好きを武器にする。続けることの大切さ
どうも、りゅうパパです。
昨日、息子と色々と話した。
息子は中学生になってから、なかなか学校に通えていない。おそらくイジメなどではなく、明確な理由はないと思うが、小学生の頃の厳しい先生のことを思い出したり、医者からADHDに対しグレーと言われる彼なので、他の生徒と同じように行動できないことに対する不安とか劣等感のようなものがあるのだろうか。
家にいても勉強は面倒くさいことなので、やる気が湧いてくるわけもなく、動画を見たり、ゲームをしたりして毎日過ごしている。毎日休日の彼に休日と言うと違和感があるが、土日だけは、所属する少年野球チームの練習に朝から出かける。
だから、人生のどん底でもないのが、逆になかなかもどかしい。
そんな彼が先週の日曜日に野球の練習をサボったこともあり、昨日、彼と浅草のバッティングセンターに出かけた。浅草から家まで歩いて帰り、帰宅後に一緒にお風呂に入りながら、諸々会話した。
風呂あがりTVを付けるとちょうど蜷川実花が「好きなこと」について話していた。
「パパはさ、最悪勉強しなくてもいいけど、何か好きなことを見付けて、それは全力で頑張ってほしい」
俺も勉強はしてこなかったので、勉強に対しては偉そうに言えない。普通のパパなら、勉強しない息子を不安に思うだろう。俺だってそうだ。不安だ。だけど、勉強ができなくても、なんとか生きてゆく人生も知っている。それに対し、息子の回答はこうだ。
「それは分かっている。だけど好きなことが何か分からない…」
確かに、好きなことを見付けるのは難しい。俺なんて特殊なもんで、絵が得意で大学に入り、絵を描いて就職するほうが、珍しい。
「俺はさ、独身のときに、午前10時から午後7時ぐらいまで、トイレを忘れるほど、夢中になって漫画を描いたことがあるけど、そうゆう、夢中になれるもんはないの?」
これは、俺のエピソードが極端すぎた。こんな奴はなかなかいないし、それに比べたら、自分の好きは好きじゃないのでは、と思っちゃうだろう。
案の定、息子はゲームも野球も宇宙も好きなはずなのに、一歩引いたスタンスで、客観的に自分の好きを評価する。
「マイクラは好きだけど、1日5時間ぐらいが限界だな」
「パパはさ、才能だって無くてもいいと思う。才能があれば上達の時間短縮はできる。けど、大事なことは『続ける』ことで、そのためには『好きだ』という気持ちが大事なんだよ。ハッキリ言って、俺は絵が天才的に上手かったけど、絵を描いていない時期もあるし、本格的に漫画家とかに挑戦しなかったから、俺より才能がなくても成功している人はいっぱいいるでしょ。失敗しても続けられる人が強いんだよ」
「大谷とかイチローは才能があって努力もしているから、すごいけど。才能がなくても努力して、プロ野球選手になった人はいそうだもんね」
「うん、絶対いると思う」
彼のいいところは、子供だましな会話じゃなくて、ロジカルに会話ができること。これも個性だと思うし、良いところだと思う。良い機会なので、それも素直に伝えた。
そうだよ。長所を伸ばせればなんでもいい。俺はそう思う。仮にゲームが好きなら、eスポーツの部活がある高校に入学して極めてもいいと思う。その先でそれを評価してくれるゲーム会社もあるかもしれない。勿論それを活かせない職場もある。大事なのは、好きなことを頑張って、それを評価してくれる職場や人などに出会うことだ。
でも、これは自分も言い聞かせたいかもしれない(笑)
もし、本当に好きなことが見つからないなら、逆に勉強するしかない。勉強が視野を広げてくれることもあるだろうし。勉強もできないで社会に出ていくとゆうことは、裸で冒険に出るようなもんだ。だけど、好きなことがあれば、それは武器になるはず。そうゆうこと。