『廻廊にて』生涯を通して《美》と《生》に向き合い続けた画家、マーシャ
発行年/1963年
『廻廊にて』は辻邦生さんの処女長編です。亡命ロシア人の画家、マリア・バシレウスカヤ(バは原作ではワに濁点)(通称マーシャ)が残した日記や手紙、それに友人の言葉を手掛かりに、画学生としてともに一時期を過ごした日本人の「私」が、マーシャの内的彷徨に迫ってゆく物語です。画家と言いながら生涯に数点の作品しか残さなかったマーシャにとって、《美》とは、《芸術》とは何だったのか、《生》の意味はどこにあったのか。マーシャの生きた軌跡をたどりながら、辻邦生さんは静謐な文章でそれを炙り出していきます。
物語はテーマに関するいくつかのエピソードからできていますが、中でも主軸となるのは、ドーヴェルニュ家という貴族の末裔、アンドレ・ドーヴェルニュという少女との出会いです。
1.アンドレ・ドーヴェルニュとの出会い
マーシャは母の再婚によって、パリから中部フランスの修道院附属の寄宿学校に入れられます。そこで出会うのがその地方の貴族の末裔、アンドレ・ドーヴェルニュです。アンドレはマーシャの日記によると、
という少女です。そんなアンドレにマーシャは次第に惹かれてゆき、しまいにはアンドレなしにはいられなくなってしまいます。アンドレは、自身も裕福な貴族の生まれでありながら、ブルジョアに対して側によるのもけがわらしいほどの嫌悪感を抱いています。そしてそこにこそ、マーシャが絵を描く意味があると言うのです。
2.発作的な衝動と直後の失望感、そして画作の再開
寄宿学校は古い城館を改築したもので、美しい自然の中にありました。ある日マーシャは景色を照らし出す夕日の美しさに捉えられ、学校を飛び出して丘の上まで行き、発作的にノートを開いて鉛筆を走らせます。けれど、出来上がったものは、今感銘を受けた風景とは何の繋がりもないものでした。我に返ったマーシャは失望して学校へ戻り、自ら進んで罰を受けることを選びます。
この出来事のあと、マーシャは絵を描くことができなくなったのですが、ある時期ドーヴェルニュ館でアンドレと時間をともにするうちに、この古い、歴史の彼方に置き去られたような城館で生きてきたアンドレの気持ちに思いを馳せるようになります。そうして、その思いがアンドレの肖像をデッサンするという形で、マーシャを画作の再開へと向かわせることになるのです。
3.アンドレの死とドーヴェルニュ館の四枚つづきのタピスリ
ドーヴェルニュ館には、四季の農耕詩を織り出した4枚つづきの古いタピスリが飾られていました。実はアンドレはのちに事故死を遂げるのですが、それによってマーシャはまた、いなくなってしまったアンドレとともに絵の世界から閉め出されてしまったと感じることになります。
そんなマーシャを確かな《生》の世界に引き戻すのは、自身の生まれであるロシアへの回帰と、ドーヴェルニュ館で見た農耕詩のタピスリが結びついたときでした。アンドレの死後マーシャは旅を続け、生まれ故郷であるロシア近郊の町にたどり着くのですが、そこでの大地に根差した暮らしとタピスリが、マーシャに、真実の《生》と《美》に気づかせることになるのです。
4.そして僕がおもうこと
その後マーシャはなおもさまざまの出来事を経験しながら大戦を生き抜き、死ぬまで絵を描き続けます。けれど作品の多くは発表されることはありませんでした。それはただマーシャの生きた証であり、《美》を求め続けた結果にすぎません。
芸術家は作品を通してしか、確かに生きたとは言えないのかもしれない。けれど、芸術が《純粋な美》としてしか成立しないとしたら、この世のすべてにどんな意味があるのだろう? 逆に、芸術が《美》として永遠に残り続けるとき、人はそこに何を見るべきなのだろうか? この小説を読みながら、僕はそんなことを考えてしまいました。それに対する答えのようなものは小説の中に書かれています。でもそれがすべてでないような気がするのもまた、僕が感じたことでした。
ところでマーシャに多大な影響を与えるアンドレ・ドーヴェルニュは、まるで入れ子細工のように、小説の中でもうひとつの物語のように輝きを放って死んでいきます。このアンドレについて作者の辻邦生さんは、1995年、『婦人の友』に発表したエッセイの中で次のように語っています。(エッセイはエッセイ集『微光の道』にまとめられています)
挙句に辻邦生さんはパリ滞在中に日本から送られてきた第二版を読んで、アンドレの死のところで涙するのです。実際、アンドレはそれほど可愛らしく魅力のある登場人物で、僕も大好きなキャラクターのひとりです。その愛らしさに出会うためにもぜひ、直接読んでいただきたい作品です。