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R (あの時、僕たちは人生のコーナーに居た) 第五章 友情

【あらすじ】

 時代は昭和の終わり。 
 誰もがこの豊かな時代に歓喜をしていた。虚像が渦巻く好景気に大人は騙され、子供はその恩恵に授かり続けていた。 

 この物語は、少年から大人へと、人生のR(コーナー)を迎えた5人の少年たちの葛藤を描いた、一夜の青春群像物語である。
 成人式を迎えた日、仲間の一人が「今夜で走り屋を辞める」と他の4人に告げた。
 このことから、少年たちはバイクに車、そして恋愛と友情が織りなす中で、大人になることの答えを考え始めた。
 やがて夜が訪れ、峠に集まった5人の仲間は、お互いを理解しあいながらR(コーナー)を攻め続ける。そして、人生のR(コーナー)へと飛び込んでいくのだった。

【登場人物】
光司(コウジ) :主人公
卓也(タクヤ) :光司の親友。高校時代の同級生
春樹(ハルキ) :光司の親友。高校時代の同級生
晃(アキラ)  :光司の友達。走り屋仲間
比呂(ヒロ)  :晃の年下の友達。走り屋仲間

裕美(ユミ)  :光司の恋人
洵子(ジュンコ):卓也の恋人

勇次(ユウジ) :走りや仲間。光司をライバル視



第五章 友情

昭和61年1月 成人の祝日 午後10時


 
 大阪府と奈良県に跨る生駒の山。
阪奈道路からその山を駆け上がると、登山口ICが見えてくる。ここが、阪奈道路の最高地点だ。そして、その傍にある小さな駐車場が、光司たちの溜まり場となっていた。 

 一番早く、この駐車場に到着をしたのは、ガソリンスタンドのアルバイトを終えてから直行をしてきた、春樹のホンダCR―Xであった。
 そこに光司が到着をすると、春樹はバケットシートに座りながら、店長からもらった菓子パンを頬張っていた。
 春樹の車の右側に並べるように駐車すると、助手席のウィンドを下げて軽く左手で合図をした。口の中いっぱいに放り込んだ菓子パンのおかげで、彼は声を出せそうに無かった。光司はそんな春樹の顔を見て、心の休まる安心感を持った。
 「やっと夜が来た」と心の中で呟く。先ほどまで、裕美が座っていた助手席を見つめる。もう、裕美の姿はなかったが、その残像だけはまだ見て取れた。
「明日の夜、夜景を見るために生駒の山にいこう」と言った時の、嬉しそうな裕美の残像であった。光司はその残像に満足をして、胸のポケットからタバコを一本引き抜いた。ZIPPOのライターのフタを2・3回「カチ、カチ」と鳴らすと火をつけた。そして、目の前のパネルに目を遣り、安定した回転数を確認すると、大きく煙を吐き出した。

 そこに、卓也のブルーのシビックSiが到着をした。
卓也はいつも通り、光司のシビックSiの右横に停める。光司と春樹は、卓也が到着をしたのをみて車から這い出した。
 この駐車場は、標高642Mの生駒山のほぼ中腹に位置している。
1月15日。日中は晴れ渡ってはいたが、さすがに夜になると空気は冷え切っていた。車内との温度差に、3人は全身の身震いが止まらなかった。白い息を吐きながら、誰もがタバコを口に咥えていた。タバコの先に現れる小さな炎。その赤い色に、僅かな暖かさを求めていた。そして、3人は小さく固まりあい、手をこすった。

「どうしたんや卓也、あまり元気が無いなあ?」

 卓也に春樹が遠慮なく聞く。
俺も「当然、昼間のことを引きずっているだろう」と、気に掛かけ
ていた。

「卓也、まだ光司のことを引きずっているのか」

 まるで自分に気を聞かせたかのように、春樹が代わりに聞いてくれた。この時、光司は知る由もなかったが、春樹はアルバイト先でもあるガソリンスタンドの店長と話をしたことで、随分と気持ちの整理が付いていた。今夜で光司が走りを辞めることに対して、春樹自身はすでにわだかまりを持っていなかった。

