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西行 語り継がれる漂泊の歌詠み:3 /五島美術館

承前

 旅に生きた西行を象徴する図像が「富士見西行」。富士山の絵とあって画題として好まれ、繰り返し描かれた。
 江戸狩野の狩野尚信による《富士見西行・大原御幸図屏風》(板橋区立美術館)は、右隻に富士と西行のみを配する。

 会場では、こまごまと書きこまれた古筆切が続いたあとに、この六曲一双屏風が現れた。
 スケール感のギャップも相まって、思わずのけぞる。画中の西行と同じく、富士の雄大な姿を「ほぉ~」とただ見上げてしまうのであった。
 尚信の筆は、水墨の潤いたっぷり、余白もたっぷり、そして余情がたっぷり。目を凝らせば、豊かな空白のなかに、富士をとりまく雲海や霞が見えてくるようだ。

 ※20秒あたり〜富士見をする西行の拡大があるので、ご覧あれ。


 江戸の庶民に広く読まれた版本には、西行の伝承を下敷きにしたパロディ的な読み物もみられた。五島美術館の隣にある関連施設・大東急記念文庫は古典籍の宝庫。こういった江戸の版本も、お手のものである。
  一攫千金を得た西行が、放蕩三昧の旅に出る……と、あらすじを聞くだけで笑ってしまうような話もあったが、誰もが元ネタを知っていなければ、また西行という人に予備知識と親しみとをもっていなければ、このような作品は生まれえなかったはず。江戸の庶民にとっても、西行は身近な存在であった。

 本展では、五島美術館ならではの作品選定も光った。
 西行が慕った待賢門院璋子に関連して、待賢門院が発願者のひとりと推定される《久能寺経》を。
 西行が地獄絵を題材に歌を詠んだことにちなみ、題材・時代とも西行が観たものに合いそうな《地獄草紙》の断簡を。
 西行と交友のあった平忠盛に関連して、その写経を。
 こういった作品が自前でポンと出せてしまうあたりは、さすが五島美術館。お蔵が深いのである。

 また、五島美術館といえば、茶道具。
 先に触れた黄瀬戸の名碗《銘  柳かげ》の横に仲良く並んでいたのが《唐物肩衝茶入 銘 安国寺》。別称を「中山肩衝」といい、やはり西行の和歌にちなんでいる。
 西行由来の歌銘をもつ茶道具の名品を、館蔵品からまかなえてしまう。これはすごいことだ。


 ーー西行の事績と筆跡、逸話と伝説、その展開を多面的に集成していくなかで、館蔵品の活用もはかる。
 西行展の決定版であると同時に、この館でしかなしえない展示ともなっていた。いやはや、最終日に間に合ってほんとうによかった……

 好きな西行の一首をご紹介して、本稿の締めに換えるとしたい。

吉野山こぞの枝折(しおり)の道かへて
まだ見ぬかたの花を尋(たずぬ)ん

 既知の選択肢を廃し、未知なる選択肢をとる。西行のあくなき好奇心と探究心には、爽快さすら覚える。散歩でも旅先でも登山でも、やはり、知らない道を往くほうが楽しいものだ。


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