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【読書noteNo.24 「文学理論」アレルギーをなくしてくれた本に出会ってしまった。『文学とは何か』】

去年の7月に、この本を取り上げた記事を書いた。

作中で、次のように書いてある。

「巨人の肩の上に立つ」というのは知識にかかわることがら一般に言えることですが、作品を分析するときも実は重要です。ひとりで精読することも大事ですが、そこからもう少し読みを発展させるには、作品に関する基本的な情報や先行するレビューをしっかり押させたほうが絶対に有利です。他の人が書いたものを参考にした場合は、本文中でそれに触れればいいです。巨人の肩の上に立てるときは必ず立ちましょう。それにより、あなたにもアリストテレスを超えるチャンスが生まれるのです。巨人の肩の上に立つため便利なものとして、批評理論があります。これはその名の通り、読んで批評をするための理論ですが、これを知っているのと知らないのでは読むときに違いが出ます。批評理論を知らなくても、あなたがものすごく精読が得意でインスピレーションにあふれれていれば作品分析を楽しんで面白い批評ができるようになるでしょうが私も含めてほとんどの人は批評をするべく生まれついてわけではありません。作品を面白く分析できるようになる際、巨人の肩になってくれるもののひとつが批評理論です。

※途中から、文学理論と書いていますが、同じ意味合いで読んでもらって大丈夫です。

『批評の教室』北村紗衣著 ちくま新書72頁より引用

作品を分析できるようになるには、「批評理論を学ばないといけないのか~。」と思って、何冊か批評理論の本を読んでみた。

しかし、どれも理解ができなかった。

難しすぎる・・・・・。

その結果、「自分が楽しく読めれば、批評理論なんか学ぶ必要はない」と言い訳をして、批評理論からは遠ざかっていた。

完全にアレルギー症状が出ていた。

自分にはご縁がないものとして、理解を諦めていた批評理論。

しばらくして、ある一冊の小説に出会う。

この出会いによって「書評を書く上で批評理論は学ぶ必要があるよな」と考えを変えた。

唯野教授が所属しているある大学の文学部教授会のエピソードと、同教授が行っている「文芸批評論」の授業風景や講義内容が平行して書き進められていく小説である。

文学部教授会のエピソードも面白いが、唯野教授が繰り広げる授業は、大学受験時代にお世話になった『実況中継シリーズ(CDがついていて、あたかも予備校の授業を受けている体験をさせてくれるテキストシリーズの事。私は世界史で大変お世話になりました。)』を思わせるぐらい面白かった。

作中で、大江健三郎の『「読む」と「書く」の転換装置」』というコラム(「新潮」昭和62年2月号)を紹介していた。

文学理論は必要です。評価する・あるいは否定する根拠なしの、あいまい主義的な批評にさらされているわが国の作家たちには、それもとくにこれから小説を書き、発表する若い人びとには、文学理論にたつ批評がなされることほど望ましい話はないはずです。気分次第で賞めたり叱ったりする親ほど教育的ではないようなものはないように、あいまい主義的な批評が若い作家をよく育てうるとは思いません。

『「読む」と「書く」の転換装置』のコラムより一部引用

私自身は、小説や文学を作ることはない。

しかし、それらの作品を正しく読み解くには、文学理論が必要だと思うようになった。

だいぶ前置きが長くなった。

さて、今回紹介する『文学とは何か』。
見どころを書いていこう。



「文学理論」はそこまで敷居は高くないことを教えてくれる名著

Amazonレビューを読むと、訳文の日本が悪い等といったすこぶる評判が悪い。しかし、上下巻を読み通した感想は、決してわかりやすい名文とはいえないが、レビューで書かれているほど読みにくい本ではない、と言える。そして何よりも、この本のよいところは、「敷居が高そうに思われる「文学理論」をそこまで高くないよ」と言ってくれるところにある。

本書の「新版へのはしがき」に次のように書かれている。

本書は、文学批評家のみならず法律家にも、また文化理論家のみならず人類学者にも学ばれてきた、ある意味、おそらくこれは、さほど驚くべきことはでないとも言える。本書そのものが示そうとしていることだが、実際のところ、文学だけから発生したり、文学だけに適用可能な理論の総体といった意味での「文学理論」というものは存在しない。本書で概略を示した批評方法は、現象学や記号論から構造主義や精神分析にいたるまで、「文学的」書きものだけに関心を寄せてはいるものはひとつもない。それどころか、こうしたアプローチはどれも人文学のほかの分野から生まれ、文学そのものをはるかに超えたところにまで適用可能である。(中略)
文学理論のなかには、もっぱら仲間内だけで通用すべく、意図的に難解にしたものがこれまであったが、そこからくる弊害を是正し、文学理論をもっと幅広い層の読者に受け入れてもらえるようにする試みのひとつとして、本書は存在する。

『文学とは何か』(上)17~18頁より引用

文学理論というと、文学について「文学とは〇〇で、こういう描写は〇〇を表している・・・」とこねくり回した理論で、机上の空論と勝手に思っていた。しかし、文学だけから発生したり、文学だけに適用可能な理論ではない、とあるではないか。「文学理論」というのは名前だけにすぎないんだな、と分かった瞬間、自分が今まで抱いていた「文学理論」アレルギーが嘘のようになくなった。そして、「文学理論を幅広い読者に受け入れてもらえるようにしたい」というイーグルトン先生の熱い気持ちに応えようと思い、何とかこの本を読み通した。

もちろん、この本が決して簡単な本というわけではない。「現象学」や「構造主義」、「ポスト構造主義」といった哲学の専門用語もたくさん出てくるし・・・・。実際、私もすべて理解したとは口が裂けてもいえない。

でも、これだけは言える。

文学理論は、理解しようとすれば理解できるモノで、決して、一部の人だけしか理解できないモノではない、のだと。

イーグルトン先生は、それぞれの理論について概要を丁寧に解説してくれる。概要の解説をしたうえで、解説した理論の問題点をあぶりだし、次の理論へとつなげていく、というその展開ぶりは読んでて面白い。

通常の入門書だと概要の解説まではあるが、問題点まで言及されている本は少ない。しかし、この本はその問題点をあぶりだすところに魅力があるようにも思われる。

絶対に消えないと思っていた「文学理論」アレルギーをなくしてくれたこの本に出会えたことに感謝しかない。

次回取り上げるのは、さくらももこ著「もものかんづめ」の予定です。




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