マガジンのカバー画像

185
高堂つぶやき集。
運営しているクリエイター

#紅葉

一昨日、或るみかん農家の畑に生えていた竹を頂戴し、昨日は茶室で竹垣用に磨いていた。遅い冬風で落ちた庭の紅葉は袋につめ、別の畑に腐葉土として用いる予定である。
竹→紅葉→土。
この後、どのような循環が生まれていくのだろうか。願わくば、自然界のわらしべ長者になりたい今日この頃である。

人の身体は文字通り身と体に分けられる。神社等で清めるのは前者の身のほうで、こちらは触れることができない。同様に木にも身体があり、木の体はご存じのように不動であるけれども、その身は物に囚われず絶えず動いている。清まった身で晩秋の木に触れれば、あたかも紅葉が我が身に沁みるようである。

秋がひらひらと落ちてきた。ことしほど「秋なのか・・・」と独り言を畑で呟いた年はなかった。それほど今や私には季節感がわからない。十一月のはじめ、ようやく遅い秋風が吹いたとおもったら、日中にはそれが春風に感じられた。そのようななかで紅い一葉が落ちてくると、どこかホッとするものがある。

皆が来てくれたと祖父は微笑し、祖母の墓に花を活けた。そよ風が吹き、ふと見あげれば光に照らされた紅葉があった。葉は一様に視えながらも、そこには濃淡があった。濃淡ごとに奏でられる葉擦れが青空に響く。やがて風もやみ、千手の紅葉も祖母に合掌してくれた。そんな初夏の一葉を今年も眺めている。