【読書note No.9『エロティシズム』】
大人の動画に毎度お世話になっている私が、ずっと考え続けた事がある。
エロとは何か?
という事です。
エロい事=不謹慎な事、語る事はタブーと一般的に言われています。
でも、本当にそうでしょうか。
作家澁澤龍彦が責任編集のもと、出版された『血と薔薇』(1968年)という雑誌があります。※現在は、文庫になっています。
冒頭宣言の中の一つに、次のような事が書かれています。
この宣言は、的を得ています。
数々の女性と浮き名を流した光源氏を題材にした源氏物語が、一人の女性を一途に愛して、不貞行為に全く興味がない男の物語になったらどうでしょうか?
人間としては立派だと思いますが、物語としては面白みに欠けます。
そんな退屈な物語だったら、絶対に読みたくありません。
源氏物語だけでなく、海外の古典や芸術からエロが消えたら、それは文化として死んだと言っても過言ではありません。
つまり、エロは、文化が文化でありつづけるためには、必要不可欠なものと言えます。
冒頭の疑問に戻りますが、エロとは何でしょうか。
エロを考える上で避けては通れない、この本を今回紹介します。
エロティシズムとは死におけるまで生を称えること
この本の冒頭で、バタイユは上記のように述べていますが、この表現だけで、意味が分かる人は少ないと思います。(私もその一人です。)
しかし、『文学と悪』(1957年)という文芸論を紐解くと、その意味が繋がります。
バタイユが説くエロティシズムの鍵を握るのが、死です。
この死との関係について、次のように語っています。
ただ、SEXをする事だけが、エロではないんですね。自分の存在がなくなる=死ぬかもしれないという感覚を伴った性活動がエロティシズムであるとは…。
インターネットが発達してきて、エロコンテンツは瞬時にアクセスできるようになりました。しかし、そのエロコンテンツは、本当にエロなのか…と問い直す必要があります。
今まで、男女のSEX を見て興奮していた私は、この本を読んで反省しました。
安易にエロという言葉を使ってはいけないんだな、と。
バタイユのこの言葉で、締めたいと思います。