穴掘り研修のススメ
当社では新人研修の一環として、地面に穴を掘る研修をお客様に勧めています。比喩ではなく、文字通り地面に穴を掘って埋めるだけの研修です。こう書くと、「今時流行らない昭和の発想」だとか「パワハラだ!ブラックだ!」とか騒ぐ方々が出てくることが容易に想像出来ますが、これにはちゃんとした理由があるのです。
地面に穴を掘って埋める、という行為そのものには何の意味もありません。肉体的には想像を絶するほどきつく、だいたい二泊三日でやって頂くのですが心身ともにヘトヘトになります。場合にもよりますがだいたい4~5メートル四方で深さ2~3メートルの穴を3~4人のチームで掘ってもらいます。そもそも、穴を掘る場所を探すことからこの研修はスタートしますので、新人たちは知恵を巡らせて、どんな場所だったら穴を掘らせてもらえるか考え、あちこち電話したりメールして候補地を探し出し、交渉しなければならないのです。これは言うは易しで、実際に穴を掘る許可を得るというのはそうそう簡単ではありません。しかも、なぜ穴を掘るのか、その意味や意義といったことは一切、新人たちに事前に伝えないようお願いしてあるのです。
ほとんどのケースで似たような展開になるのですが、初日の午前中に穴掘り場所まで移動し、午後から掘り始めます。もちろん重機を使うわけではなくスコップでひたすら穴を掘ります。威勢が良かった新人達も夕方には手が痺れ足腰がギシギシいって、話すことすらしんどいという状況になります。初日の夜は本当につらく不満たらたらで逃げ出したくなる新人が続出します。
二日目の午前、疲労がピークになります。昨日の疲れが抜けないまま穴掘りが続き、手にマメは出来るし全身疲労で汗だく、昼近くになると弱音を吐いて脱落しそうな人が必ず出て来ます。しかし不思議なものでこのタイミングになると、どこの企業でも必ずチーム内で他の人を励ます人が出て来ます。疲れた人を休ませてあげたり、声を出して他のメンバーを勇気づけたりするのです。また、役割分担を考える人が出てくることも多いです。掘る人と堀った土を運び出す人、地上にあげた土を邪魔にならないよう移動させる人といった具合です。順番に休憩を取りながら穴掘りを進めるチームも出て来ます。
そして二日目の午後、だいたいどのケースでもチームワークが機能し、穴掘りのペースが高まってきます。全員で声を掛け合うようになったり、他のチームにちょっかいを出す余裕が出てきたりするのもこのタイミングです。二日目の夜は、皆が意気軒昂になり、一日前の夜とは打って変わってわいわいガヤガヤ、明日はどうやって穴を完成させようかとか、色々な話が出てきて盛り上がるのです。穴の完成が楽しみだという話になり、なぜこんなことをしているのかという疑問はどこかに消えています。
最終日の午前中はラストスパートです。多くのケースで三日目の昼に期限を設定していますので、残り数時間で穴を掘り切らなければなりません。もちろん身体の疲れはありますが、それを上回る気力に満ち溢れ、信じられないくらいの手際の良さとスピードで穴を掘り進めることが多いです。そして最終的に穴が完成し、全員で拍手しメンバー同士で抱き合ったりするのです。人事の人が用意した缶ビールで「穴に乾杯!」とまで言うチームもあります。涙を流す新人も少なくありません。
過去多くの企業でこの研修を取り入れてもらいましたが、結果はほぼ同じで、参加した新人たちの定着率は非常に高く、また仕事で活躍する割合も極めて高いのです。今の時代背景もあり全員強制にするケースはほぼ無く、希望者のみで実施しているという面もあるのですが、参加しなかった新人達とのパフォーマンスの差に驚かれるケースも少なくありません。
実はこの研修は「ある集団の帰属意識、結束力の高さは『通過儀礼』の厳しさ、無意味さに比例する」という人類学で証明済みの原理を活用しています。レヴィ・ストロースを始めとする人類学者たちが、古今東西あらゆる民族集団の調査を重ねた結果、その集団に属することだけを目的とした通過儀礼(刺青を入れる、バンジージャンプをさせるといった行為)が、苦痛を伴うものであればあるほど、そしてその行為自体が無意味であればあるほど、その集団の結束力、つまり集団として生き残る力が高まるということが分かっています。もちろん今の時代、肉体的苦痛といってもケガをさせたりすることは許されませんが。
つまり新人達は、なぜこんな意味のないことをやらなければならないのか、という心理状態からスタートするのですが、だんだん疲れて無の境地に至り、さらに次第に目的に向かって仲間を助け、協働しながら全員で達成するという、組織として不可欠なチームワークと達成の喜びを身に着け、自発的に活動するようになるのです。しかもメンバーの強みと弱みを全員で認識し、役割分担を意識して個人ごとの強みを生かせる適材適所を自然に成立させていきます。これこそが、実は狙いなのです。
終了後、参加した人はほぼ例外なく「みんな参加すれば良かったのに」との感想で「この研修に何の意味があったのですか?」と質問が出たことは一度もないそうです。今の時代環境から誤解を受けやすい研修であることは百も承知ですし、絶対に事故が起きないよう配慮しておくことも不可欠ですが、本当に効果のある研修としてぜひお勧めしたいと思います。むしろ役員でこの研修をやりたいと話す経営者もいるくらいです。もっとも私自身は、もう穴を掘れる体力があるとは思えませんが。