出していく大きさの大輪の花々。後で知ったことだが、長岡花火の名物は三尺玉。直径650メートルの花が次々と空に咲く。見事な花が咲き誇るたびに、どこからともなく拍手と歓声が会場を包む。
最初の30分くらいはユキさんも私も興奮しきりでスマホやカメラのシャッターを押していたのだが、次第に2人とも、ちびりちびりとお酒を飲み、つまみを食べながら、空を見上げ続けるようになった。会話といえば、今までとはいっぷう違う花火が上がるたび、お互い顔を見合わせて「今のすごかったね!」「ですね!」とひと言二言交わすくらい。
私たちの周りの方々はみな、地元の方々のようだった。近くに座っている家族連れの中の若いお姉さんが、LINEでビデオ通話をしながら同世代の誰かに眼前に広がる花火を見せている。
その口調がなんとも気の抜けた、のんびりとしたいい塩梅で、私までゆるゆるとした気持ちになった。懐かしい土地に帰ってきたときのような。
実際、私にとって新潟は懐かしい土地でもある。長岡ではないが、ルーツが半分新潟なので、うんと小さい頃は新潟にも訪れていたのだ。祖父母の家の前に果てしなく広がる田んぼと山々、親戚のみんなで遊びに行った海、夏のまぶしい陽射しと日本海に悠々と沈む夕焼け。二十年以上前の記憶が花火のように脳裏に瞬く。
祖父は私が生まれる前に、祖母は生まれてすぐに他界した。祖父母と遊んでみたかったし、じっくり話してみたかった。写真でしか知らない祖父母は、いったい、どういう人だったんだろう。三十歳を過ぎてからそんなことをよく思う。長岡花火は明治12年(1879年)が最初だという。同じ新潟県内でも遠く離れてはいたが、祖父母も一生に一度くらいは長岡花火を見に来ていたんじゃないだろうか。
もし来ていたとしたら。いつ誰と来ていたんだろう。何を食べていたんだろう。もうお酒は飲める年齢だったのかな。飲むとしたら何を?新潟だから、やっぱり日本酒?久保田?そんなことをぼんやり思いながら、お酒を喉に流し込む。ぬるくて甘酸っぱい、少し気の抜けたスパークリング。
ふっと横を見ると、日本一の長さを誇る信濃川の両岸いっぱいに集まった人のざわめきの中で、ユキさんがニコニコと笑っている。
「ありがとう」を言うのは私の方だった。
「特別」なときに飲んできたお酒に、またひとつ「特別」な記憶が連なる。サークル仲間とのホームパーティーで、就活終わりの新幹線の中で、帰省時の実家の食卓で、そして、夏の長岡の夜空の下で。
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大人になってお酒を飲めるようになってよかったと思うことのひとつは、お酒ごとに、そんな大小さまざまな「特別」の記憶が連なっていくことだ。以前よりお酒を飲む機会も量も減ったけれど、その分、特別感も増す。お酒と共に連なる記憶を思い出す時間もまた楽しい。連なる記憶を呼び覚ましたいがゆえに、あるお酒を飲む、なんてこともあるかもしれない。
もちろん、楽しい気持ちで飲んだお酒ばかりではない。寂しさや悔しさ、悲しさややりきれなさと一緒に一人で飲み干したお酒だってたくさんある。時間が経つとそんな記憶すら愛おしくなることもあるから、時間は偉大だ。
二十代のとき、悲しみのどん底で泣きながら飲んだお酒のラベルをお店で偶然見かけても、三十代の私は「懐かしいな」と微笑むことができるくらいにはなった。まだ進んで飲む気にはなれないけれど、四十代、五十代になって飲むとしたら、そのとき、悲しみの記憶は霞んで見えるのだろうか。あるいは、やはり鮮烈に思い出すのだろうか。どうなるのかわからないけれど、それはそれで楽しみだ。
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数日前、お店でまたミガキイチゴのスパークリングワインを見かけた。つい手を伸ばしかけたけれど、ぐっと我慢した。長岡の夜の「特別」な記憶をあのお酒との最新版としてもうしばらく味わっていたかったのだ。私は心の中でユキさんにそっと「かんぱい!」とつぶやき、お店を後にした。