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2023.7.6 論文短評:J.J.ルソーにおける身体と教育:公教育論に注目して
論文名:J.J.ルソーにおける身体と教育:公教育論に注目して
著者:佐々木 究
掲載誌:体育学研究54(2): 279-291, 2009
DOI:https://doi.org/10.5432/jjpehss.a540204
ルソーの「身体」と「教育」の連関を分析し、後の近代体育の成立とその思想的基盤とみなされる教育論について論じる。訳あって、ルソーの『エミール』を読み始めたので、その通読の合間にスポーツ・体育哲学者で、ルソー研究の第一人者である著者の論文に助けを求めた。
興味を引かれたのは次の一節。
ルソー公教育論においては,本稿で見た「身体訓練」が最終的には市民および習俗を維持するための「祭り」へと昇華すべきことが指摘されており,公教育での身体訓練は,いわば「祭りの舞台装置」となるとされるのである.
不勉強ながら、ルソーが祝祭論を語っていたのを初めて知る。しかも、ルソーの祝祭(祭り)への言及は、『人間不平等起源』から『言語起源論』、さらには『演劇について:ダランベールへの手紙』などにも散見されるとのこと。
レヴィ=ストロースがルソーを人類学の創始者と称えているのは有名だが、それなら自分でちゃんと『人間不平等起源』を読んだのかといえば、答えは否。同時に、ルソーが体育(身体教育)を考える上で重要な思想家だとは知っていたものの、「身体」と「祝祭(祭り)」の関係を論じていたことは露程も知らず。不勉強の極み。
少し調べてみると、このルソーの「祝祭(空間)」概念を手がかりに現代フランスにおける文化遺産とアイデンティティの関係を書いた論文も見つかった(中島ひかる2019「共同体のアイデンティティと記憶」『東京医科歯科医学教養部研究紀要49: 1-23, https://doi.org/10.11480/kyoyobukiyo.2019.49_1)
というわけで、早速、ルソーの主要著書を購入。スポーツが人のつながりを生み出すというすでにありふれた命題を人類学の視点から自分なりに再考したいと思っていたところで、もしかしたらルソーが一つの補助線になるかも知れない。