「いや・・・・・・」
 
そう、小さくつぶやいた卓也ではあったが、まだ光司とは一度も目を合わせようとしていない。

「光司は光司や。たとえ走るのを辞めたとしても、俺たちは何にも
変わらないやろう」春樹が卓也に諭すように話す。
「ああ、そのことはもう気にしてない」

 卓也の一言が俺に刺さった。朝から腹の底に居座っていたおもり
が、一瞬で消えさる。ただ、卓也の態度はまだ少し煮え切らない。しかし、それも阪奈道路が解消してくれるだろう。光司は口には出さなかったが、心の中で卓也に感謝を述べた。

 その時、無数の甲高いマフラー音が聞こえてきた。
それは、原付バイクを乗り回す、阪奈道路デビュー組みの高校生たちだった。光司と卓也も通過をしてきた道。2人で始めてバイクの免許を取得した高校1年の夏。懐かしい記憶が蘇ってくる。思えば、二人でこの阪奈道路を走り始めてから5年になる。

 「懐かしいな、卓也」
 「ああ」

 素っ気のない卓也の返事。ただ、それはいつもの卓也の返事でもあった。相変わらず俯いたまま、小刻みにタバコを吹かしている卓也。しかし、光司は卓也との間には、もう何の隔たりもなくなっていることに気付いていた。

 そこに、晃のトヨタ「トレノ」が到着をした。
運転席側のウィンドウを下げて手を振る晃の顔が、妙に嬉そうである。それは、10年ぶりの再会を懐かしむほどの笑顔をかもし出している。そして、俺たちの車に並べて停めると、すぐに車から這い出してきた。 

 晃のスーツ姿に、落ち込んでいた卓也と春樹が大爆笑をする。夕方に一度は見ていたが、光司も笑い出さずにはいられない。
 そのスーツには、また一段とシワが入っていた。ヨレヨレにくたびれたスーツが、定年間近の疲れ切ったサラリーマンを感じさせる。そして、少し照れたような表情を見せていた晃も、次第に爆笑をする光司たちにつられて、顔を皺くちゃにして笑い出した。

 その時、晃の車の助手席から女の子が現れないことに気づいたが、もうこれ以上、晃を突っ込むことはしない。それよりも、この場を和ませてくれたことに感謝をした。

「光司、遅くなって悪かったな」
「夜は長いから安心しろや」軽く返事をする。
「阪奈道路をここまで上がってきたけど、今夜はたくさん集まっているで」
「そっか、成人のお祝いやからなあ」
「違うやろ、今夜は光司の卒業式やろ」

 晃の一言に、一瞬、ぎくりとした。また「気まずい雰囲気になるのでは」と心配をしたが、卓也の表情も変わらなかった。

「あれ、晃も光司のことを知っていたのか」春樹が晃に尋ねる。
「ああ、夕方、偶然会った時に聞いた」
「そっか」
「光司らしいやろ、俺は賛成やで」

 晃の一言に思わず、涙が出そうになる。卓也に春樹、そして晃の三人とは、将来どんな大人になったとしても、友達であって欲しいと願った。
 晃がタバコを口に咥えたので、光司は自分のライターで火を差し出した。いくらサービスをしたとしても、今夜のこいつらには足りないだろう。晃がタバコを吹かしながら、成人式会場での失敗談を自慢げに語り出す。その話を聞きながら、4人は愉快に笑い続けた。夜はまだまだ始まったばかりである。先ほどまで感じていた冷気にも、やっと身体が馴染んできた。

 その時、俺たちが寄り添う駐車場に、一台の車が飛び込んできた。
勇次(ユウジ)のトヨタ「AE86型レビン」(通称ハチロク)だと直ぐに解った。トヨタカローラのスポーツタイプとして発売されたハチロクは、走り屋にとってはシビックSiと双璧をなす人気の車である。

 光司は勇次の車を見るなり、「まずいことになった」と危惧をした。勇治も俺たちと同じ走り屋ではあったが、いささか仲間内からは嫌われていた。思わず春樹が光司のわき腹を小突いた。きっと、春樹もそして卓也に晃も、「まずいやつが来た」と察しているのだろう。

