ブルックナー嫌いが聴くミンコフスキ/都響の交響曲第5番
ブルックナー:交響曲第5番 変ロ長調 WAB105(ノヴァーク版)
指揮:マルク・ミンコフスキ
管弦楽:東京都交響楽団
感想
サントリーホールで都響定期を聴いてきた。
私はブルックナーが嫌いだ。
なんか小説の始まりみたいだが、本当にそうなのだ。
ブルックナーの何が嫌いかというと、「野暮ったさ」と「開き直り」に尽きる。
同じクラスのベートーヴェン君やマーラー君が生きることや女子にモテることに必死に頭を悩ませてる最中に、ブルックナー君は昆虫標本に夢中。
「裸の大将放浪記」みたいな世界。
ラヴェルのピアノ協奏曲のような洒脱さや粋とはまるで正反対。
困るのは「勝負曲」として頻繁に取り上げられること。
勝負下着でいうならブルックナーなんて白ブリーフでしかないと思うのだが、何の恥じらいもなく堂々としているからタチが悪い。
曲の長さ的にマーラー同様一曲で勝負できるから勝負曲にふさわしいのだが、マーラーが「いまだ人生五里霧中、煩悩の中にあり」を感じさせるのに対し、ブルックナーは突き抜けてしまっている。解脱してる人みたいだ。
「漢字一字揮毫してください!」と言われて「俺」って書いちゃうような人。
日経新聞の「私の履歴書」の世界である。定年退職した途端に自伝を自費出版しちゃうタイプ。
好き好んで聴きたいとは思わないが、指揮者の腕自慢みたいなところがあるから、指揮者目当てでなんだかんだ昔から聴いてしまっている。
驚いたのは、今日のミンコフスキの演奏はそうしたブルックナー像とまるで違ったのである。
しなやかで、流麗。
無骨丸出しのブルックナーとは違う。
高倉健や河島英五的なブルックナーが苦手なのだ。
「透明感」まではいかないが、ハーモニーは鈍重に陥らず、終始美しい。色で言うなら水色だ。
オケは16型の対向配置で、オーケストラ任せにする箇所はなく、常に指揮者が手綱を握っている印象だった(指揮者の一挙手一投足を見逃すまいという楽団員の集中力を感じた)。
白眉は第2楽章。ブルックナーが苦手な私も深い森の中を思索しながら歩くようなアダージョの内容の濃さには一目置かざるをえない。
第2楽章の最後で、指揮者がまだポーズを解かないのにオケが休憩の雰囲気になってしまった。
ミンコフスキ、オケを見回し「何でオレより先に休憩してるんだ?」と言わんばかりの顔をして、休憩なしに第3楽章をさっさと振り始めてしまった。
ブルックナーの中でも一番苦手なのがスケルツォ。
野暮ったいメロディが執拗に反復され、「オレ流」感が半端ない。
しかし、ミンコフスキのスケルツォはゴリ押し感がなかった。
デリカシーやエスコートの概念がまったく感じられない世界観だと思っていたが、今宵のブルックナーは首にスカーフさえ巻いているようだった!
こんなセンスのいいブルックナーがあったとは!
「裸の大将放浪記」ではない!
全曲通して高水準だったが、第4楽章後半のトランペットがどうも浮き足立って皮相的に聴こえた。
すぐ近くのP席にいたからバランスが悪く聴こえたのかもしれない(おそらくTOKYO MX「アンコール!都響」のカメラが入っていたので映り込んだかも😅)。
ミンコフスキが最初に立たせたのはコントラバス。
以下、チューバ、チェロ、2ndヴァイオリン、ヴィオラ、1stヴァイオリンの順に立たせ、引っ込んだ(舞台袖には入らず、すぐ引き返した)。
金管を立たせたのはカーテンコール2回目のときだったから、あまり出来に満足していなかったのかもしれない。
おまけ
ブルックナー好きのための(?)短編小説を書きました。
日本有数の「ブルックナー小説」だと思うので、さわりだけでもご一読いただけますと嬉しいです😊
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