小木曽航平

スポーツ人類学を基軸としながら、スポーツの人文学を探求しています。九州大学大学院人間環…

小木曽航平

スポーツ人類学を基軸としながら、スポーツの人文学を探求しています。九州大学大学院人間環境学研究院所属。スポーツのみならず人間にとっての身体、遊び、健康に興味があります。その他、旅、音楽、食、美術など楽しみごと全般に関心があります。

最近の記事

負けることを教えておくことの重要性:スポーツにおける名誉、評判、面目の維持と回復の必要性

オリンピックが始まって連日色々な競技の結果が伝えられてくる。その中でも、この国の人が注目するのが柔道の結果かも知れない。 数日前、阿部詩が2回戦で負けるという波乱が起きた。その後に兄の阿部一二三が金メダルを獲得したことで、世間的には阿部詩の負けは清算されたかにも見える。妹の失敗を兄が取り返すというのは何の新しさもないとはいえ、一定数の人の涙は誘うらしい。 私はこの兄妹の兄妹愛を取り上げるこの国のメディアのやり口にはずいぶん嫌気がさすところもあり、彼らが勝っても負けても大し

    • 埋もれたままのイメージ(1)--タイの競漕

      作業場に転がる端くれのようなものたち  調査系であれ実験系であれ、論文や本になって日の目を見る事実は、研究者がそれまでにかき集めてきたものの全体からすれば、ほんのわずかでしかありません。かくして研究者のコンピュータや本棚には膨大な量であるが、一見してそれ自身では何も語らないかのように見えるデータの端くれが累々と残されていくことになります。雑に詰め込まれたのでしわくちゃになってしまったある催しの式次第、ほとんど内容に大差ないのに微妙に異なるデザインのチラシ、“トリアエズ”の精

      • 2023.7.26論文短評:「スポーツを通じた人々のつながり」論に関わる3本

         標題の通り、今回は最近まとめて読んだ「スポーツを通じた人々のつながり」論-他に良い表現を模索中-に関連する英語論文を三つ紹介。 (1) 論文名:The role of sport-based social networks in the management of long-term health conditions: Insights from the World Transplant Games 著者:Gareth Wiltshire, Nicola J Clark

        • 2022.7.20論文短評: Gearing Up- Materials and Technology in the History of Sport

          論文名:Gearing Up: Materials and Technology in the History of Sport 著者:Rachel S. Gross & Carolin F. Roeder 掲載誌:The International Journal of the History of Sport, 39(1): 1-6, 2022 DOI:https://doi.org/10.1080/09523367.2022.2040931  The Internat

        負けることを教えておくことの重要性:スポーツにおける名誉、評判、面目の維持と回復の必要性

          2023.7.6 論文短評:J.J.ルソーにおける身体と教育:公教育論に注目して

          論文名:J.J.ルソーにおける身体と教育:公教育論に注目して 著者:佐々木 究 掲載誌:体育学研究54(2): 279-291, 2009 DOI:https://doi.org/10.5432/jjpehss.a540204  ルソーの「身体」と「教育」の連関を分析し、後の近代体育の成立とその思想的基盤とみなされる教育論について論じる。訳あって、ルソーの『エミール』を読み始めたので、その通読の合間にスポーツ・体育哲学者で、ルソー研究の第一人者である著者の論文に助けを求めた

          2023.7.6 論文短評:J.J.ルソーにおける身体と教育:公教育論に注目して

          2023.7.4 論文短評:「体育教師の固定的なジェンダー観と運動部活動文化の関連について」

          論文名:体育教師の固定的なジェンダー観と運動部活動文化の関連について-運動部活動経験が体育教師志望に与える影響の分析から- 著者:三上 純 掲載誌:『スポーツ社会学研究』(早期公開) DOI:https://doi.org/10.5987/jjsss.31-2-01  興味深い研究。  運動部顧問志望→体育教師志望というベクトルに潜む問題を固定的なジェンダー観の形成という視点から実証的に炙り出している。 「運動部活動から独立した教科体育の目的があらためて検討されなければな

          2023.7.4 論文短評:「体育教師の固定的なジェンダー観と運動部活動文化の関連について」

          論文は思考のヨガ?:書けないと苦しむ皆さんに伝えたい4つのこと

           毎年、これぐらいの時期(夏休み前)になると、論文を書き始められず悶々とする学部4年生や大学院生が、困りきった顔をしながら相談に来ることがよくあります。というわけで、今日は論文をどのように書いたらいいかと悩む学生さんに向けて、私なりのアドバイスをしてみたいと思います。  最初に是非とも言っておかなければならないのは、(1)とにかく机の前に座ってください、ということです。そして、PCやらノートやらを開いてください。そのためには次のようなことを意識しておくと良いと思います。

          論文は思考のヨガ?:書けないと苦しむ皆さんに伝えたい4つのこと

          犀の角のようにただ独り歩め:「研究も勉強も、“一発逆転”はないと改めて言っておく必要があるかも知れない」というお話

          私たちの社会はそんなに悪くはないはず  先ごろ、政治に関する面白いエッセーを読みました。  なぜ「日本維新の会」が支持を得ているのかをロスジェネ的視点から考察してみた、というのがその内容なのですが、私が気になったのはロスジェネ世代以降の若者たちのリアリティへの次のような言及でした。  私は40になったおっさんなので、「ユーチューバー」で一発当てたい(当てられる)という夢?が(いささか)過剰なほどに市民権を得ている現状をバカバカしいと思って眺めている方です。でも、「ユーチュ

