嫌われない勇気
嫌われる勇気
一時期日本で流行りましたよね。ちょうど、最近発表された論文が、当時なぜか日本で流行っていたアドラー心理学という熱気を思い出させてくれたので、そのまま紹介しようと思いました。
前提:アドラー心理学と現代心理学は全く違う
この本は、アドラー心理学に基づいており、過去のトラウマよりも私たちの行動が目的指向であると主張しています。また、承認欲求を否定したり、劣等感を成長の源と見るなど、興味深い励ましの言葉を提供しています。
しかし、僕が現役の心理学者として感じるのは、アドラー心理学を真面目に信じている研究者は今はほとんどいないという事実です。かつては権威のある人の言葉がそのまま受け入れられることが多かった心理学ですが、今では実証的な手法とそれなりに厳しい手続きが必要とされる学問になっています。アドラー心理学はそうではありません。
科学的な根拠が求められる時代で、人気のある非科学的な言説が流行ることも珍しくありません。奇抜だけど本質的には効果の薄い筋トレ方法がYouTubeで人気を博すように、自己啓発本も、やる気を起こさせるが問題の本質を解決しない場合があります。奇をてらった主張の方が、視聴者が集まることはよくあります。
「嫌われる勇気」は、科学的根拠に基づく現代の心理学とは違う結論に至っています。実際に、ユトレヒト大学で研究を行う私の友人が最近発表した孤独に関する新しい理論は、「嫌われる勇気」の主張とは異なる立場を示しています。科学の手法で心理学は、最良の方法で答えを出すことを目指しており、その結果は時に自己啓発本の主張と食い違うこともあるのです。ここが、これからお話しすることと、「嫌われる勇気」の前提の違いです。
孤独の社会規範逸脱理論 (Heu, 2023)
社会規範とは「社会や集団のなかで,その構成メンバーから期待されている暗黙のルール」のことです。法律や書面上の契約も厳密には社会規範に含まれますが、この理論が想定している社会規範は、もっと広い意味での行動や価値観を指します。大阪のエスカレーターでは左側通行ですが、東京では右側通行が一般的です。こんなことはいちいち法律にしないでも、なんとなく社会が共有している知識です。孤独の社会規範逸脱理論は、社会にはそういう暗黙の内に共有されている期待やルールが存在していて、それから逸脱することこそが、孤独の原因だと主張しています。
月曜と金曜の夜に独りで食事をする場合、どちらが孤独をより感じやすいでしょうか?きっと多くの人にとっては、金曜なのではないのでしょうか。それは、金曜の方が友人や同僚と過ごしている人が多い、というなんとなくの期待が存在するからです。これは、独りで食事をするという行為そのものではなく、その行為と社会規範との間に生じるギャップが本当の原因です。この理論は、それぞれの社会に存在するもっと広い価値観や行動規範に着目して孤独を説明しようとしています。
この理論を理解する上で基礎になる三つの考え方があります。
①承認欲求は人間の根本的な欲求である
「人から認められたい」「人から好かれたい」
こういう欲求は、人間誰もが持つ普遍的な欲求で、進化の産物です。集団から仲間外れにされた時に不快感を感じるのは世界共通です。脳科学では、仲間外れにされた時に感じる孤独感は、生物学的な反応であることが確認されています。これは、集団から逸脱することは自分の生存を脅かすことであり、孤独感や寂しさという感情は、その脅威への適応反応であると捉えることができます。
人間は誰しも、性欲、食欲や睡眠欲という、生きるために基本的な欲求が備わっています。これと同じように、他者から認められたいという欲求は、ヒトである以上、普遍的に誰もが持っているものです。
②文化や地理によって社会規範は異なる
文化によって社会規範は異なります。文化とは、「川の流れ」のようなものです (Hofstedeのインタビュー)。ある集団の大多数が共有している知識、行動、態度などは、方向が決まっています。一匹の魚が川の流れに逆らうことはできますが、それが川の流れ自体を変えることはできません。また、川の中にいる魚にとっては、水温、流れの強さ、透明度などが当たり前になりすぎて、あえて意識して言語化することは少々難しいでしょう。
