幸せについて本気出して考えてみた
ここ最近「幸せとは何か」を改めて考えさせられる情報が入ってきます。
そんな万人に共通で分かりやすいものを間違うわけないじゃん、と思っていたのですが、意外と勘違いしているかも?と思い、掘り下げてみました。
まずは私の考える「幸せ」と「幸せと似て非なるもの」の違いについて。
幸せ
安心、心地よさ、愛、信頼、リラックス
じんわり広がり暖かい
副交感神経優位
持続性がある
条件なしで発動
幸せと似て非なるもの
興奮、高揚感、特別感、獲得、社会的成功
瞬間的に盛り上がる
交感神経優位
持続性がない
発動条件がある
あ、「似て非なるもの」だからといって不幸とか悪いとかではないですよ。
嬉しくて舞い上がる、感激して号泣する、素晴らしいものを手に入れて達成感を得る…特別感のあることはポジティブな感情を昂らせ人生に彩りを与えてくれます。
でもそれを幸せだと思ってしまうと、日常や凡庸な自分のままでは幸せを感じられず、常にドラマチックな刺激を求めて走り続ける人生になります。
また、一度手に入れた人気や地位や財産を失ったら幸せを手放すことになるので、必死に維持しようとします。
果たしてそれは幸せと言えるでしょうか?
貧しくても、友達がいなくても、不治の病でも、質素で禁欲的な生活をしていても、幸せな人はたくさんいるはずです。
どんな生き方をしていても、特別なことが何もなくても満ち足りた気分でいられるのが本来の「幸せ」の姿ではないでしょうか?
私自身、週末に自分にご褒美的な「効果の短い高揚感」を得ることでメンタルバランスをとっていた時期が長いのですが、「似て非なるもの」は持続性がないので、魔法が切れるとシンデレラのように無力で悲観的な自分に戻っていました。
喉が渇いて水をガブガブ飲んで、一時的に潤うんだけどまたすぐ渇いてしまう感じ。
この渇きを本質的に癒せるものこそが「幸せ」の正体だと思うんです。
幸せとは、自分の中に無条件で湧き出す泉
幸せとは、自分の内側から湧いてくる暖かく穏やかな感情の泉です(温泉だと熱いイメージなので泉にしました)。
この泉を持っている人は外に幸せを求めなくていいので、余計なものにエネルギーを奪われず安定しています。
私は世界から愛されている、守られている、支え合っている
自分自身を愛している、信じている、成長できる、行動できる
だから何があっても大丈夫
↑これがベースにあって、愛や信頼が内側からじわじわ湧いてくるからあまり渇かないし、特別なことがなくても満たされます。
それでも荒れる時は荒れるし、盛大に落ち込んだりパニックになったりもするんですけど、「そうだ、私には泉があった」と戻ってくることで自己回復できます。
私は忙しさや感情爆発による「混乱期」と幸せで落ち着いた「平穏期」を行ったりきたりしていてまだまだ不安定なのですが、だいぶ日常生活で幸せを感じられるようになりました。
幸せの副作用
日常で十分幸せを感じられるなら、高揚感のない単調で平凡な人生になるかというとそうでもなく、むしろ逆で何もしなくても奇跡的なことが起こったりします。
❌特別なことが起こるから幸せ
⭕️幸せだから特別なことが起こる
引き寄せとかでよく言われていることですが、本当に起こります。
何をやっても動かなかった懸念事項がスッと進展。
労働時間が減っても収入が増える。
長年の悩みから解放される。
旅行に台風直撃でもうまい具合に逸れて晴れる。
歯を食いしばって頑張っていた時期には不可能だったことが、まるで当たり前のようにふわっと可能になります。
実際に体験しちゃうとメリットが多すぎてやめられません 笑
以前『幸せを「見える化」する』で書いたように、幸せの要因は複数あります。
幸せは自分の内側から湧いてくるもの。
そのベースとなる自分や世界との愛や信頼を築くこと。
そう思わない人もたくさんいるだろうけど、私の幸せは確実にそこにあって、安心や心地よさを与え続けてくれます。
この泉に気づくことができて本当によかったです。