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高堂つぶやき集。
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#禅

以前、オーストリアで通訳をしていた際に「無と空の違いは何か?」と現地藝術家に訊ねられた。「0のまえに無があり、無のまえに空がある」と訳したのだけれども、昨晩ふと「無は充ちるが、空は充ちぬ」といった表現が降ってきて、こちらの訳もなかなか官能的ではなかったかと反省している次第である。

古来、禅が侍に愛されてきたのは斬りあう前からすでに勝敗は決まっており、それ故に闘う必要がまったくない境地があるためになる。現代では効率的に物事を選択していく風潮がある。こちらも同様、正解を選ぶのではなく、選択したものが真理となっていく境地があるわけで、こちらを目指された方が早い。