社会規範は、大多数が共有することによって、集団として円滑に物事を動かしてくれる利点があります。買い物レジで列ができていたら、割り込まないで列に並んで待つのが普通ですよね。このマナーは、わざわざ法律化しないでも、なんとなく大多数の人間に受け入れられて、共有されています。このような行動規範を社会全体が共有することによって、大規模な集団生活がスムーズになります。
集団としてのまとまりがなければ文化は機能しないので、集団は個人を圧倒する力を持ち、規範に従わない人はしばしば罰を受けます。これを試してみたければ、大阪のエスカレーターで左側に立ち止まってみましょう。中東やアフリカでは、同性愛の行為に対して死刑がある社会も存在します。程度の差はありますが、社会規範に逸脱した者に罰則を与える行為は、どの文化にも共通しています。
社会規範のない文化は存在しませんが、文化がどういう社会規範を定義してるのかが、場所によって異なってくるのです。
③個人と集団の不一致
社会規範はあくまで多数が共有している集合知であるので、それを構成する個人がどの規範をどの程度従うか、承認しているのかには、常にばらつきが生じます。集団の合計値である社会規範と、個人の価値観は必ずしも一致しないため、その相互関係を分析する必要があります。
説明できること
社会規範逸脱理論は、過去にある孤独と文化に関する実証研究の知見を集め、新しい説明を加えます。この理論に従うと、「嫌われる勇気」では説明できない孤独の現象について、より適切な説明ができます。
この理論の重要な特徴は、単に個人間や文化間の違いを比較するのではなく、特定の文化の中で人々が感じるギャップに焦点を当てている点です。
独身であることは孤独や鬱のリスク要因として考えられてきました。しかし、独身でいても孤独を感じる程度は社会規範によって変わってきます。自分が独身でいたいと思っていても、田舎にいて周りがすぐに結婚していく社会規範が存在すれば、より孤独を感じるでしょう。しかし、結婚よりも仕事を優先する人間の多い都会にいれば、独身でいても孤独を感じることは少なくなるでしょう。逆も然りで、家族との時間を優先する人が、そうでない人の多い会社で働いているとしたら、それは孤独を引き起こすでしょう。また、時代によっても価値観は変わります。30年前の30代独身男性よりも、現代の30代独身男性の方が孤独は感じづらいでしょう。自分の持っている価値観と、周りの期待とのギャップで、孤独が生まれます。
西洋や欧米人は「個人主義」であると言われてきました。個人主義とは、個人の利益を最大化し、集団の意向よりも個人の意見を尊重します。集団主義とは、自分よりも身近な人たちの意向を優先する社会規範を指します。「個人主義・集団主義」の対比で見れば、孤独を感じる人は、前者の文化圏の方が多くなるのではないでしょうか?しかし、社会規範逸脱理論に従えば、問題は「どの価値観の人が孤独を感じやすいか、そうでないか」ではなくて、「自分の価値観と社会とのギャップ」が焦点になります。冒頭のオーストリア人男性のように、周りは個人主義であるけれど、自分はその価値観を共有していなければ、孤独を感じることになります。逆に、集団主義者な台湾人が個人主義であるスウェーデンに留学したとしたら、孤独を感じやすくなるでしょう。同じ価値観を持った人間を比べるとしても、周りがその価値観をどれほど共有してるかのギャップによって、孤独を感じるリスクを正しく予測できるようになります。
内気でシャイな人は、孤独を感じやすいでしょうか?社会規範逸脱理論によれば、必ずしもそうではないです。例えば、中国では内気な人が「いい人」だと捉えられているので、内気な性格の人でも孤独のリスクを減らすことができます。アメリカなどの「外向的な人が成功しやすい」社会規範の中で生きているのであれば、内気な人はよりミスマッチを感じ、孤独になりやすいでしょう。
この理論に従えば、性的マイノリティや移民が孤独を感じやすくなることの説明もつきます。定義上、これらの人は社会の多数が共有している社会規範から逸脱していることになります。しかし、必ずしも、彼らの持つ特性や価値観自体が孤独を引き起こしているのではなく、周りの規範とのギャップが原因なのです。理論上、移住した先の社会規範が自分の性格や価値観にたまたま合致していた場合、孤独は感じないと予測ができます。
「嫌われる勇気」との比較
