KOHYOH SATO

佐藤好縈 › 最中/sanakaという名で、人にとって最も近くて最も小さな空間(服)をつくっています。洋服に擬態する民族服の続きとなる新しい衣服です。身に纏う衣服の考察をしています。

KOHYOH SATO

佐藤好縈 › 最中/sanakaという名で、人にとって最も近くて最も小さな空間(服)をつくっています。洋服に擬態する民族服の続きとなる新しい衣服です。身に纏う衣服の考察をしています。

最近の記事

[ sanaka=オムライス ]

橙さんと出逢ったのは展示ではなく、モノクロのフィルム写真でした。初めてcoffee5で共に展示を行った友人の写真を眺めているとそこに車と写る女性の姿がありました。目の前に居る女性と写真に写った女性が一致したのは少し後になってからで、現物の車の色をみて特徴を捉えてて不思議な納得感が得たのを覚えています。 coffee5での展示3年目を迎え、単独で展示しようとなったとき、偶然訪れた彼女と橙の食卓と合わせてやろうとなりました。彼女は綺麗な手帳を取り出し、これまでの料理やイベントの

    • 連載「やさしい生活者」二話_猫の念仏

      「強制反対!」 体育館は怒号で震えた。国歌を歌い終えた卒業生の一人を除くみんなが観客席をみた。漏れなく振り返ったわたしと真後ろの彼は目が合ってしまった。なんとも言えない複雑な表情から目線を外し、咄嗟に体勢を整えて前方の重厚な赤紫色したベロアのカーテンを眺めた。彼の父親が何に怒っているのか理解できず、ハレの日に水を指す猛々しい雰囲気にわたしは萎縮してしまった。今思えば何かを守るために大切な反応だったのだろう。とはいえ、わたしが何か訴えるとき、勇ましさや怒りで何かを覆しそうとし

      • 連載「やさしい生活者」一話_仄かにゆれる

        あれからも生活はわりと続いている。今読んでも「やさしい生活者」は、わたしの中で響いている言葉がわりと並んでいた。そこに置いた“希望に繋がる現時点の答え”も月の満ち欠けみたく常に移ろっていくから、あれからの変遷を断片的な物語を書き足しておきたい。 1年半前の朝、突然「みんながご飯をつくって、みんなで食べて、へたっぴなギターを弾きながら腹から歌えるスナックのような、自分と向き合ったり鑑賞に訪れる神社のような場所があればいい」という言葉が降りてきたあの日より明確になった。 小難

        • [ なかいまかんかく ]

          わたしは、わたしがしらない部分が広範囲に渡ってある、ってことを知っている。要するに馬鹿であり、無学であり、決して悲観なきあっぱれで。わりに品性は大切にしたいと思っている。昨年になってわたしのわたしに気付かせてもらったことは“文章を書く行為”が社会では「特技」などの類に当たるものだと教えられて驚いた。じぶんの値打ちはじぶんでは分からないようになっているのか。分かったら分かったでnoteの頻度が上がるとも限らない。むしろ、余計慎重になって条件反射が鈍くなった気がしたので得意意識に

          sokohakatonaki novel ”TAIBAN NI SAKU”

          sokohakatonaki novel ”TAIBAN NI SAKU”

          #64 「光彩を放つと〝いいな〟」

          誰にでも最初があって最期がある。その移ろいを観察したいと感じるのは、個人史に好奇心が沸くからだと思う。もっといえば私は私の観察をし続けていて、もし人生を本に例えるならば、私の本はまだ未発見の部分も見え隠れしているが、真ん中あたりまで読み終えたあたりで。次の目次は、sanakaの次なる展開、家族や仲間が増えていく、個の表現、その辺だ。私が誰かの人生に触れた瞬間、脳内にある本棚から無地の本を取り出して、背表紙にその方の名前を書く。話をする度に書き加えていく感覚がある。 今回、

          #64 「光彩を放つと〝いいな〟」

          #63 「好転する衣服」

          「みんなをやさしく包みこむような空間ですね」 その方の視点で展示をみると不思議な感覚があった。空間と衣服の狭間に数百メートルはある巨人の着る網目の大きなざっくりニットのような存在で竹の造形がある気がしてきた。(もちろんそんなつもりはなかったのだけど)自分たち以外の誰かが空間に入るまでどうなるかは分からないからいつも楽しい。「好転する衣服」の展示をどう感じたかは本人の中に存在するのだから此処には私の主観しかないけど、一緒に存在した記憶が言葉から遡れるといいな。 展示をした博多

          #63 「好転する衣服」

          #62 「夜明け前」

          満月のように月に一度現わる「月市」と題しまして、一年と二ヶ月続けてきた企画が終わりましたね。 始めかたも終わりかたも同じ位の力で、じじじっーと考える。とはいえ何が起こるか体験したくて且つ継続できるか試したんです。 月市をするやいなや翌月のことを考えて、アーティストの皆さんにお題を渡して自分も考えて、その答えが出揃ったら空間考えてつくってを繰り返し、すっかり勇しくなりました笑。不思議な達成感を味わってます。 「月市」をして分かった事と感じていた事をざざざっと感覚的に纏めて

