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ヤーレンズと奇奇怪怪

数日前、タイムラインで見かけた文春オンラインのとある記事。

神回と呼ばれた2024年のM-1ファイナリストの一組。お笑いコンビ、ヤーレンズのインタビューだ。話題になっていたのは、全3回のインタビュー記事の最終回だった。

2人は、松本人志問題について触れていた。

出井「松本さんが復帰できるできないとか、いいとか悪いとかじゃなくて。僕含め全芸人が自分の中に、無自覚に女性蔑視的なものが入ってるかもしれないとか、一回ちょっと考えるタイミングにすりゃいいと思うんですけど。」

文春オンライン:ヤーレンズ・インタビュー#3
https://bunshun.jp/articles/-/76669?page=4

ヤーレンズの出井さんがさらっと放ったこの言葉が、SNSを中心に大きな反響を呼んだ。
すぐにリンクに飛び込んで全3回の記事を読み、思わず「ヤーレンズがお笑い界の天下を取ってくれ!」とお笑い好きの友人に連絡した。今まで知らなくてもったいなかった。ただM-1でめっちゃ笑わせてくれた“しゃべくりおにぎり屋さん”じゃないじゃん。ヤーレンズ、めちゃめちゃ好きだ。

文春オンラインの記者が、松本人志がM-1審査員から抜けたことを「権威からの解放」と言ったあとの「その視点はちょっと文春すぎるかも(笑)」も、最高(笑)

この記事の中でも言われているけど、最近は「ふつうにふつうのことが言えない」現象が起きすぎている。

だれかと話せば(この人、“どっち側”なんだろう)をふと考えてしまったり、なにかを感じたらその感覚が正しいかどうかを確かめたくなったり。自分の感覚なのにね。白黒思考がいきすぎた強い意見ばかり注目されて、そういう強い意見を言える人が正しい、という世の中になりすぎてしまった。

だからこそ、フラットな自分の本心をただ話しているだけ、というヤーレンズのインタビューから感じた、あったかくて心地よい爽快感。なんだっけ、これ。

ああ、これ、「奇奇怪怪」だ。

ラッパーTaiTanと、バンドマン玉置周啓による“だる鋭いカルチャー系”Podcast。最近の生活のお供。
このチャンネルのことをホモソマッチョでも根暗でもない本音ニュートラル?的なるものと表現したポストを、奇奇怪怪のアカウント本体(たぶんTaiTan)自体がリポストしていて。

私もきっと奇奇怪怪の本音ニュートラルな会話の心地よさに惹かれていたんだなと気が付いた。

いいとか悪いとか、善とか悪とか、白とか黒とかじゃなく、ただ世の中で起きていることを話す。でも、やっぱり今の世の中、それができない。する暇がない。

きっともう、「SNSが台頭し、あらゆる情報が頭の中に流れ込んでくる時代」さえ過ぎてる。

今はもう、情報どころか情報の先に見出すべき自分の答えすら、情報として流れ込んでくるような感覚がある。「良い」「悪い」「善」「悪」「味方」「敵」みたいな。

答えを求めたわけじゃないのに、自分の感覚がNGなのかOKなのかは、もう世間から決められていて。言動ひとつ間違えれば「間違っている」のレッテルを貼られて、ひどい目に遭う。

考えること、悩むことすら許されないような時代に、私を含め多くの現代人はもう飽きていて、とんでもなく疲れてるんだと思う。

だからこそ、こういう本音ニュートラルみたいなものにスポットライトが当たるようになってきた。いつだって、多くの人が求めているものが流行するんだから。

情報を浴び続けることに疲れる前って、いろんな意見を浴びて傷ついて「強くなりたい」と思ってた。私もそう。ただ、強い意見って、結局自分たちを疲れさせた二極化した強い意見で。そうして、世間は空前の自己愛ブームに辿りついて。周りの意見なんて気にせず、自分を大切にしようね、のタイミングがあった。でも、大切にしたい自分も見つかってない人の方が多くて、それにもハマれなかった人もいた。自己愛、セルフケアを必要としなかった強い意見は、こぞって自己愛ブームを嘲笑していたようにも思う。

2025年、やっと本音ニュートラルにいきついて、ほっとしてる人は多いと思う。


この心地よい本音ニュートラルって、自己愛とも違うし、すでに物事に白黒つけることが癖づいてる強い人たちには発信できない。

この情報が溢れすぎている社会の中で、偏った意見やバイアスに寄り添いすぎず、突き放すわけでもなく自分の中に受け止めてフラットに感想を言う、って簡単じゃない。

そうなりたくていろんな意見を突き放してしまいそうになるけど、そもそも普通、自分ってそんなフラットじゃない。

この情報が溢れすぎている社会の中で、なんのバイアスの影響も受けない人なんていないし、そもそもこの広い世界の中のたった2人の遺伝子を受け継いで、時代や社会を1つだけ選んで生まれてきて、数十年生き伸びた時点で、私たちは常に何らかの偏ったバイアスを受けている。

そのまま生きて偏った自分に気づけず、何らかの偏った意見やバイアスだけを信じて過ごすと、いつの間にか持っていたはずの平衡感覚も失われてしまう。結果、他人や自分を傷つける。

そうならず、自分の本音ニュートラルを大事に生きるために大事なのは、あらゆる角度バイアスを受け続けること、あらゆる意見をフラットに受け入れるしかない。川底を転がった石の角が取れて、綺麗な丸い石になる、みたいなこと。

そんなこんなで本音ニュートラルに救われている。心地良い。偏らない、考える感じることを大事にする人の声をふわふわと聞きながら過ごす。これもきっとひとつの偏った意見で、バイアスなんだろうけど、でもあれだけフラットな意見なら、良い、と思う。今はひとまず、これが良い。

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