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単なるキッカケ - こころの治癒④

(心のカタチより)

前回「記憶のチカラ」をお話しました。
その”記憶のチカラ”は、記憶(しあわせ)を引き出すことがこころの自己治癒を促すチカラになる話でした。

人の心は幸せを感じている時、そうでない時でそのチカラの使われ方が分かれます。

人は”心を知らない”がために心が不安定な状態にあります。その不安定さがこころの自己治癒どころかこころを病(やま)すチカラに記憶が使われてしまいもします。

それはこころの使い方、云い替えれば記憶の使われ方に気づいてないだけなのですが、不安定な心では自分でそれに気づくことが出来ないのです。

”人”と云う字は互いに支え合った形をしてますが、それは人が誰かと心を支え合えなければ、”人”は成り立たないと意味します。

それには、誰もが知る”心を支え合う”という単純なことでなく、記憶を引き出し合えてこそ成り立つを不足してます。

「こころを知る」

人は自分が”幸せになりたい”と思ってます。それは心がそう思っていると知ってます。ただ、そんな心をどのように使えば良いかを知ってません。

それは。
自分が”幸せになりたい”と思うだけでも感情を湧かします。自分は”不幸なんだ”と思っても感情を湧かします。自分が”どうしたらいいのか”考えていても感情を湧かすのです。そう。どれもこれも感情を湧かすことばかりを自分自身でしてしまうのです。それは、心が不安定だから当たり前にそうさせます。

”人は独りでは活きられない”

この独りでは活きられないには、自分で自分の心を知ることができないと云う意味があります。それには、不安定な心では何をやっても感情を湧かす理由を造るからです。

感情は、自分独りで”自身のこころ”に気づけなくさせるのです。

本来、自分の心にある”思い出”は自分の意思で自由に引き出せますが、それをさせないのが感情であり、心に計り知れない負担をかけることにチカラを使います。

そんな状態となれば、それを引き出すことが出来るのが相手となる”ひと”が必要となります。

”ひと”は自分に対し、良くも悪くも心を揺さぶることが出来るのです。それは自分も”人”に対し心を揺さぶってしまった経験から判るはずです。”揺さぶる”と言うと聞こえが悪いですが、不安定な心の状態では”ひと”に揺さぶってもらうことが、”想い出”を引き出してくれます。

それが”こころを知る”術(すべ)です。

「こころの何を知るか」

”思/想い出を引き出す”と云っても、ここでは”こころの記憶”を引き出すことを意味します。その記憶とは心の中心にある気持ち”幸せ”を感じることです。

”こころの記憶”は、不安定な心でも”幸せ”を感じる術になります。そこに自身が幸せと感じるなら「気持ちのままに」を知ります。そうでなければ感情に囚われた自分を知るのです。

ところで、自分にとって”幸せ”って何ですか?
幸せと言ってもそれが何か解ってなければ、それすらも判断つきません。もしかしたら幸せは”幸せ”としか知らない人も多いかも知れませんね。

ただ。人は”嫌”なことはよく判っております。嫌=不幸(幸せでない)と判るからです。ならば、”嫌”と思わないことを”幸せ”となります。

自身のこころから”嫌”がなくなれば感情を湧かすこともしなくなれるのです。

”こころの何を知るのか”
それは『こころが嫌がってないか』判れば十分です。

「単なるキッカケ」

前々話から長々と”思い出”を引き出す話から”こころの記憶”を使う話をしてきました。それは思い出を引き出すだけでは”こころの治癒”にはなりませんが、感情に囚われている心に唯一気づきを与える術を持ていたのです。

その気づきは、自分の心が”嫌がっているかどうか”を知り得ることで、自身が”幸せか不幸か”を気づかせ正すのです。

要は”感情に囚われてた心を気づくのも自分、我に返すのも自分”と云うことです。

誰の心にも”幸せになりたい”はあります。
その感情は自分自身のためにあり、その感情を使うことで心が正すチカラになります。人はそのチカラを実感することで心を自分の”もの”とし扱えもすれば、我に返す”こころの治癒”へと働くのです。

自己治癒とは、もともと人が持っている治癒力が働くことです。その源から”幸せになりたい”と思いが溢れてます。源とは気持ちであり、その気持ちが幸せになることが”納得”と云う治癒になるのです。それを無視して自己治癒はありえないのです。

自分たちは相手に対し”良かれ”と言葉を掛けをします。それは”納得”とはならず感情を逆撫でしていたのはそんな理由です。人が言葉を与えっることはあっても、引き出す”もの”が違えば感情を引き出すだけとなります。

本当に相手のことを想っているなら何もしてはイケないのです。何もしてはイケないとは、知らず知らずに”命令”となる言葉は掛けない方が良いと云うことです。

人は命令では動けないのです。
人は感じてこそ自分から動きだすのです。

だから。
出来るのは感じさせるだけ。それで十分です。
それが”単なるキッカケ”となりこころを揺さぶり、自身が本音を感じれば自然と動きだすのです。

単なるキッカケは、相手の心に”幸せな”を感じさせるだけで「気持ちのままに」自分(われ)を取り戻すのです。それ意外は感情を引き出してしまうのです。

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