 粗暴が悪いのは、俺たちも同様ではあったが、勇次はほとんど仲間と徒党を組もうとはしない。いつも、一匹狼気取りではあった。ただ、そこには、彼が育ってきた家庭環境の影響があった。劣悪とまではいかなくても、貧しい家庭環境に育ったことだけは、仲間の間でも有名な話となっていた。

 勇次とはこの阪奈道路で知り合った。
その勇次の逸話として聞いているものに、中学生時代の修学旅行の一件がある。修学旅行に参加するお金が、勇次の家庭では工面できなかった。
 そんな自分の境遇に不満が募った勇次は、わざと事件を引き起こすことで、自分が修学旅行に参加できない、別の理由を作り出した。ただ、事件とは言っても、そこは中学生のレベルである。爆竹をぎっしり詰めたダンボール箱に、短い導火線を這わせて火を付けると、近所の派出所の窓から投げ込んだ。すると、中で勤務をした警官が、驚いて派出所から飛び出た際に、ころんでケガをした。警官のケガは軽傷に過ぎなかったが、勇次自身は補導だけではすまなかった。その後、教育委員会の偉い大人が、学校に日参しては勇次の対応を協議した結果、勇次の修学旅行への参加は取り止めとなった。

 確かに、走り屋は暴走族などではない。俺たちはそれぞれが一匹狼だと思っている。しかし、いつも一匹狼を気取っている勇次は、走り屋の中でも異質な存在ではあった。  
 その勇次が光司たちのグループに近づいてくるには、ひとつの理由があった。それは、勇次の光司に対する敵対心が、他ならないほど大きいことにある。そのため、勇次はこの阪奈道路で、光司を見つける度にバトルを挑んでくる。これまで、何度のバトルを繰り返しただろうか。
 もしも勇次が、「自分が今夜で走るのを辞める」と知ったのなら。
いやな予感が、夏の入道雲が湧き上がるかのように感じる。激しい雨が降る前兆でもある。

「今日こそ、光司を負かしてやるからな」

 早速、勇次が気色ばんで話し出す。その視線の先が、光司に向いているのはいうまでもない。光司は思わず視線をそらした。それでも、勇次の厳しい視線が、光司の右頬に突き刺さってくるのを感じる。古びた電灯がひとつだけ灯る、この小さく暗い駐車場で、勇次の視線だけが輝いているように見えていた。

「おい、足周りを見てみろや」

あまり関心のない光司たちを他所に、勇次が車の窓から乗り出しながら、自慢げに話しを続ける。 それでも、光司は勇次から目線を逸らして、興味の無いフリを続けた。
 
「P6(ピレリー製タイヤ)か。勇次、お金をかけたなあ」

 春樹が感心するかのように言った。
それを聞いた光司は、勇次に悟られないように、ちらりと目をやっ
た。なるほど、新品のタイヤが暗闇の中でも、黒く光り輝いている。正直、羨ましくは思ったが、間違ってもそれを顔に出すことはしない。ただ、勇次の気合の高さを目の当たりして、今夜だけは勇治とのバトルを避けたいと思った。

「今夜は成人式の夜やからなあ。まあ、大人への第一歩として、必ず光司に勝ったるから」 
 勇次がさらに意気込んで話す。それを聞いて、さらに光司は顔をしかめた。

「それなら勇次、絶対に今夜勝たないとあかんで。光司は今夜で走るのを辞めるんやからな」

 晃が思わず口を滑らした。
「おい」 春樹が晃に軽くパンチを入れる。晃も「余計なことを話した」と、直ぐに気付いたが後の祭りであった。 
 勇治には「内緒にしておくべきことだった」と、きっと春樹も思っていたのだろう。卓也も動揺をした顔を浮かべている。

「なんやて」

 予想通り、勇次が興奮して叫んだ。 
そして、車から飛び出すなり、光司に詰め寄ってきた。首にぶら下げた金のネックレスが揺れている。
光司は慌てて顔を上げた。そして、敵意をむき出しにした勇次の視線とぶつかりあった。光司は再び目線を逸らし、勇次に背中を向けた。とにかく、勇次の怒りを背中でやり過ごしたかった。

