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埋もれたままのイメージ(1)--タイの競漕
作業場に転がる端くれのようなものたち
調査系であれ実験系であれ、論文や本になって日の目を見る事実は、研究者がそれまでにかき集めてきたものの全体からすれば、ほんのわずかでしかありません。かくして研究者のコンピュータや本棚には膨大な量であるが、一見してそれ自身では何も語らないかのように見えるデータの端くれが累々と残されていくことになります。雑に詰め込まれたのでしわくちゃになってしまったある催しの式次第、ほとんど内容に大差ないのに微妙に異なるデザインのチラシ、“トリアエズ”の精神でコピーされた文献の束。
数年前に社会学者の岸政彦さんが、決して社会学的分析の俎上には乗ることのない、だが、それ自体として愛着を持たざるを得ないフィールドでの語りや出来事を『断片的なものの社会学』として一冊の本にしたことがありました。岸さん自身の筆の力とも相まってとても素敵なエッセー(かどうかもわからないが)になっています。
たとえ、このように一つの作品といえるものにまとめられなかったとしても、全ての調査者が研究という作業場においては埋もれてしまう無数の何がしかをフィールドで集めてきていることは間違いないでしょう。皆さんはそれをどうしているのでしょうか?
埋もれかけているイメージ
さて、そのような“おがくず”と言ってしまうには語弊があり過ぎる様々なデータの中には無数の写真や動画、つまりはイメージの山があります。私のように写真に対する特別な才能を持ってもおらず、その技術を磨くことも断念した者にとって調査地でできることといえば、とにかく気になったものは撮るという愚直以前の単純行動しか残されていません。
そして--これは私の場合にはと限定しておいた方がいいと思いますが--、多くの場合撮影された写真を入念に見返すということはあまりありません。私とて、一度ならず、ベイトソンとミードの『バリ島人の性格-写真による分析』みたいなことをしたいと思ってはみたのですが、いかんせん、現実はなかなかうまくいかない。果たして、それができたして、一体どこに発表するというのでしょう。
こうして取り留めのない写真データがハードディスクの奥底に沈澱していくことになります。
前置きが長くなりましたが、今回してみたいことはこれで明らかになりました。私自身が埋もれさせてしまっている写真の束をせめてこの場所に連れ出してきてみて、多少なりともそれらのイメージに場所を与えてみようということです。大したことはしないし、ほとんど自己満足でしかなく、誰の役にも立ちません。いや、もしかしたら多少の暇つぶしにはなったり、そこそこ好奇心を満たしてくれるかもしれません。
でも、何をするにしても、それはどんな価値があるんだとか、どんな意味があるんだとか、そういう評価のお化けに日々晒されていると、私のような人間はとにかく無意味なことをしてみたくなります。
というわけで、私は私自身が集めてきたイメージの山を使って、私なりの砂遊びみたいなことをしてみようと思います。
タイの競漕
特に強い思いがある訳ではないのですが、なんとなく埋もれたままにしていることが気になっている写真に、タイの競漕についてのものがあります。今回はそれを救い出してみようと思います。
競漕つまりは舟を用いたレースというのはそれこそタイを代表する伝統的な娯楽の一つです。タイだけでなくインドシナ半島の各地で行われており、彼の地においては、まさに「ご当地スポーツ」のような存在です。東南アジア競技会(SEA Games)では公式種目になることもあります。
タイでは僧侶たちがお寺にこもって修行を始める入安吾(タイ語でカオパンサー) の前後(およそ7〜8月頃)から、修行が終わる出安吾(オークパンサー)の時期(およそ10〜11月頃)まで、各地で盛んに競漕が行われます。こうした開催時期からもわかる通り、タイの競漕は仏教儀礼に付随する民衆娯楽として行われてきたと考えられています。
もちろん儀礼的な側面も残っていますが、競漕にかけるタイ人の熱意は並々ならぬものがあり、しばしばこれが宗教行事と関連していたことを忘れさせるほどです。前述の通り、SEA Gamesのような国際スポーツ大会で行われるようにもなっているので、かなりスポーツ化している側面もあります。
私はこのタイの競漕について2018年に集中して調査を行ったことがあります。写真はその頃に撮影されました。
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こうしてタイには競漕の文化が今でも脈々と受け継がれています。おそらくどんな国や社会にも、人々がどうしても続けてしまう慣習というのがあって、その中にはたくさんの競技が含まれます。タイでは間違いなく競漕がその一つであり、その奥深さもなかなかのものです。タイ人が示すその熱に触れてみることで、これまで知っていたのとはちょっと異なるタイのイメージに出会うことができるかも知れません。