今回の記事は、大分県佐伯市でカメラによる表現活動を行うJくんのインタビュー記事となります。(前回は、イラストレーターsumireさんの記事。こちらをクリック。)
月市に展示してくれているJくんの写真には物語がある。表現全体で貫通したイメージが在り、映画におけるチャプターのような存在で一枚一枚の写真が存在している。そんな写真家である彼を展示だけでは紹介しきれないと思い、Jくんをインタビューすることにしました。これを通じて、みんながまた少し生きやすくなることを祈っています。
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◯ 登場人物
月市:コーヨー(コ)
写真家J:(J)
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1_親の名は「写真集」
_Jくんは、なんでカメラを始めたの?
コ)Jくんと知り合ってからも月市に出してもらってからもだけど、アウトプットが変わってきてるよね。表現の根幹は変わりないんだけど、写真の連続で見せる動画だとか手法が変わってきてる気がしてて。
改めて、なんで「カメラ」で表現しようと思ったのか聞いていい?
コ)それ、きっかけなんですか?笑
コ)なるほど!
一番最初に見たものを親と認識してしまうような感覚だ!
2_「写真家」のスタート地点とは
_集積のネガが物語ること
コ)今と昔も地続きで、積み上げていってる感覚ですか?
コ)それはどんな時だったんですか?
コ)そのスタートに立った瞬間、分かる気がします。
Jくんの写真を撮る意味って変わってきてますか?
コ)なるほどなあ、、。
コ)それは、手製の写真集のときはなかった感覚ですか?
コ)写真を使った〝何か〟かあ。確かにそうだよね、Jくんは写真に拘っていなくて、考え方をひっくり返す為に注力してる感じがする。
コ)アートとしての写真という技術を使った表現になるってことだよね。
コ)その言語の精度が上がってきてるよね。
3_「写真」を用いた新たな方向性
_言葉から離れると新しい言葉が生まれるかも
コ)(頭の中がワクワクして)面白い!
コ)それを言語化できるところまで辿り着いてて、写真における一般的な技術ではなくて、新しい言語となるとその為の技術が必要だよね。
コ)僕らも所謂みんなが知ってる着物というものからどう離すか、だけど身近な存在になってほしいといつも考えていて。洋服に着地したい訳でもないから、みんなが知ってる言葉じゃない服に持っていくためにどうするかを今やってるし。Jくんの言ってる写真での「新しい言葉」は共感してるよ。
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コ)今後、何かやっていくことはあるの?
コ)それをやるのは大事ね!めちゃくちゃ楽しみ!
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このインタビューは、毎度の如く事後報告で記事にすることを伝えています。対話の中で出てくる気取ってない言葉から本質的な意志が垣間見れると信じていて。今回も写真を撮る行為が日常になった現代社会とは真逆で、「カメラ」を用いて自分だけが目指す表現の道を歩んでいくJくんの話を聞くことができました。
デジタルの便利なもので、高い技術が高価格で手に入る世の中では、本当に手に入らない価値のあるものは意外と身近に在るのだけど、ブルーライトの灯りで目が向けにくくなってきてる気がしています。
アートそのものも非言語コミュニケーションの一つと捉えることができるし、全く意味がないと捉えることもできて、そのグラデーションがある種の隠れ蓑になって真実を潜ませている。誰も傷つけたくないしでも抱えていては狂ってしまうほどの悲鳴を包めてくれる毛布のような存在だったりもする訳です。
大袈裟でもなく
今僕は、芸術が人を救うのだと再認識しました。
月市では、彼の作品を眺めながら「新しい言葉」について話しましょう。ありがとうございました。
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Photo J インスタグラム
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月市 インスタグラム
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