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ラドゥ・ジュデ『世界の終わりにはあまり期待しないで (Do Not Expect Too Much from the End of the World)』ルーマニア、終わらない労働と届かない声

大傑作。2024年アカデミー国際長編映画賞ルーマニア代表。ラドゥ・ジュデ長編10作目。大きく二部構成になっていて、第一部は搾取され続けるADアンジェラが多国籍企業の"安全講習ビデオ"製作のため、参加キャスト選びに奔走する話、第二部はそこから選ばれたオヴィディウを撮影する現場の混乱を撮影機材による長回しで捉えたものである。第一部では1981年に製作されたルチアン・ブラトゥ『Angela Moves On』という、女性タクシー運転手の仕事と恋を描いた作品が並置され、現代のADアンジェラと"対話"するかの如く絡み合っている。もちろん、同作で主演のアンジェラとその恋人ジュリを演じたDorina LazărとLászló Miskeは老夫婦役で登場するため、続編のような立ち位置でもある。並置されるのは、似た行動の反復という単純なものもあれば、スローで再生された同作の中に映り込んだ炊き出しに並ぶ人々の映像や、映画内映画アンジェラが交通整理員と挨拶するシーンとADアンジェラがルーマニア名物"動脈硬化で詰まりかけの血管みたいな渋滞道路"でクラクションを鳴らしまくるシーンのように、40年経っても変わらないか、或いは悪化している状況への言及なども含まれており、『Uppercase Print』で使用したコラージュ方式を応用している。また、交通事故が頻発するのになんの処置もとられていない道路には遺族が十字架を建てているようで、映画にも100個近い十字架が無言で登場する。『若き詩人の心の傷跡』『The Exit of the Trains』にも似た"現実"の使い方だ。また、永遠に仕事が終わらないAD生活というのは、ジュデ本人の体験談らしい。彼は映画業界でのキャリアを運転を含めた雑務から始め、実際に企業の安全講習ビデオのディレクターを務めたこともあったそうだ。ジュデの同業友人が過労の末に居眠り運転で事故死したこともあったらしい。死に前に友人が会社に過労を訴えた際に、会社から言われた"レッドブルでも飲んどけ"は作中でADアンジェラも言われている。そんな労働環境を端的に示すため、映画は助手席に座って運転席のADアンジェラを延々と映し続ける。16mmフィルムで撮影されている現代パートは粒子も粗く、加えてADアンジェラはスパンコールのドレスを着ているので、やたらとギラギラ光っており、まるで"世界の終わり"のようですらある。彼女の労働時間が伸びるほど、映画自体も長くなって我々にも疲労がたまり、彼女と同じ時間の重みを体感することになる。

彼女は様々な場所を訪れる仕事の合間に、過激なTikTok動画を撮っている。ハゲ頭に髭面のフィルターを入れて"ボビツァ"と名乗り、アンドリュー・テイト(欧米で有名な差別主義者のTikTokerでルーマニアに移住後に強姦容疑で逮捕された)の友人を騙り、目に見えるもの全てにヘイトを撒き散らす動画を撮っている。他にもADアンジェラが休憩中にTikTokを覗いているシーンも挿入される。更には、ニーナ・ホス演じるクライアントとのZoom映像では、彼女の背景が都市の写真になっていて、実験映画作家のコラージュ(ガイ・マディンのインスタみたい)のようでもある。それらは『Angela Moves On』の断片の挟み込み方とも似ていて、"ルールを守らなかったから怪我をした"という安全講習ビデオの内容に反抗して映画のルールをわざと破壊しているようにも見えてくる。ジュデはTikTokやZoomといった新たな種類の映像表現について、100年前にグリフィスやリュミエール、シュトロハイムが切り拓いた映画の地平と同等であると見做しており、"アイデアの宝庫"であり"今公開されているすべての映画よりはるかに興味深く挑発的で倒錯的だ"としている。更には、グリフィスやリュミエールが好きなら、なぜTikTokを好まないのか?と挑発までしている。実に痛快。グリフィスを称賛しながらTikTokerを嗤う人は、100年前にグリフィスを嗤っていただろう、ということだろう。とはいえ、まだ映画にTikTokを出しただけという感じはするので、ジュデでも縦画面は少々持て余し気味といったところか。

第二部ではADアンジェラの取材によって選ばれた青年オヴィディウを撮影する現場の混乱が語られる。20分ほどの長回しの中では様々なことが起こる。クライアント社長による遠隔注文、背景に映り込んだトラックの移動、休憩中に登場するボビツァ、ディレクターによる映画知識披露、せっかく前日に過労アンジェラがホテルまで送り届けたのに体調不良で欠席する広報。オヴィディウが語った事実は少しずつ弱毒化され、最後には言葉すら奪われてしまう。この感じ、『ラザレスク氏の最期』に似ている。ただ、同作がルーマニア国内の変化の象徴だったのに対して、本作品では末端労働者の声、ルーマニア国民の声が世界に届いていないことを感じさせる。背景で突然撮影を始めるボビツァのヘイト映像は簡単に拡散されるのに。

ちなみにジュデは現在、哲学者で映画理論家の友人クリスティアン・フェレンツ=フラッツと共に、革命後ルーマニアの歴史を広告映像のみで再構築したファウンドフテージ・ドキュメンタリーの編集が終わったところらしい。また、前作『アンラッキー・セックス…』に資金を出し渋ったプロデューサーたちに"もし私がドラキュラ映画作ったら出してくれんの?"と尋ねたことからスタートしたドラキュラ映画『Dracula Park』の追加資金も探しているらしい。ジュデのドラキュラ映画とか面白そうだな。

追記
エンディングは手書きの紙に名前を書き連ねたものだった。AD大変そう。そこには小林一茶と松尾芭蕉の俳句は5つ引用されていた。英語だったのでなんの句なのかは分からなかったが、『Everybody in Our Family』でも俳句引用してたし、好きなんかな。

追記2
作中ではウクライナ侵攻によって起こった物価上昇、ゴダールの自殺、アンドリュー・テイトの事件等の様々な時事ネタが登場する。同じ釜山で観たウェルチマンズ『The Peasants』は5年近くの製作期間の間にAI技術に抜かされて割りを食ってたが、ジュデはそんなのすら追い抜かすほどフッ軽なのが凄い。

・作品データ

原題:Nu Aștepta Prea Mult de la Sfârșitul Lumii
上映時間:164分
監督:Radu Jude
製作:2023年(ルーマニア, クロアチア, フランス, ドイツ, ルクセンブルク, スイス, イギリス)

・評価:90点

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