二階堂達也

無担任の天理教の教会に赴任しました。 いろいろあったこれまでの事、 これからの事、そして日々感じる事を、 ツラツラと書いてみます。 感想など頂くと励みになりありがたいです。

二階堂達也

無担任の天理教の教会に赴任しました。 いろいろあったこれまでの事、 これからの事、そして日々感じる事を、 ツラツラと書いてみます。 感想など頂くと励みになりありがたいです。

最近の記事

18:よふぼく一斉活動日

今回の年祭活動でご本部が打ち出している《よふぼく一斉活動日》について思うところを書いてみたいと思います。毎度文章力が無い者で、読み辛い点が多々あると思いますがご勘弁を・・・。 さて、そもそもこの《よふぼく一斉活動日》って言うのは、御本部からのトップダウンで各教区に丸投げして、更に教区は各支部に丸投げして、「どうぞ年祭にふさわしい内容ある行事を行って下さい」って感じが否めないんです。それでも各支部の役員さんたちは必死にご本部の思いに応えようと、健気に努力し・準備し・活動されてて

    • 17:親の荷物を背負う

      人には一つや二つ【心配事】ってありますよね~大きくなくても小さな事でも・・・稀に「何も心配事なんてない」って方が居ますが、それはそれで芽出度い事で結構ですが、普通の人は、大なり小なり心に引っ掛かる事ってありますよね~仕事の事や職場の人間関係の事、家族・家庭の事、子供たちの事や彼氏・彼女の事、自分自身の事などなど、いろんな事が起こるのが人生です。「そんな事いちいち心に留めて心配してたら仕方がない」って思える程度なら良いですが、人生を左右する事情や、明日もわからない身上や事情なら

      • 16:「日雇い」ってありがたい

        令和3年って2021年です。立教では184年です。 教祖140年祭へ向けての三年千日の前年、この年の秋に長い間お世話になった職場を退職しました。もう~3年前の事です(汗  月日の流れは早いものです。 教会の土地の事情をきっかけに仕事を始めて、その土地の借金が10年ほど掛かりやっと返済。やれやれって時に、今度は教会の屋根が強風で吹っ飛んでしまい、教会普請が始まりました。大きな普請費用の返済に、必死のパッチに仕事を続け、その普請の返済もまた10年ほどで終わった令和3年に、夫婦で

        • 15:夫婦心治めて、、、

          誰も居ない事情教会での生活を始めて約5年経った頃、他系統のお世話になってる先輩布教師から縁談を持ち掛けられました。 彼女は教会へ家族で住み混んでいる熱心な信仰家庭で育って、高校を卒業し就職し働きながら自教会はもちろん、上級教会の御用にも熱心に取り組む素直な彼女でした。 一方私はうだつの上がらない貧乏青年・・・家はトタンで囲まれた小屋のような教会、仕事もせず毎日ふらふらパンフレットを持って歩き廻り、もちろん車なんてなく、頂いた錆びだらけの自転車が自慢のマイカー、洋服にも頓着なく

          14:約束事は守らねば

          僕二階堂は毎日12下りのおてふりを努めている。教会につながる方々が健康に無事に教祖140年祭を迎える事が出来ます様に!そんな思いで始めた12下りのおつとめ。二階堂にとっては【年祭活動】のお決まり事みたいな感じです・・・ 二階堂が初めて「教祖の年祭」を迎えたのは110年祭、当時28歳。 その10年前の教祖100年祭の時は、二階堂はまだ天理教を熱心に信仰してなかった(汗 そんな二階堂が立教153年11月に横浜の教会へ赴任し、翌立教154年3月に会長就任のお運び・5月に就任奉告祭を

          14:約束事は守らねば

          13:おつとめの手を揃える

          当たり前の事ですが、天理教の教会では毎月【月次祭】が努められている。この月次祭のおつとめには『6人のおてふりと九つの鳴り物と地方』最低16人の手が必要です。たとえ布教をして信者さんが増えて教会設立を願い出ても16人の手が揃ってなかったら教会は設立されないし、ご本部からお許しが出ないそうです。他にも建物の間取りや位置・お道具など、教会設立にはいろいろと条件が揃わないとダメだそうです。 今回の年祭で二階堂が所属している大教会では【おつとめの手を揃えよう】と言う活動方針が打ち出さ

          13:おつとめの手を揃える

          12:「教会費」「教区費」「支部費」これって何?

          こんな私も人間なので(当たり前)、、、 今回は少し愚痴を言わせて頂きます。途中で「アホらしい~」って思われた方は途中でシャットダウンして頂いても構いません。勿論最後まで読んで頂きコメントなど頂ければ有難いです。 では・・・愚痴りますよ~(笑 天理教の教会では毎年教会本部に【教会費】なるものを納めています。教会の規模・大きさによって納める額が違うそうですが、私の担任するような小さな教会では、毎年一万五千円也。これって天理教組織への【会費】って感じなんですかね~?よくわかりません

          12:「教会費」「教区費」「支部費」これって何?

