悟りとは?
そもそも「悟り」とはなんでしょう?
何を悟るのでしょうか、どんな状態なのでしょうか?
今回は自分なりの悟りについての考えをまとめてみました
皆さんにとって、悟りってなんですか?
結論を言ってしまうと、僕には、究極の悟りは、まだわかりません!
悟りへの道を歩んでいる途中なので、
学んでいく中で、悟りとは、こう言うことかと、感じています
僕の考えを読んで、皆さんの、
悟りについて考えるきっかけになれば、嬉しいです
この世界は、だいぶ、ぶっ飛んだ世界なので、
ちょっと日常や、常識を、離れて、妄想してみてください
悟りには、様々な解釈があるようです、
ここで言う悟りは、
個人的見解と考察、概念ですので、考え方は色々ありますので、ご了承ください
自分も含めて、悟りを語っていても、その人が悟っているとは、
限らないので、教祖様にご注意ください(笑)
個人的には、仏教的な悟りを探求しています
沢山の、聖者や、覚醒者の悟りのお話、
書籍やインターネットの情報などを参考にさせて頂いています
人間に生まれてきた目的は、、
悟るため??
悟った状態とは、、?
人が悟った状態とは、どんな状態なのでしょう?
悟りと言っても、様々な悟りの段階があるように、思いますので、
いくつか、「悟りワード」をあげてみたいと思います
心の解放の悟り
マインドの解放、概念の介入がなく、一切の囚われから解放された、絶対自由な状態
偽らない、ありのままの姿、体験をあるがままに観察している状態
生命、現象の流れと一致した、流れに身をゆだねる、森羅万象に帰属した状態
過去、未来、時間、空間の概念に縛られない、超越している状態
大宇宙との合一の悟り
全ては繋がっている
大宇宙と、自身の小宇宙が同一である
この宇宙を生み出したのは己であり、
自身の無限性に気づく、悟り
森羅万象、全ては、変化し続ける
実態のない変化し続ける世界、
この目に見える世界は幻想世界だと、悟る
ただ、「在る」ことを悟る
全ては、今、ここに在る。を悟る
ただ在ること、無為、自然、あるがまま、
存在、意識、至福
「本当の私を知る」悟り
無我の悟り
自我に気づき、真我に目覚める、悟り
私と言う認識はなく、私と呼べるものはない、
自分と他人を分離する、境界線もない、
あなたも、私、全ては、私、
存在そのものが私、全ては一つ
全てを、平等に、他と比較しない、識別しない状態、
全てが唯一無二の、完全であると、認識すること
悟りとは、差をとること、、
「さとる」なんて、表現されていたり。。
いわゆる、ワンネス的な状態??
僕の聞いたり、調べた、悟りの境地は様々な段階、状態があるようです
人は、悟ったら、幸せ?
そもそも、悟りを求めることが、悟れない状態を生み出しているのでは?
悟りや、目標、何かに、取り憑かれ、求めれば求めるほどに、執着すればする程に、
それは、欲望が叶わないとき、苦しみを生み出すと言う、
まさに求不得苦・・
求不得苦(ぐふとく‐く)
仏語。八苦の一。求めているものが得られないことから生じる苦しみ
例えば、
もっと幸せになりたい、お金持ちになりたい、もっとこれが欲しい
何々したい、認められたい、
などの強い欲望、執着が、あるうちは、
これは、そうでない現実を、(潜在意識に)強化してしまいます
強い執着、概念を手放した時に、気づいたら、叶っていた、と言うのが、個人的体験です
そんな宇宙の法則が働いているのかもしれません
執着のない、苦しみからの解放を目指しているのに、
悟りへの目標、、執着が心のバランスを失い、悟れない現実を生み出していく、、
まさに本末転倒ですね、、、(^_^;)
これに反して、執着、目標を持たないことは、
とらわれない心は、
楽で自由であり、心は穏やかで平静な状態です
目標をもたないように!と言うわけではなく、その目標が、自分を縛り、苦しめていないか、
その目標は、利他の心からのものか?を確認する事が大切です
結果に執着せずに、プロセス、
今を楽しみましょう!♪
もっと幸せになりたい!も注意が必要ですね、
自分は、幸せでない、と潜在意識にすりこんで、
いつまでも、幸せになれない現実をつくっていることに、、、(-_-;)
しかも、人間の欲望には、終わりがありません、何かを手に入れたら、また次に欲しくなります
足るを知ることを忘れずに、今に満足する心
結局、幸せと言うものは、探すもの、追い求めるものでなく、
すでに、今の自分に在るもの
与えられていること
感謝できることに気づくこと
自分以外の多くのものに、
生かされていることに気づくこと
そんなお陰さまの心でいる人は、
心豊かな人だと思います
悟りも、自分が、何者かを知ること、
まずは、自分は、○○だった!と思い出すことが、大切だと思います
悟っても普段の生活と変わらない?
