【読書感想:超深掘り】「おいしいごはんが食べられますように」を味わう その4
こんにちは。しゅんたろうです。
このエントリは連載で、以下の本の感想を書いています。
2022年芥川賞受賞作品
「おいしいごはんが食べられますように」
(著:高瀬 隼子)
現代社会に渦巻く心の闇を、すごく上手に切り取った作品です。
読み終わったあと、心にモヤモヤが残るんですが、
それを丁寧に解いて言語化していくと、様々な気付きが得られました。
私がこの本を味わった感想を書き残します。(その4)
※※※ 以下、ネタバレあり。 ※※※
(NGな人は、本を読んでから見てね。)
そこそこうまくやる二谷の問題
今回は「二谷さんの問題」について考察します。
二谷は、押尾と芦川から好意を抱かれ、芦川と付き合い、
職場でもそこそこうまくやっています。
一方で、「食事とは面倒くさいものである」という価値観を持っており、文学について好きだという気持ちに蓋をしており、「芦川にいじわるをしないか」という押尾の提案を飲み、芦川の手作りお菓子をぐちゃぐちゃにしてしまうような一面があります。
3人の登場人物の中でも、二谷目線の文章が多く、物語の中で一番中心的な人物として描かれています。
そんな二谷の問題はなんだったのでしょうか。
○二谷の問題
私は、二谷の問題は大きく3つあると考えています。
物語の中では、二谷という存在が、すごく性格が悪い人のように感じるかもしれません。
しかし、その1つ1つを考えてみると、程度の差はあれ、誰しも共感できる部分があるように思えるのが、この作品の面白いところです。
ちなみに③については、どちらかというと「生産性を重視した現代社会の副産物」だと考えているので、別エントリで書こうと思います。
今回は①②について、詳述していきます。
○「そこそこうまくやっている」という他人軸の人生
「職場でそこそこうまくやっている二谷」という本書の紹介文は、二谷というキャラクターを的確に表現していると思います。
「そこそこうまくやっている」って、周囲や世間一般をモノサシにした客観的評価でしかないんですよね。
二谷本人が、やりがいや充実感を持ちながら、日々過ごしているかと言えば、そうではありません。
周囲や世間の雰囲気に流された結果、いまの職場で働き、そこそこうまくやれているけど、それって、他人軸で歩んできた人生ですよね。
そうして溜まった鬱憤を別の形で発散させた結果が、居酒屋やカップ麺、お菓子ぐちゃぐちゃ事件なのではないかと私は考えました。
○【ケース1】進路の葛藤
二谷自身の興味を知れる、進路の葛藤エピソードがあります。
本当は文学が好きだけど「就職には経済学部が有利」と聞いて、大学受験で経済学部に進学したことを、心のどこかで未練を持っています。
それは「自分の好きを追求すること」と「将来自立できる可能性」を天秤にかけたときに、後者を取ってしまったことに対する後悔です。
しかし、二谷はその後悔する気持ちを、自分で認めてはいません。「自分の好きを追求したからといって、それで仕事をできるとは限らないだろう。当時の選択は、それで良かったのだ。」と信じようとしています。
多くの人が経験する進路の葛藤を、とても端的に表現しているエピソードだと思います。
○社会や周囲に合わせるということ
「企業に就職して、社会人になる」ということは、
「自分で働いて、稼いだお金で生活をする」ということであり、
「社会や集団のルールに従って、生活をする」ということです。
たしかに二谷は、その点において「そこそこうまくやってる」と思います。
しかし、社会に出て数年も経てば、その生活にも慣れます。
そこで初めて気付くのです。
「周囲の期待に応えて、ここまで来たけど、これから先、自分は一体どうしたいのだろう?」と。
自分を我慢し続けて、周囲に合わせ続けた結果、自分というものがよく分からなくなってしまう。
そして、自分より恵まれた人や、自分軸の人生を生きている人を見ると、嫉妬してしまう。好意を素直に受け取れない。
そして、言い訳を探す。
「あいつの分まで、しんどい思いをして仕事を頑張ってるのに、あいつは呑気にお菓子を作って、良いご身分だ。」と。
○理想と現実の狭間
社会や集団のルールを守ることばかり教えられて、
いざ自立してみたら、自分がなにがしたいのか分からない。
とても皮肉な話です。
しかし、そういう人たちは、今の日本でたくさんいると思っています。
「生徒は先生の言うことを聞きなさい。出る杭は打たれるぞ。」