「嫌われる勇気」と社会規範逸脱理論を比較すると、いくつかの重要な違いが明らかになります。
両者は、「自分らしさ」を変える必要がないという点で一致しています。しかし、「嫌われる勇気」は、承認欲求を無かったことにして孤独に立ち向かうことを勧めています。一方で、社会規範逸脱理論は、個人の価値観と社会規範の間のギャップこそが孤独の原因であると見ています。このギャップは、承認欲求が存在しなかったとしたら生まれないでしょう。
アドラー心理学は、個人主義的な幸福や人間観に基づいており、これはアドラーがオーストリア出身であることと関連があるかもしれません。そのため、「嫌われる勇気」では、個人主義者は他人に嫌われても幸福を追求できる前提でいますが、実際には、個人主義者でさえも、その価値観が社会的に共有されていない場合、孤独を感じることが予想されます。
「嫌われる勇気」のアドバイスは個人の意志に焦点を当てていますが、個人が集団に対してどれほど非力であるか(一匹の魚が川の流れを変えることはできない事実)を考慮していないようです。自分らしさが誤解されたり、共有されていない場合に孤独を感じ、これは自分らしさを貫くだけでは防げないことをデータは示しています。
アドラー心理学は、世界には多様な価値観を持つ社会的グループが存在するという事実を過小評価しています。もし自分が住んでいる社会の価値観が唯一のものではないと認識していれば、「自分が変わることでしか幸福は得られない」という乱暴な結論には至らないかもしれません。代わりに、自分に合った集団を見つけることで、孤独感を解消することができるでしょう。
アドバイス
社会規範逸脱理論から導かれる、アドバイスを紹介します。
自分らしさを維持しつつ、他人に嫌われないように努力することは、人間としての自然な欲求です。この前提を受け入れよう。
自分に合った場所を見つけることが重要です。自分一人で川の流れを変えるのは難しいので、自分に合う場所やグループを見つけることが大切です。メディアはあたかも日本は多様でないかのような錯覚を与えますが、現代の日本社会は、あなたが想像するよりもずっと多様な価値観が存在します。自分に合った環境を探すせば良いのです。
社会的規範はすべてが明文化されているわけではないので、どのような環境がどのような価値観を持っているのかを、注意深く観察することが大切です。孤独感や自分を偽っているような感覚、自尊心の低下、拒絶、人間関係の不満などは、その環境が自分に合っていないサインかもしれません。逆に、これらのサインがなければ、その環境は問題ないと言えます。または、人文科学の研究を通して、どのような社会や組織がどのような価値観を持っているかを客観的に知るのも良い方法です。
多元的無知にも気を付けよう。多元的無知とは、自分が「みんなはこう思っている」と思い込んでいるが、実は他の人も同じように感じているという誤解のことです。たとえば、実は多くの学生が飲酒を好まないのに、「みんなは飲むのが好きだろう」と信じてしまい、その結果、本当は望まない飲酒文化が続いてしまうことです。つまり、あなたが感じている「みんなの常識」は、実は誰も本当には求めていないかもしれません。このような誤解を解くことが大切です。
社会の多様化を目指そう。結婚して子供を産むことが、幸福の唯一の形だとみなされる社会では、独身がより孤独を感じやすくなります。社会的規範の多様性を促進することで、社会全体として孤独のリスクを減らすことができます。
嫌われない勇気
最新の心理学の知見から得られるアドバイスの要点は、「自分の欲求を変える必要はなく、受け入れられる環境を探す」ということです。自分らしくいたいというのは、人間として当たり前の欲求です。他人に嫌われたくないという感情も当たり前の欲求です。自分の欲求が満たされない環境で自尊心を保ち、幸せに暮らすことができると言うアドラー心理学の想定する人間像は、多くの人には当てはまりません。嫌われないように努力するのは、決して弱さや恥ずかしさではありません。それは単に、人間らしい自然な欲求です。
幸いなことに、現代は物理的には離れていても心理的には他人と繋がりやすい時代です。日本も、多くの人が思っているよりずっと多様な社会です。自分らしさを受け入れてくれる場所や人々は、必ず存在します。
あなたらしさに共感してくれる社会は、きっとあるはず。