禅のお話で、
悟る前に、薪を割り、水を汲む
悟った後、薪を割り、水を汲む
と言う、お話があります
ここでの話は、悟った人をただ表面的に見るならば、悟る前も後も何も変わりはないということです
しかし、その人の内面は悟る前と後では、根底から変化しています
内側の変化は、外側の変化をもたらします
悟りは人生のゴールではない!?
実は、悟ったからといって、
人生バラ色!もう一生楽して暮らせるぜ~!
僕らの考えるような、世俗的な、幸せで、楽な人生になるものなのでしょうか?
イエスキリストやブッダが悟った後、
平凡な暮らしで、人生を送りました、めでたしめでたし◎
と言うお話ではなかったと思います
イエス・キリストは、教えの伝導の旅にでて、多くの人々に教えを説かれました、
あえて、身分の低い人、苦しんでいる人達の中に入っていきました
そして、弟子に裏切られ、十字架に、はりつけにされてしまいました、、
お釈迦様は、王子様で、贅沢な生活の時もありました、
出家して、苦行生活もありました、
悟りを得た後も、多くの人々に
慈悲の心で、教えを説き続けてくれました
悟ることも大事ですが、
悟りの後に、何をするかが、とても大事ではないかと思います
ブッダの見返りを求めない、慈悲の心がなければ、
我々が教えを聞くことも、悟りに至る道も、分からなかったでしょう
教えを、説いてくれた、ブッダの生きざまが、
後の多くの人々を、心の苦しみから救い、
悟りに導いてくれたことが、本当に、ありがたいことです
つまり悟りによって、輪廻転生からは、解放されても、
人生においては、
悟り=人生のゴールではなく、
そこからまた、伝導の旅が始まっていく、と言うことです
輪廻転生はあるのか?
僕たちの人生は、母親から生まれたら、
人生のスタートでしょうか?
母親のお腹の中にいる時は、意識はないのでしょうか?
胎内記憶がある子供達もいるようです
学校を卒業した、なりたい職業になった、
結婚した、仕事を辞めた、、
老いて、死んでいく、、
何かが終わり、また何かが始まる、、
僕たちの人生は、とどまることなく、
常に変化のプロセスの中にあります
人間の概念で、過去、現在、未来と、節目をつけていますが、
我々の意識、本質は、
始まりも終わりもありません
今のこの瞬間しかありません
常に変化する循環の中にいます
水が、雨となり、凍って雪になり、川として流れ、海になり、蒸発して、また、雨になるように、
形は変わっても、水の本質は変わりません
輪廻転生、意識があるならば、この肉体が終わっても、また次の生命のスタートです
魂や輪廻転生をどうとらえるかで、何を信じるのかで、人生は異なるでしょう
僕は、臨死体験や幽体離脱したことが、ないので、死後の世界のことはわかりませんが
どちらにせよ、大切なのは、
「今」どう生きるか!?
