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5:独りぼっち卒業~配偶者を与えて頂き2人でお道を歩みはじめます。

突如教会の土地の借金を抱えた僕に縁談のお話が!本人ビックリです。以前にも紹介した親的存在の青川先生(仮名)が、「会ってみないか?」と紹介して下さった。当時僕は仕事はしてない、車は持ってない、お洒落な服着てない、もちろんお金もなく、住んでる家はボロボロの教会(笑)おまけにその教会の土地の借金が・・・「彼女なんて出来るわけない!」って自分が一番わかってました。どうせダメだろ~って気持ちで青川先生(仮名)の言われる待ち合わせ場所へ行ってお会いしました。家族みんなで教会に住み込んでるバリバリ天理教の彼女は素直で真直ぐで可愛い女の子でした(今では想像もできないが:汗)それから何度か会ってる中、トントンと話しが進み結納・結婚となりました。横浜へ来てちょうど5年目(28歳)の事です。式を自教会でして披露宴は青川先生(仮名)の紹介で会場を借りて手作りでしました。その会場になんと大教会長さんが大阪から駆けつけてくれて祝辞を・・・有難い事です。上座に座ってた上級の会長さんは大慌て(笑)後日大教会長さんにご挨拶に伺うと、これまた『鶴の一言』が・・・「達也~仕事しろ!自教会・上級教会のおつとめは欠かしたらあかんぞ!」(送り出す時は仕事したらあかんって言うたやん~!)
ってな事で、2人で歩む横浜布教が始まりました。朝夕一人で拍子木を叩いてましたが太鼓が鳴るようになって大喜び!嬉しかったなあ~。僕は仕事をする事になり、そうです教会の土地の借金返済のためです!でも自教会の祭典日・上級教会(大阪)の祭典日に移動や準備など考えたら、なかなか仕事が見つかりませんでした。それでもやっとの事で雇ってくれるところを見つけて必死に働き、せっせと上級教会へ土地の借金を送り続けました。そんな中子供(3人)を授けて頂き、教会の御用に仕事に子育てにと、忙しくて、辛くて、貧乏でしんどかったけど、それでも楽しく毎日笑顔でした。「水を飲めば水の味がする」って程じゃないけど、ほんと貧乏だったなあ~(今でも貧乏ですが:笑)横浜にも知り合いが出来て、近所の方々にも助けられて、徐々に教会にも人が集まる様になりました。有難い道中でした。
お道でよく使われる『堪能』って言葉があります。『我慢』と比べられますね。意味は違いますけど『堪能』と『我慢』はセットの様に思います。僕は『堪能』って言葉が好きではありません。辛い事や、声を出して泣きたい事は誰でもあります。そんなときは無理せずに、声を出して「嫌だ!辛いんだ!悲しいんだ!」って言えばいいし、大きな声で泣けばいい。そして自分の与えられた道を踏ん張って『我慢』して通れば良いんです。『我慢』して通った人は「あの時『我慢』して、辛抱してお道を通って良かったなあ~」って思えるんです。そうして『我慢』の道中を良かったと思えた人は親神様に『我慢』して通った道を『堪能』として【理】を受け取って下さるのではないかなって思うんです。『我慢』してお道を通った僕はそう思います。ここで書ききれない『我慢』いっぱいありましたよ~。でも『我慢』して良かったなあ~って思えてますから・・・
教会の土地の事情は約10年で完済!達也40歳の頃です。上級教会への返済が終わり、これで誰にも「出て行って!」って言われなくなりました。さあ~これでまた仕事を辞めて一からにをいがけの日々だ~!嬉しいな~有難いな~って思ってたら、親神様は僕たちを更に成人へと導くために次なる【節】を与えてくれました。勘弁して~!って言うような大きな【節】を・・・続きは次回に書きます。
今日もお読み頂きありがとうございました。

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