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メンタルの病気を受け入れにくいあなたへ

自分がメンタルの病気だなんて受け入れられない、受け入れたくないと思うあなたへ。

今日のポイントは、
・受け入れられない時期はあって大丈夫
・やがて病気を受け入れる時期がきて病気がよくなっていく
・それには段階があるから少しずつやっていこう

です。

私も最初は病気を受け入れられずにいました。だって・・・嫌じゃないですか。私は、めっちゃ嫌でした。
それは、私の中に偏見みたいなものがあったから、かなとも思います。
メンタルの病気は心の弱い人がなる、みたいな。
だから、私は弱い人間ではない!そんなはずない!と思って、思いたくて、受け入れられなかった。

あなたには、どんな思いがありますか?

結局、病気を受け入れられない私は、休職して最初のうちは必死で会社で行われる研修の勉強をしていました。
#全然休めていない
#本人は至って真剣
それくらい、休むことへの抵抗、働けなくなることへの抵抗があったんだと思います。

なぜなら、仕事を休むことなんて・・・ありえない!と思っていたから。
働けなくなることなんて、自分には起こり得ない!と思っていたから。

これまで、めっちゃ一生懸命働いてきて・・・むしろ休まずに、懸命に、まじめに働くことがいいことだと、それが自分にできることだと思ってやってきたのに。
そんな自分が休んで、働けないなんて、そんな簡単に受け入れられることではなかったんです。

だから私は、最初のうちは病気を受け入れられない時期があっていいと思います。
ただ、徐々に病気を受け入れていくことが、うつをよくしていくうえで、重要なポイントになってくると思います。

さて、そのポイントはふたつ。
①病気を受け入れたほうが病気がよくなりやすい
②病気を受け入れるには段階がある

①病気を受け入れたほうが病気がよくなりやすい
病気が治りにくい人は、病気と闘いがちだったり、抵抗していたりします。病気は自分の敵、よくないことだ、と思いすぎていると逆に病気はなかなかよくなりません。ずっと闘っている状態だから。ずっと闘っていると・・・疲れますよね。私が休職しながら勉強していたように、全然治療ができていない状況に陥ってしまうわけです。

ただその一方で、病気の自分を受け入れる難しさ、のようなものを感じていることがあるかなと思います。どうやって、病気を受け入れるのか。病気である自分を受け入れるのか。

私が参考にしたのは、「病気は自分を守ってくれたもの」という考え方です。
私は最終的に、下痢が止まらなくなって会社に行けなくなりました。電車に乗ることができなくなったんです。でも、私が下痢にならずに電車に乗ることができていたら、仕事に行き続けていたでしょう。下痢は私にとって休職に至る最後のサインでしたが、それまでにも、頭痛、めまい、不眠などたくさんのサインが身体から出ていました。
もう身体もこころも、何もかも限界だったのに、「会社には行かねばならない」とか「一回休んだらもう行けない気がする」とか思って行き続けていたと思います。その先に起こることは・・・私はもっと自分が危険な目にあったのではないかと思うんです。
あなたが仕事を休むに至った病気は、自分を苦しめる側面をもっているようにみえて、実はあなたの命を守ってくれたものかもしれません。少しでもそう思うと、楽になりませんか?

②病気を受け入れるには段階がある
いくつかの分類はありますが、大きく考えると「否認」→「受容」のステップをたどると考えておけばよいかと思います。
「否認」は、自分にとって不都合で好ましくない現実、不安や恐怖を感じる事実と直面したときに、それを否定する心理のことです。
つまり、今日の記事の前半に書いてある、「病気を受け入れらない状況」のことです。
そして「受容」は、その病気を受け入れた状態です。
#この受容がとても大事
そんな時期私にはくるのか?と思うかもしれません。ただ、その時期はやがてやってきます。

私の場合、明確に「受容」になったという感覚はありませんでした。でも、病気だから治さないといけないんだなという感覚に徐々に変わっていきました。
ひとつ大きなきっかけになったのは、リワークプログラムに通ったときに「同じ状況になる人がいる、ひとりではない」と思えたことはとても大きかったと思います。「自分だけに特殊なことが起こったのではない、自分だけが変なのではない」という安心感のようなものです。
もうひとつは、自分に起きたことを整理する中で「なぜ自分が病気になったのか」ということが少しずつみえてきたことも大きかったと思います。仕事のしんどさもあったけど、自分の直近に起きたこと、そしてそもそもの自分の考え方が自分をしんどくしているかも、といったことが少しずつみえてきたときに、「ああそういうことなのか」と少しずつ思えて、「受容」につながったと思います。達観したかのように「受容」したわけではありません。

なぜ「受容」すると病気がよくなる方向に向かうのか。
たとえば、貯金が少なくなってきたまだもうちょっと残高あるから大丈夫、ではなく、貯金がなくなってきたからどうしていくかな、と考えるほうが建設的な気がしませんか。
太ってきたけどまだ大丈夫、と思うより、太ってきたから痩せようかなと思う方が前進しそうな気がしませんか。
貯金が少ないとか、太ってきたという現実を受け入れると次に進めるわけです。

私は病気じゃない、病気になんかならない、違う違うと思って、病気じゃないポジションにいるよりも、「病気か、じゃあどうするかな」というポジションに少しずつシフトする。
#少しずつのシフトで大丈夫

自分の中に、大きく否定するもの(=病気)があるとしんどいと思います。少しずつ、受け入れていけたら楽になるのではないかと思います。

毎日を無理なくお過ごしくださいね。

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