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こどもになる781話:忘れられない日
2024年5月28日
私がかかわるお母さんたち
大切な仲間たちと
定期的にやっている親の勉強会・交流会に
お越しくださったのは…
私の「在り方」保育への信念を教えてくださった…社会福祉法人杉の子会の理事長
福元孝子先生です。
この日は、警報がでる?と思うような
大雨の日で。先生を朝お迎え行く私は、、
とても不思議な気分でした。
夢かな?って思う瞬間ありませんか?
私にとって、大尊敬する大好きな先生に
自分の実践の場をみていただくこと。
大好きなお母さんたちと出逢っていただくことは「夢」「願い」でもあったので
大雨の中、運転する私の心は
とても晴れていて、浄化されるようなキモチでした。ワクワクしていました。
杉の子保育園にて、福元先生と合流。
こんな雨の日に、ご高齢(なんと84歳!)の先生にご無理させてしまうこと…
頭の下がる想いでしたが、ありがとうありがとうありがとうございます。
もう長らく尼崎を離れてないの、とおっしゃる先生を連れ出した私は「小旅行です」と。
朝の渋滞も゙、嬉しい楽しいドライブデート!
久しぶりのゆっくりした時間に感謝しながら、私たちは思い出話に花を咲かせました。
時間が、宝物です。
戦後の混乱の中、疎開先から東京に戻られてからのこと。
お互いの母のこと。
保育園時代の思い出話。
雨の中の渋滞も心地よく…
そうこうしてるうちにレストランを舞台に福祉事業しているル・クロ・ド・マリアージュに到着しました。
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仲間たちが福元先生の来店を心から待っててくれました。
私の大切な女性でメンターです…と、みんなに伝えていたので、保育士や先生、キャストたちもワクワクみんなでお出迎え。
みんなに出逢ってほしかった福元先生が、私のプラットフォームにいてくださることが、ただただ嬉しく、私が元気になりました。
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皆さん、一人ずつ自己紹介をしてから、小さな親の勉強会がはじまりました。
私を育てていただいた社会福祉法人杉の子会・太陽(ひかり)の子保育園のことをお伝えさせていただき…福元孝子先生のストーリーをお聞きします。
優しく強くあたたかい福元先生の声に、静かに…みんなが惹き込まれていきました。
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東京時代のエピソードから…
福元先生の歩みをきく会のはじまりです。
賀川豊彦さんというキリスト教信者であり、貧困世帯でサポートする取り組みは、先生の人生観を大きく変えたそうです。
私にとって、福元先生との出逢いも、人生を大きく変えました。
「誰と出会うか」「誰と実践するか」
人だなぁ…と想いながら、保育園時代にも行われていた「歩みを聞く会」に参加しながら感じたこと(当時、私は20代でした)を今、40代になった私は、感慨深く思い返していました。
どや街と言われる、戦後も日雇い労働者が多く、貧しく男性優位の時代のお話。
仕事を貰うために男の人が並ぶ光景
仕事にあぶれたら、お酒飲んで女性に当たり、その女性が教会に逃げてくるというようなお話。
先生は、女性がしいたげらていた光景が、今もずっと、胸の中にあるとおっしゃっていました。
私も「さな保育」といって、いろんな現場に保育を届けています。
その現場で見る光景は、時に、目を塞ぎたくなるような日もあります。
ずーっと胸の中にある。
だから、どんな現場にも向かえる。
だから、挑戦できる。
先生の想いは、いつも自分の実践と重なり、やっぱり私が一番勇気をもらいます。
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どや街の教会で、無認可保育をされていました。
当時、10円持って来たらこども達が一日過ごせる環境の中、保育士の福元先生は朝8時~夕方16時まで休む暇なく働いておられました。
・女性が自立するには経済的基盤が必要
・無認可から認可保育園にするため都庁に通った
・1歳児からの保育をしていた
・無認可の保育園はとても大変な経験だった
保育士3人で給食も掃除も煙突掃除もした
・運営する為にはお金が必要だった
・色んな大学のサークルが援助してくれた
・チャリティーショーとして入場料をとってチケット販売→古着の販売等バザーもした
どうにかこうにか、日々過ごしてこられた時代…先生がされてきたことは、女性支援だったと。私は、心から思います。
先生だけでなく、戦後の混乱期を今の豊かな生活の為に、血の滲むような想いで生きてくださった「人」たちへ…感謝が溢れます。
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旦那さまとの出逢いも、福元先生の人生を大きく動かしました。
タカバシに住んでおられた時代に「社会構造」について、様々な想いを感じられていたそうです。
大学3年の時、亡くなられたお父様の遺産を使わせてもらい、中国旅行に参加した福元先生は、旦那さまと出逢い…兵庫県尼崎市での生活がスタートしました。