と言うことになります
今の人生で、皆さんは何を伝えますか?
悟りは、定義、説明できるのか?
僕の聞いた悟りの境地は様々な段階、状態があるようです
お釈迦様の悟りが究極だとして、
お釈迦様の滅後、2500年以上たってしまって、
教えは、捻じ曲げられ、末法の時代に
そもそも、この究極の悟りを得た人がいるのか!?
俺は悟った!と言う自称ブッダは、世の中にはいますが、、、
果たして、本物かどうかは疑問です(-。-;
悟りにも、免許や、証明書が、あれば、、
わかりますが、、偽装できますね(笑)
実際、真理は、言葉で定義したり、説明できるのか?証明できるのか?
都市伝説のようなもので、
信じるか信じないかは、、、自分次第?
正直、机上の空論になってしまうのでは、、、
とりあえず、考えてもきりがないので、この疑問は置いといて。
仏教での悟りとは?
一般的な、悟りの解説は
悟り(さとり、梵: bodhi)とは、迷いの世界を超え、真理を体得すること。
覚、悟、覚悟、証、証得、証悟、菩提などともいう。
ウィキペディアより
迷いの世界を超え、真理を体得すること。。
迷いの世界とは、この3次元、相対世界、六道輪廻の世界のことでしょうか、
今日の晩御飯は何にしようか?
休みは何をしょうか?と、迷った時点で、殆どの人が迷いの世界ですね(笑)
それを、超えて、真理を体得するとは、、、??
この真理とは、なんなのか?
これでは、悟りについて、よくわかりませんよね、、、
これでは、悟りの定義は難しいですね、
よく悟りの境地は、言葉にできない、なんて聞きますが、、
ではお釈迦様は、どんな真理を伝えてくれたのでしょう?
仏教的な悟りとは?
お釈迦様のこの上ない、
完全な、無上の悟りとは、
宇宙の法則性の全体像
存在の本質を語っています
僕の大好きなお話に、「西遊記」と言う物語があり、
三蔵法師が、天竺にお釈迦様の経典を取りに行く物語、
玄奘三蔵は、仏教の聖典を求めて、中国からインドを周遊し、
インドや西域から『般若心経』など多くの教典をもたらし、翻訳、漢訳した僧侶です、
仏教的には、ものすごい功績のある、貢献をされている、感謝すべき、ありがたい僧なのです!
その西遊記の登場人物の、1人?(猿一匹)に「悟空」と言うキャラクターがいました、
とても強いのですが、お釈迦様の手のひらの上からは、抜け出せません
ドラゴンボールの主人公の名前も、悟空です、
なつかしいですね~
ドラゴンボールもかなりの宇宙感ですね、当時はかなり、はまりました(笑)
悟空は、「空」を「悟る」存在です
まさに、お釈迦様の悟った、「悟り」は
「空」
「真空の仕組み」
を悟ったのだと思います
この「空」とは、凄い言葉ですね
真理を一文字で表しています
「般若心経」にある、
色即是空、空即是色、~不生不滅のことです
「舎利子よ、色はすなわち空、空はすなわち色、
この世界は、生ずることも滅することもない」
色、物質要素(色)には、実態がない、、
「ある」とも言えるし、
空には、「何もない」とも言える、、、??
自分が認識している世界は、、
「なにもない」、、、??
わかったようで、よくわからない、、
既存の概念では、理解し難い、空の世界です
このお経を唱えているだけで、般若の智慧を、悟れたら、苦労しませんね、、
お経は、唱えることが、目的ではなく、
内容を考えて、理解することが大切だと思います
この「空」の世界を悟っていく事が、仏教では、大事な要素だと思います
さらに、最近の物理学では、この空を説明されています
今回は、長くなりますので、続きは、次の回にしたいと思います、
とりあえず、前半を読んで頂いて、ありがとうございます
次回も、悟りについて、深めたいと思いますので、よろしくお願いいたします☆
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