          犀の角のようにただ独り歩め:「研究も勉強も、“一発逆転”はないと改めて言っておく必要があるかも知れない」というお話

          記録の儀礼の外部へ(とりあえずのスポーツ人類学入門第2回)

          スポーツと記録  スポーツにおいて記録とは何でしょうか?  競技の成績あるいは結果。これがスポーツの記録で私たちの大好物です。私たちが毎日触れているスポーツとは、実のところ、このような競技記録についての情報の束であると言えます。この記録情報だけでスポーツ好きな人なら一喜一憂し、気分を良くしたり、悪くしたりすることができるでしょう。  スポーツの歴史について重要な本をいくつも書いたアレン・グットマンという人は、近代スポーツを規定するに当たって--つまりそれ以前の前近代的な

          記録の儀礼の外部へ(とりあえずのスポーツ人類学入門第2回)

          スポーツは学問に値するのか?

          研究することと回り道をすること 今回は、私自身の研究を振り返ってみたら、色々回り道はしたけれど、結局はスポーツだった、という話です。 ところで、回り道というのはいいですね。私は習性として回り道を得意としていると思います。大学に行くにしても、大学から帰るにしても、ついついどこか寄ってしまいたくなるし、家族で外出しても、ついつい目的のお店以外の場所に立ち寄りたくなる。外国の街を歩いていてもそうです。こっちの道に行くと遠回りになるし、目的の方向とは違うのだけど、なんとなくそっち

          スポーツは学問に値するのか?

          なぜ、スポーツを人類学するのか(とりあえずのスポーツ人類学入門第1回)

          どれほど続くか分からないですが、私自身が考えるスポーツ人類学について、とりあえずのものを書き留めていきたいと思います。今回はそのためのまえがきとして、そもそもなぜスポーツの”社会学”やスポーツの”歴史”ではなくて、”人類学”なのか?という点にフォーカスしてみます。 近代スポーツの両義性 スポーツは近代の産物である。 このことはよく知られた理解ですが、一方で、この見通しが、スポーツの持ち得るいくつかの興味深い側面を見落としてしまう可能性があるのも事実です。例えば、暴力性、偶

          なぜ、スポーツを人類学するのか(とりあえずのスポーツ人類学入門第1回)

          松江で教育学(部)のジレンマを想う

          昨日まで「スポーツ哲学」の集中授業を担当するため、島根県の松江市に行っていました。訪れるのは初めてでしたが、授業を受けてくれた学生や宿泊したホテルにも恵まれて、とても良い時間を過ごせました。 しかし、そんな素敵な松江タイムの中でも、なんとなく考え込んでしまうこともありました。いわゆる国立大学における教育学部の縮小・衰退です。 色々複雑なことは省略しますが、とにかく地方国立大教育学部の教員不足は深刻だなと実感しました。教育学が決して専門ではない私としても、これでええのかしら

          松江で教育学(部)のジレンマを想う

          研究室の雰囲気

          今回は、研究室の雰囲気について書きます。研究室選びは、自分がどんな研究をしたいかも大事ですが、自分のキャラクターと研究室の雰囲気がマッチしているかどうかも案外大事です。 あくまで私個人の見立てですが、研究指導のやり方は大きく分けると探検型とレール型の2つがあるように思います。 探検型はある意味放任で学生任せ、自分自身で行く場所を決めて、どんどん研究してくださいという方針をとります。一方、レール型はある程度行き先を教えつつ、学生が研究する方向性にあらかじめ道筋をつける方針を

          研究室の雰囲気

          スポーツ科学とスポーツ人類学、あるいは言語偏重とスポーツ界のガラパゴスについて

          スポーツ科学における人文科学の居心地悪さとは?  年度も終わり頃になると卒論、修論の発表会が続きます。しばしばそこで考えるのが、スポーツ科学における”言語の貧困”とでもいえそうな事態です。  スポーツ科学といえば、その花形的存在はバイオメカニクスや運動生理学、そしてコーチング学などでしょうか。今世紀に入ってからは、スポーツビジネス分野の躍進も目覚ましい。私の院生時代、所属していた早稲田のスポーツ科学研究科ではグローバルCOEプログラムというのに採択されていて、その一環で研

          スポーツ科学とスポーツ人類学、あるいは言語偏重とスポーツ界のガラパゴスについて

          小木曽研(学部)では何を学べるか?

           今回は学部3年生がゼミ選択をする際に参考になるような話をします。  大学院ゼミについて言えばスポーツ人類学/スポーツ社会学のどちらも指導していますが、学部では「スポーツ社会学」の授業を担当していることもあり、小木曽=「スポーツ社会学の先生」と思われているはずです。しかし、むしろ学部であるからこそ学生個々人の関心に合わせて、幅広いテーマを指導することを心がけています。さすがにバイオメカニクスや運動生理学、あるいはコーチンングを学びたいと言われると困ってしまいますが。  で

          小木曽研(学部)では何を学べるか?

          色々あってスポーツ人類学にたどり着く

          もともと文学、音楽、映画などにも興味があった私は早稲田大学文学部(当時)を第1志望にしていました。思い起こすと奇妙ですが、とにかく早稲田に行くつもりしかなく、他の大学を受けることは考えていませんでした。ただ、さすがに文学部しか受験しないのは危ういということで、スポーツにも興味があった私は人間科学部スポーツ科学科を第2志望にしました。 しかして結果はいかに。見事、文学部には落っこちて人間科学部スポーツ科学科(略してスポ科)に合格したのでした。これがその後の人生をここまで左右す

          色々あってスポーツ人類学にたどり着く