「自分に何ができるか」
行政へ仕事を探しに行くものの…当時27歳で保育士をやろうと伝えても断られる日々。
高見さんという、看護師として産後仕事復帰を望む女性、家族との出逢いが、先生が大きく動くキッカケだったようです。
知らない人に子ども預けることは考えていないと言われた時代に、産休明け保育所を立ち上げようと思った福元先生。
高見さんが訪ねてこられ保育してくれないかと相談された「一人の声」を放っておかず、みんなの明日へ繋げていかれたのです。
・子育てもした事無いけど子どもを預かった
・ボランティアみたいに始まった
・保育士を募集してみた
・こどもえお抱え働く人が多い、市場で子どもを預けてみたいと思いませんかと募集
・修繕屋巡りをしていた
・285万円で長屋を借りる為に資金集め
・一口1000円でたくさんの人からお金を集めようと出資金活動をスタート
・出資金を1000円で集めて利息を付けず…保育園が大きくなった今でも返している
・署名を集め、0歳児保育園のために補助金を募った
・無認可でも助成する制度が通って無認可保育園ができた
・みんなの力で認可保育園となり、共同保育所ができ、地域の皆さんに喜ばれた。
そんな具体的な話に、参加されていた親御さんたちの目は真剣で…今ある制度や環境が「当たり前ではない」ことを思い知る時間が流れていました。
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この日は、親御さんだけでなく
「福元先生の言葉を聞きたい」と来てくださった人たちもおられました。
戦後からこれまでの実践を伝えてくださる人は、とても少ないと感じます。
戦争を伝える「語りべ」さんと同様…だからこそ、私たちは「真実」を知り、平和ボケせず語り継いでいかないといけません。
先生のお話は、保育の枠を越え、一人ひとりの生活やビジネス等にも、大切な大切な視点であり、すべてに繋がる「在り方」だと、私は思います。
こどもたちを守るためには、大きな資金も必要です。
「借金は怖くない。怖いのは人」
先生の言葉が印象的でした。
たまたま出逢った障害児。
一人の声をカタチにされる福元先生の「障害児保育」を認可保育園の中で、スタートされました。
私が働いていた頃も「統合保育」といって、各クラスの中に当たり前にハンディを抱えるこどもたちがいました。
・早期発見のおかげで「集団保育」の中で障害有無関係なく、こどもたちが育ちあう姿
・制度がなくとも切り開いていかないといけない
・無き道を創りながら歩むのは大変だけど、お母さんたちに一緒にやろうよ!と伝え動いていた
・お母さん達はあの時輝いていた
・強さは相手を信用できていないこと
保育園での育児時間にも、先生は声をあげてこられました。
園長の集まりがある度に、延長保育を認めてください!と公言されていました。
早朝保育・延長保育は、今、当たり前にありますが…3人のこどもを抱え働き続けている私は、これらの制度がなければ、この環境で働くことは困難でした。
私のように、誰にも身内にも頼れない子育ての中で、生活を支えてきてもらった女性が、たくさんたくさんいます。
みんなの声を代弁して、私は最大級の「ありがとうございます」を届けます。
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弱虫だからとことん頼るの!って笑いながらおっしゃる福元先生は、道なき道をつくってきた女性だなぁ…と。
私もそんな「人」になりたいと心から思ったのです。
言葉だけでなく、誰かの為に動く福元先生の為に、自ら動き支えてきたのは、親御さんたちです。
自分ごととして親御さんが動いてきたから、今があると言っても過言ではありません。
私は、そんな風に感じました。
だから、私は、一緒に手を繋いでいこうとしてくださるお父さんお母さんたちが大好きです。
私も親の一人として、こどもを主語に…
これからもずーっとよろしくお願いします。
私が太陽の子保育園を去る時
「あなたが培った種をまきにいきなさい。
そこで花を咲かせなさい」と、背中をおしてくださった先生のおかげで、今があります。
私が、道なき道をつくれるか…
不安になると、いつも福元孝子という女性を思い出し、日々挑戦できます。
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お母さんたちの声をここに遺します。
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この日、私たちのユニバーサルレストランは、キャスト(障害ある仲間)たちだけで運営するFUKUROレストランの日でした。
勉強会終了後、福元先生も一緒にランチ交流。ジャポネカレーライスのメニューがお口にあうか…心配でしたが…
「おいしい!!」と完食してくださったこと。キャストたち、みんな嬉しくガッツポーズ!!この言葉と空気が、今日もまた仕事を顔晴る原動力となります。
悪天候だったこの日
私のフィールドにたくさんの花が咲き、いろんなことが浄化された気持ちです。
親愛なる福元孝子先生
本当に本当にありがとうございました。
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