1月15日成人の日の夜。
暗闇の中で、冷たい空気が光司の背中に重く圧し掛かってくる。吐く息は益々と白さを増していた。そして、真冬の空気にも負けない勇次の冷たい視線が、光司の背中に突き刺さってくるを感じた。

 俺は思わず胸のポケットのタバコを漁った。そして、勇次に背を向けたまま火をつけると、肺の奥深くにまで吸い込んだ煙を天に向かって一気に吐きだした。
 天を仰いだ俺の目に飛び込んできたのは、冬の夜空に輝く満天の星だった。大阪の街のネオンも届かない生駒の山では、まるでネオンの灯りが夜空にちりばめられているようでもあった。

「どうしてや」勇次が突き刺すように話す。
「そう、決めたんや」光司は投げやりに言葉を返す。
「逃げるのか」 
「そうじゃない」 

そういえば今日のお昼、卓也に「走るのを辞める」と打ち明けた時、「裏切るのか」と言われたことを思い出した。そして今度は、勇次に「逃げるのか」と非難を浴びている。
 光司は誰にも気付かれずに、小さな舌打ちをした。そして、タバコを地面に投げつけると、荒々しく踏みつけた。  

「お前、ひとりだけ大人になったつもりなんか」
「そんなことやない」

 勇次の言葉が、光司の苛立ちを更に刺激する。そして、勇次の投げ掛けにも、頭で処理されることなく、口から投げやりな返答がでる。
 その時、勇次のストレートが左頬に飛んできた。光司はほんの一瞬、顔を右側にスウェーさせたが、間に合わなかった。ただ、顔に受けた衝撃は少ない。光司はすかさず、踏ん張った右側の足の反動を利用して、身体を勇次にぶつけた。そして後ろによろめいた勇次の顔に、お返しのストレートを入れた。

 その時、慌てて3人が仲介に入った。
勇次もそれ以上殴りかかってはこない。光司も気持ちを落ち着かせようと努力した。また、重たい沈黙が流れた。そんな光司たちとは関係なく、目の前の阪奈道路は走り屋たちが次から次へと通り過ぎて行く。

「勇次、俺は逃げたんやないから」
「だったら、どういうことなんや。きちんと説明しろや」
「上手く説明なんかできんのや」
「なんやと」
「ただ、いつかは辞める日が来るやろう」
「・・・・・・」
「俺だって毎夜ここに集まって、みんなと走っているのが楽しいに
決まっているやろ」
「・・・・・・」
「それはみんなも一緒やろが」
「それやったら、なんでなんや」
「だけど、いつまでも続けられないこと、みんなも解っているはず
やろ」
「・・・・・・」
「それが、俺にとっては今夜だけの話や」
「そんなことは解っている」
「それだけのことや」
「だからといって、どうして今夜なんや」
 
今度は、勇次が言葉を濁した。
光司に指摘されるまでもなく、いつまでも走れないことは、誰もが
知っている。ただ、誰もがその日を知るのが怖いだけだった。そのきっかけを、光司が作ってしまった。

「くそっ」勇次が足元にツバを吐いた。
「もう、ええやろう勇次」

春樹が勇次に声を掛けた。

「好きな時に走って好きな時に辞めていく。それで、いいやろう」 

春樹がこの場を宥めようと気を配る。

「それでも、突然すぎやしないか」卓也が重い口を開いた。
「それは、悪いと思っている」
「まあ、ええわ。昔から、光司は何をするのでも、いつも突然やっ
た」

 卓也が開き直ったかのように、明るく振舞った。その卓也の一言
で、場の雰囲気が変わり始めた。晃も口には出さないが、タバコを吹かしながらしきりに頷いていた。

「光司はこうして、いつも俺たちを引っ張ってきてくれた」
「そやそや」
「だから、光司が今夜で走るのを辞めることは認めることにする」

卓也が嬉しそうに語った。

「そうや、俺も光司が卒業するのを認める」それに晃も同調をする。
「ただ、みんなも解っているとおり、これは光司だけの問題やない。
俺たちそれぞれの問題のはずやろ」
「確かにそうやな」
「自分がいつ走るのをを辞めるのかなんて、人に指図されるものと
は違うはずや」

