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感情のコントロールなんて、するもんじゃない

メンタルぐずぐずで自分を変えたくてもがき苦しんでいた頃は、私自身「自分の感情をコントロールしたい」と考えていた。でも今、そこそこ前向きで楽観的なメンヘラとして社会に適合しつつ生きている私は思う。

感情のコントロールなんて、するもんじゃない

と。

今、自分のメンタルに悩み不安で頑張ってもがいている人がいるなら、大声で「感情のコントロールなんて、するもんじゃないぞ」と伝えたい。

アンガーマネジメント、とか、自分の機嫌は自分でとる、とか。最近はそういう「まともな大人ってのは、自分の感情をコントロールしないといけないんです」的なことを言うのが流行しているし、自分自身で強くなりたくて手に取った本にも当たり前にそんなことが書いてあった。

ただ、感情どころか感情のせいで身体も生きることもコントロールが難しくなってしまった過去があって、いま、ある程度自分を好きになれて、楽しく生きられるようになった私が思うのは、感情なんてコントールするものじゃないということ。

感情を理解することは大事。でも、感情は自然発生ものであって、コントロールできることじゃない。

正しく言うのならば、「感情を理解し、その感情を抱いた自分の行動をコントロールする」だと思う。

行動はコントロールできる。
訓練が必要ではあるけれど、行動をコントロールすることはできる。ただ、感情をコントロールしよう、っていうのはあまりに乱暴だ。

悲しまず、不安にならず、怒らず、寂しさを無視するようなことに思えてしまわない?そんなことをする必要はなくて、コントロールすべきは、感情ではなく、感情を抱いた後の自分の行動だ。

悲しいことがあった。
不安になった。
怒りを覚えた。
そのときに、悲しみに捉われ続けないように行動するとか、不安を他人にぶつけないとか、怒りを暴力に変えないとか。そういうことをひとつずつ丁寧に覚えていく。訓練が必要だけど、行動に反映させていけば、十分自分の感情に振り回されない生活は送れる。

感情をコントロールしようとすることで、自分の感情を無視するのは、逆効果。これは実体験として確かに感じたことで、感情は無視すればするほど自分の身体や行動に大きな反動になって返ってくる。

悲しいことがあったなら、その悲しみを自分で供養するために文章にしてみること。おいしいものを食べようること。泣くこと。誰かに話すこと。

怒りを覚えたなら、身体を動かしてみること。おしゃれをしてみること。怒りを分析するために語ること。大声を出すこと。歌うこと。そして、暴力に変えないこと。自分を責めないこと。犯人を探さないこと。

寂しいことがあったなら、寂しさを紛らわせようとしないこと。「さみしい」とつぶやいてみること。音楽を聴くこと。共感してくれている人の文章を読むこと。料理を作ること。動物を見に行くこと。映画を見ること。

そうやって、行動をコントロールすれば十分、自分の感情をそのまま愛せる。感情のコントロールなんて、するもんじゃない。

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