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noteを書く理由を考えてみた。




noteを書く理由ってなんだろう?


そんなことを、ここ数日考えていた。


答えはでなかった。






だが、考える中で生まれた思いがある。


それは、自分が心から素晴らしいと思える文章を書き続けようというものだ。









◇◇◇








僕はフリーライターとして生活している。


そのかたわら、noteやブログといった自分のコンテンツを更新している。


はっきり言って、裕福な暮らしではない。


本、食費、固定費以外にほとんどお金を使わないので、生活に困窮してはいないのだが、家族や友人に心配されることもしばしばだ。








そんな中、毎日3~4時間かけてnoteと向き合っているので、


「そこまでして、何のためにやってるの?」


という意見が出てくるのも至極当然だ。


事実、自分でもnoteを書く理由を探していたのだから、僕自身も疑問に思っているのだろう。








でも、わからない。







気が向かなければ、やらなくてもいい。



ただ、書きたいのだ。








しかし、この「書きたい」が、何に由来する感情なのか自分で理解できていない。


自分を表現したいから、文章で食べていきたいから、誰かのためになりたいから、自分と向き合いたいから…。



様々な感情が入り混じっている。









◇◇◇









本心ではやはり、noteにおいては「芸術家」でありたいと思っている。


しかし、仕事の時は実用的な文章を書いていることや、自身の生活状況に引っ張られ、どうしても芸術性に振り切ることができないのだ。


頭では、自己を表現する芸術性を重視したいと思っていても、どこかで「上手に」「必要とされるように」「形式通りに」といった声が耳元で囁いてくる。









仕事と芸術の棲み分けができていないのは、僕がまだまだ物書きとして未熟だからなのか、それとも一生付き合っていく悩みなのか。


それは、僕にはまだわからない。








ただ、仕事か芸術か、いずれにしても譲れないことがある。

それが、自分が心から素晴らしいと思える文章を書き続けることだ。







文章を書く際、やろうと思えばいくらでも手が抜ける。


だが、それをすると自分で自分が許せなくなる。


満足できない文章を売ることは僕にはできないし、そこには芸術としての魅力もないだろう。







だからこそ、今はとにかく自分が素晴らしいと思える、満足のできる文章を書き続ける。


仕事、芸術、趣味…、noteを書く理由は結局わからない。


だが、そんな理由なんて関係ない。



今はただ、素晴らしいと思える文章を追求し続けることが、僕を導いてくれると信じるだけだ。





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