これまで、みんなが口に出せずにいた問題を、春樹が口にした。
ただ、それは自分に語りかけるかのようでもあった。

 ここに居る誰もが、自分の将来に不安を持っている。いつまで、阪奈道路におれるのか。不安に思うのも確かだろう。しかし、それを決めるのは自分自身であり、誰かに命令されるものでもない。それこそが、俺たちの自由の証でもある。

「あほんだら」

その時、勇次が大きな声で叫んだ。それはまるで、俺たちみんな
の叫びを一人で代弁をするかのような叫びでもあった。

「光司、先に走っているからな。タイヤも今のうちに慣らしとかな
いとあかんから」

 俺に向かって言い残すと、勇治は車に飛び乗った。そして、「86レビン」が鋭いエンジン音をたなびかせたかと思うと、あっという間に阪奈道路へと吸い込まれていった。

 勇次が去った後、急に戻った静けさに、光司たちは言葉を失っていた。しばらくしてから、卓也が俺に近寄りそっと話しかけてきた。 

「また洵子と喧嘩をした」  

 喧嘩の原因は聞かないでもわかる。
ただ「心配をするな」とだけを卓也に言った。卓也も光司からの、その一言だけを聞きたがっていた。 

 光司にとって卓也は本当の親友である。
青春ドラマのような、くさい台詞は吐けないが、ただ卓也とはいつまでも一緒にいたいと心から思っている。たとえ、自分が走るのを辞めても、卓也が走るのを辞めても、それが二人の友情を壊すことには決してならない。    

 大人は物事を無理に難しくしようとする。
まるで、難しいことを考えることで、大人の威厳を保とうとしているかのように思えてならない。むしろ、難しいことを考えすぎて、大切なものを見失っている大人になどなりたくなかった。単純な人間でも構わないから、誰に対しても正直に向き合える大人になりたかった。
 成人式を迎えた夜、光司はそれだけを願っていた。  

 ふと、光司は裕美を家に送り届ける時、信号が黄色に変わりブレーキを踏んだことに、裕美がひどく驚いていたことを思い出した。もしかすると、これからの俺は、黄色の信号でブレーキを踏んでいくことになるのかもしれない。ただ、黄色の信号で「ブレーキ踏むのか、それともアクセルを踏み込むのか」、それは自分自身で選択のできることに、光司は気付いた。
 社会のルールを守ることが、大人のあるべき姿と唱えるのならば、その世界でどのような大人になるのだろうか。まだまだ、光司にはイメージが沸いてはこない。 

 生駒山の登山口ICにある、古びた街灯が一つあるだけの小さな駐車場。そこで、光司たち4人は将来の不安と葛藤していた。
 暗闇の中で、ただ俺たちは黙ってタバコを吹かし続けていた。静寂が漂う中で、寒さで足踏みをする音、白い息を吐き出す音、そしてライターをカチカチと鳴らす音だけが僅かに響いていた。

「そろそろ走りにいかないか」

やがて光司は卓也に向かって静かに話しかけた。
そして、春樹や晃にも目配せをする。

「光司のラスト・ランに付き合ってやるか」

 春樹がみんなに向かって話す。それを聞いて、卓也も晃も静かに頷いた。春樹は右手を額に当てると、光司に向かって敬礼のポーズをとった。春樹につられて、晃も皺くちゃになったスーツ姿で光司に向かって敬礼をした。その二人の姿を見て、卓也の頬が緩んだ。
光司が真っ先にシビックへと乗り込む。ドアを閉めようとするところに、卓也が駆け寄ってきた。

「お前がここに来なくなっても、俺は残ることにする」

 光司はうなずくと、手を差し出した。そして、光司と卓也は笑顔で握手をした。光司が握り締めた力を強めると、卓也も返してきた。そして卓也に「ありがとう」と告げた。

(第六章 闘走に続く)



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