ミカエル・アース『午前4時にパリの夜は明ける』人生の中で些細な瞬間を共有すること
傑作。2022年ベルリン映画祭コンペ部門選出作品。1981年、パリはミッテラン大統領誕生の狂乱騒ぎに包まれていた。これから新しい時代が始まるかもしれないという熱狂を、エリザベートはパリの高層マンションにある角部屋の広い窓から見下ろしている。3年が経って、結婚生活の終りを迎えたエリザベートは、自分と二人の子供たちの生活費を稼ぐために仕事を始めなければならないが、自分を捨てた夫への怒りと悲しみ、久々の仕事への不安に包まれていた。そして、いつも聴いていた深夜ラジオの収録現場で働き始めたエリザベートは、ガラス張りの角部屋やラジオのオペレーターブースなどから世界を眺める観察者として、"リスナーと繋がる"ことで世界と繋がり始める。ある日、収録にやって来たリスナーの少女タルーラが、その不幸な子供時代と家族関係を匂わせながらホームレス生活をしていると知ったエリザベートは、彼女を自宅の空き部屋に招待する。優秀だが方向音痴で詩人になることを夢見る息子マティアス、政治活動に精を出す娘ジュディットに比べて、タルーラは全く未来に興味がないように見え、そんな全く異なる四人は様々な場所で一点に交わり、些細な瞬間を共有する。子供たちの年齢が高いこともあるんだろうけど、エリザベートの"子供"ではなく"長い時間を共有した"ことにフォーカスしているので、ヴァンダもタルーラもユーゴもその輪の中に難なく入れる。この優しさ、ミカエル・アースだなあと。ついでに言うと、『グレムリン』を観ようとして忍び込んだ劇場でエリック・ロメール『満月の夜』を目撃して女優を目指し始めたタルーラが、同年代だったパスカル・オジエが若くして亡くなったことにショックを受けるという、この唐突な喪失感もアースっぽい。
タルーラは映画について"映画によってはニ回目で、何年か後に観て、それで初めて好きになるような作品もある"と答えている。それは、夫に捨てられて塞ぎ込むエリザベートが、次第に自分の人生を取り戻していく過程と呼応している。気にもせずに過ぎ去ってしまった些細な瞬間の数々へのノスタスジアのような一作。
・作品データ
原題:Les passagers de la nuit
上映時間:111分
監督:Mikhaël Hers
製作:2022年(フランス)
・評価:80点
・ベルリン国際映画祭2021 その他の作品
★コンペティション部門選出作品
1 . カルラ・シモン『Alcarràs』スペイン、ある桃農家一族の肖像
2 . カミラ・アンディニ『ナナ』1960年代インドネシアにおけるシスターフッド時代劇
3 . クレール・ドゥニ『愛と激しさをもって』生まれ変わった"私たちは一緒に年を取ることはない"
6 . リティ・パン『すべては大丈夫』リティ・パンはお怒りのようです
7 . パオロ・タヴィアーニ『遺灰は語る』兄ヴィットリオ・タヴィアーニに捧ぐ物語
8 . ウルスラ・メイエ『The Line』スイス、トキシックな家族関係について
9 . ホン・サンス『小説家の映画』偶然の出会いの連なり
11 . ミカエル・アース『午前4時にパリの夜は明ける』人生の中で些細な瞬間を共有すること
12 . フランソワ・オゾン『苦い涙』ピーター・フォン・カントの苦い涙
13 . ミヒャエル・コッホ『A Piece of Sky』スイス、変質していく男と支え続ける女
14 . アンドレアス・ドレーゼン『クルナス母さんvs.アメリカ大統領』ラビエ・クルナズと国家の1800日戦争
15 . リー・ルイジュン『小さき麦の花』中国、花と円形は愛のしるし
16 . ウルリヒ・ザイドル『Rimini』"父親"を拒絶し、"父親"となる歌手の兄
17 . ナタリア・ロペス・ガヤルド『Robe of Gems』メキシコ、奇妙に交わる三人の女性の物語
18 . ドゥニ・コテ『That Kind of Summer』カナダ、性欲過剰者の共同生活から何が見えるか
★エンカウンターズ部門選出作品
1 . アルノー・ドゥ・パリエール『American Journal』フランス、独り善がりなシネマエッセイ
3 . Jöns Jönsson『Axiom』ドイツ、嘘とパクリで構成された人生
4 . Syllas Tzoumerkas&Christos Passalis『The City and the City』テッサロニキとユダヤ人の暗い歴史
5 . ベルトラン・ボネロ『Coma』停止した"現在"は煉獄なのか
7 . Kivu Ruhorahoza『Father's Day』ルワンダ、"父親"を巡る三つの物語
11 . アシュリー・マッケンジー『Queens of the Qing Dynasty』カナダ、"期限切れ"の未来
13 . 三宅唱『ケイコ 目を澄ませて』聾唖のボクサーの日記