「いい学校に入って、いい会社に入れるように勉強は頑張ろうね。」
「夢を持て。お前は何がしたいんだ。」
「現実を見ろ。そんなことやってても食っていけないぞ。」
「公務員や大企業が安定だ。親を安心させてくれ。」
それで、メンタルを病んでいる人が多いんだもん。
うーむ、現代社会の闇が垣間見えます。。。
○自分軸の人生で生きることの大切さ
私自身、メンタルを病んだこともあります。小学校の娘もいます。
不条理に満ちた社会の中で、自分らしく生きていくためには、以下のように考えています。
それが私がメンタルを病んだ中で、気付いたこと。
そして、これからも娘に伝えていきたいと考えてることです。
★★★
少し横道に逸れましたが、今までの話を要約すると、こうなります。
二谷は文学ゼミ仲間とのトークラインに、傍観者ではなく参加者になることで、自分の「好き」と向き合えるのかもしれませんね。
○【ケース2】二谷の心情描写
さて、話を元に戻します。
二谷の問題について、今までは周りの空気に流されて「自分がどうしたいのか分からない」という点を取り上げましたが、続いてもう1つの問題を取り上げます。
それは、「自分がどうしたいのかは分かっている。でも、それを相手に伝えず、自分の心の内にしまう。」という問題です。
作中では、芦川の作った手作りお菓子や、職場での送別会のシーンなど、「食事に対して、こんなネガティブな表現ができるんだ。」というくらい、食事を通して、二谷の心情描写がされているシーンがいくつか登場します。
そのときに、二谷が自分の食に対する価値観を、芦川に伝えることができれば、ここまでこじれた問題に発展することはありませんでした。
しかし、それは「自分の意見を引っ込める」という行為の積み重ねによって、生じた出来事です。
ここにも多くの人が経験したことがあって、否定できない感情があることで、読者を悶々とさせてくれます(笑)
○空気を読んで、本音を言わない日本人
空気を読んで、自分の意見を引っ込めること。
日本人に多そうですよね。元々、個より集団を尊重する文化だし、「同調圧力」なんて言葉もよく聞こえてきます。
なぜ二谷は、芦川に直接そのことを言わなかったのでしょうか。
その方が「その場が円滑に進むから」と考えたのではないでしょうか。
自分が我慢すれば、その場は丸く収まる。
社会や周囲に合わせながら、そこそこうまくやっている二谷にとっては、いつも通りの行動と言えるでしょう。
ただし、食事に対する価値観の相違は、一時的に我慢すれば過ぎ去る問題ではなかった。それが、二谷のモヤモヤを大きくして、我慢の限界を迎えます。
本音を言わず、自分の中にモヤモヤを溜こんでしまうと、それを発散する場が必要になるのです。そして、それが二谷にとっては、居酒屋であり、カップ麺であり、お菓子のぐちゃぐちゃだったのだと、私は考えています。
○個人と集団を天秤にかける
「自分」というものをなくし、社会の歯車として働いていると、自分が何のために生きているのか、分からなくなります。(「忘」や「忙」は、どちらも"心を亡くす"と書きますよね。)
一方で、前述した通り、社会の中で生活していくためには、集団のルールに従い、相手の気持ちを考え、空気を読むことも大事です。
個人を尊重するか、集団を尊重するか。
結局、二者択一ではなく、バランスの問題なんですよね。
○双方の歩み寄りが必要
二谷が嫌々ながら振る舞われたケーキを食べること。
個人がめちゃくちゃ我慢してでも、集団の空気や決定を重視するか。
これについては、「個人が打ち明ける努力(勇気)」と「集団が個人の意見・発言をしやすい空気にすること(心理的安全性)」の両方が必要だと思います。
少なくとも、作中で「個人が打ち明ける努力(勇気)」は二谷から感じられなかったかな。
その場の流れに身を任せていては、自分の人生を歩めず、何のために生きているのか分からなくなるぞ。頑張れ、二谷。
今日のまとめ
そこそこうまくやる二谷の問題について考えました。
その中で私が得られた気付きは、以下のとおりです。
さすが主人公の二谷。
現代社会で暮らす人々の葛藤を上手に描いている✨
これで主な登場人物3名の深掘りは終わったので、次は物語がハッピーエンドにならなかった環境要因について考えてみたいと思います。
ではまた!
しゅんたろう
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