          #62 「夜明け前」

          #61 「前世の記憶が蘇るような表現を」

          今回の記事は、大分県佐伯市でカメラによる表現活動を行うJくんのインタビュー記事となります。(前回は、イラストレーターsumireさんの記事。こちらをクリック。) 月市に展示してくれているJくんの写真には物語がある。表現全体で貫通したイメージが在り、映画におけるチャプターのような存在で一枚一枚の写真が存在している。そんな写真家である彼を展示だけでは紹介しきれないと思い、Jくんをインタビューすることにしました。これを通じて、みんながまた少し生きやすくなることを祈っています。

          #61 「前世の記憶が蘇るような表現を」

          #60 旧藤武邸の「月市」

          _ 現時点 2022.9.10-11、鹿児島県民教育文化研究所(旧藤武邸)で、月市の特別版として展示をさせて頂きます。(月市の詳細は、こちらへ。) 鹿児島にお住まいの方はご存知かもしれませんが、 県外の方も読んでいらっしゃるので、簡単に説明を。 ー 1939年、鹿児島県鹿児島市の上町地区(上級武士たちが住んでいたエリア)にある木造建築として登録有形文化財に指定されている建築「旧藤武邸」。戦火を免れて83年経った今も悠然と佇んでいます。 (追記:有形文化財指定じゃなく

          #60 旧藤武邸の「月市」

          #59 「やさしい生活者」

          今朝、全て分かってしまった気がする。いや、本当に。 そして希望に繋がる、現時点の答えに辿り着いた。 「みんながご飯をつくって、みんなで食べて。へたっぴなギターを弾きながら腹から歌えるスナックのような、自分と向き合ったり鑑賞に訪れる神社のような所があればいい」 バカみたいな答えに着地した。 でも、真面目にそう想った。 理由を聞いてほしい。 忙しい人はこれだけでもいいから 受け取っていてほしい。 ※各エピソードに分けて、曖昧に伝えています。 受け取れる人が、ぼくにとって希

          #59 「やさしい生活者」

          #58 次なる段階へ

          2017年4月、南九州市川辺に引っ越してきて、5年が経過しました。此処に住んでから多くのことを学び、多くのことを経験させてもらいました。 日々薪風呂を焚きながら暮らして、高校生たちとの取組を立ち上げたり、力不足だけれど知覧茶の仕事に携わったりしながらこの地域で過ごしてきて、この家に住むまでのドキュメンタリーがMBCで放送されてギャラクシー賞を頂いたそうで光栄なことです。 ー 此処で暮らしながら目標を一つ掲げていたのは 人口3万人の町で「ファッション/衣服」と云う生業を

          #58 次なる段階へ

          #57 「解衣快喜々」

          2022年に入ってから、何度展示をしたのだろう。 友人と久し振りに連絡を取ると「展示を沢山やっててすごいね」と云う言葉をもらう。みてもらえていて有難い。けれど、自覚はないんだ。 伝えたいことがずっとあって、つづけてる感覚。 今回は、「解衣快喜々(かいかいきき)」の言葉だけが先にあり〝心地よく布を解いていきながら人々が喜んでいる〟情景を思い浮かべて、曖昧な感覚を具現化していくように進めていく過程で1つの問いが生まれました。 本展示のテーマとなった「特別な意味をもつものとは

          #57 「解衣快喜々」

          #56 「わたし、へたなんです」

          今回の記事は、鹿児島県指宿市の池田湖の畔で生まれ育ち「絵を着る」をコンセプトにしてTシャツを土台に絵を描き始めたsumire_store(スミレストア)のすみれさんのインタビューとなります。 月市に毎回参加してくれている、すみれさんの心地よい感触のまま直接描かれる色彩や文字、形たちには、本来は言葉にする必要がありません。ただほんの少しだけ、彼女の中にある世界に対話で触れることに試みてみました。 インタビューの対話を通じて、すみれさんの魅力の色がもっと深く滲んでいくといいな

          #56 「わたし、へたなんです」

          #55 満月のような月に一度現れる市

          鹿児島市名山町に在るレトロフトmuseoにて、(他の展示と日程が被らない限り)毎月第三週の土日で行う「月市」は、三回目が無事終了しました。 きっかけは「sanakaのお店はないんですか?」とよく聞かれるようになったことからです。 その言葉に対して〝sanakaの表現として、展示そのものを大切にしたい気持ち〟と〝お店のように定期的にふらっといける空間が欲しい気持ち〟と〝sanakaのプロダクトは代弁者の説明必須〟と色んな気持ちが入り交じってしまいました。 (こちらの無農薬

          #55 満月のような月に一度現れる市

          #54 鬱屈と幸福

          明けましておめでとう御座います。 2021年、本当にありがとうございました。 ささっと振り返る。 2021年1月、今年は「基盤を確定する」と掲げていました。 ※ 7月:福岡警固_ギャラリールーモ:「うきよ展」 2021年、三つの目標1_九州全土でオフラインの規模で、繋がりをつくる   全国との接続できるオンラインの場所をつくる → 80%完了 2月大分、7月福岡、10月宮崎で展示を行い、これからも大切にしたい場所ができました。そして、2/24にECサイトを発表しま

          #54 鬱屈と幸福