          11:十二下りの手をどり

          正直若い頃は「長いな~」「眠いな~」「早く終わらんかな~」・・・ 天理教の大切な【おつとめ】をそんな感じで捉えてました。いやいや~お恥ずかしい限りです。でもそんな私が今では、毎日12下りの【おつとめ】を努めているお話しをします。 横浜へ布教(もぬけの殻になった教会)へ来た頃はパンフレットを持って歩くしか布教の術を知りませんでした。布教ってそう言うものだと思ってました。只々歩いて断られ、断られてまた歩いての毎日でした。知り合いが居なかったのでそう言うものだと・・・そんなある日の

          11:十二下りの手をどり

          10:毎日参拝【日参】

          記念すべきnote10投稿目です。お題は【日参】毎日参拝で日参・・・でもなかなか毎日って難しいんですよね~参拝に限らず「ダイエット」「ランニング」「勉強」「ひのきしん」などなど…何でも毎日続けるって(汗) そんな大変な【日参】を始めたお話をします。 横浜にある「もぬけの殻」になった教会に赴任して、淋しく教会生活をしてた二十代の頃、にをいがけに歩く事しかやる事が無くて、毎日毎日よく歩いてました。もちろん結果が伴う訳でもなく勇んだり、落ち込んだり、落ち込んだり、勇んだりの繰り返し

          10:毎日参拝【日参】

          9:子供にみせられた節

          今日はちょっと胸が締め付けられる、辛い思いをした過去の話をします。 わたしは'98 '00 '02年と2年おきに3人の子供を与えて頂きました。 独りぼっちで横浜へ来ましたが、家内と結婚して子供を与えて頂き、5人家族の主に(嬉)有難い事です。 長女・次女そして長男を授かり、スクスクと育てて頂き、楽しい家族の和が出来てました。ささやかながら賑やかな教会に成ってました。 そんな中・・・忘れもしません20年前の5月15日・・・ もうすぐ2歳になる長男が2tダンプに轢かれました。 もう

          9:子供にみせられた節

          8:教会のお社の扉って何で閉まってるの?

          教会の月次祭の時、献撰前に厳かにお社の扉を開けますよね。「ウゥ~ウゥ~」って声を出しながら・・・あれ警蹕(けいひつ)って言うらしいんです。【先払いが声をかけてあたりをいましめる事:広辞苑】だそうです。その警蹕をしながらお社の扉を開けたり・又祭典後は閉めたりしますよね~ でもちょっと待って・・・そもそも何で教会のお社の扉って閉まってるんですか?不思議に思ってたんです。どの教会を参拝しても祭典日以外は閉まってますよね~だって教会は「ぢば」につながり、お社の先には「ぢば」のかんろ台

          8:教会のお社の扉って何で閉まってるの?

          7:五分から産まれ五分五分と成人

          タイトルにあるのは皆さんご存じの『教典第三章 元の理』の一部です。 「五分五分と成人」ってところと「せっかく成人して来たのに皆出直してしまう」ってところがず~っと僕の心に引っ掛かってました。でもこれまでの自分の通って来た道を思案すると・・・そんなところをお話しします。 先ずは【教典第三章 元の理】 【~前略~最初に産みおろされたものは一様に五分であったが、五分五分と成人して、九十九年経って三寸になった時皆出直してしまい、父親なるいざなぎのみことも身を隠された。しかし一度教え

          7:五分から産まれ五分五分と成人

          6:節から芽が出て神殿普請が始まります。

          ここんとこ忙しくて、久し振りにPCを立ち上げました(汗) さて前回は土地の事情が治まったところまでお話しましたねえ~(笑)続きです。宜しければお読み下さい。 さてややこしい~土地の事情も治まり、(達也40歳の頃です)いよいよ夫婦揃ってコツコツ『布教生活の初まりだ!』って勇んでましたが、今度は雨・風が強い嵐の様な夜中に「バリバリ~!」「メシメシ~!」「ドカ~ン!」っと爆音と共に屋根のトタンがお隣さんの庭に飛んで行きました~(涙)しかも4枚!家内と雨の中びしょびしょに濡れながらト

          6:節から芽が出て神殿普請が始まります。

          5:独りぼっち卒業~配偶者を与えて頂き2人でお道を歩みはじめます。

          突如教会の土地の借金を抱えた僕に縁談のお話が!本人ビックリです。以前にも紹介した親的存在の青川先生(仮名)が、「会ってみないか?」と紹介して下さった。当時僕は仕事はしてない、車は持ってない、お洒落な服着てない、もちろんお金もなく、住んでる家はボロボロの教会(笑)おまけにその教会の土地の借金が・・・「彼女なんて出来るわけない!」って自分が一番わかってました。どうせダメだろ~って気持ちで青川先生(仮名)の言われる待ち合わせ場所へ行ってお会いしました。家族みんなで教会に住み込んでる

          5:独りぼっち卒業~配偶者を与えて頂き2人でお道を歩みはじめます。

          4:独りぼっちで横浜の布教生活がスタートします!

          23歳の秋・・・大教会長さんの『鶴の一声』でとうとう横浜へ来てしまいました(笑)教会へ着いたのは11月末の寒い雨の夜でした。もぬけの殻になってた教会は真っ暗で誰も居なくてシーンとしててトタンの屋根を打つ雨音だけがポツン!ポツン!と聴こえて寒かったな~淋しかったなあ~(涙)そんな横浜生活の始まりです。「仕事はするな!」っと言うボスのお言葉なので毎日毎日にをいがけに歩くしかする事がなく、ウロウロとよく横浜の街を歩きました(今でも歩き廻ってますが・笑)土地勘がない・知らない土地だっ

          4:独りぼっちで横浜の布教生活がスタートします!

          3:天理教校専修科を卒業し、詰所での青年勤めが始まりました。

          中学生の頃に我が家に神様が来て(祀られて)何となく始まった天理教の信仰もいろんな事があったが、約10年ほど経って【天理教校専修科】を卒業し詰所の青年さんを努めるように成った。不思議なものだ・・・ 専修科の同級生がみな大教会へ行ってしまって、ポツンと残された僕は淡々と与えられた御用に励んだ!詰所青年の御用は主に事務仕事です。第一に信者さんの受け入れ・掃除や部屋の片づけはもちろん雑務が多い勤めですね~信者さんの受け入れで大変だったのが、帰って来られる教会の先生や信者さん方々の教会

          3:天理教校専修科を卒業し、詰所での青年勤めが始まりました。