【174】美しく枯れる

年度初めに仕事を辞めた。

精神的でなく、身体的な都合。

5年務めたその職場は、本当に人に恵まれていた。

5年というと周りから見たら大したことはないのかもしれないが

5年前や、それ以前の自分を振り返ると、本当に酷いものだった。

自分の人生なのに、人のせいにして逃げたり

人との関わりを自分から避けたり、繋がりを断ったり

自分自身と向き合っているようで、結局は逃げていたように思う。


ただ、それがあって今の自分が在ることには感謝している。

欲を言えば、今の精神状態でもう一度やり直せるならそうしたい。

でも、過去には戻れないし、今は今で納得しているから、そう強くは思わない。


「美しく枯れる」

お酒の席で辞めた職場の大先輩に聞いて買ってみた。

そんな報告をしてみると

「いや、今の君が読む本じゃない笑」とのことだった。

薄っぺらな自身は、結局買って満足の4ヶ月放置。

いつか読もうのいつかは、基本的に来ない。

いつかの野望には期日を設定してしまった方がいい。

そんな行動の技術も、頭や文字で、机の上では分かっても

行動に移すのは簡単そうでいて、腰が重いものだと改めて感じる。

私は怠惰な怠け者だ。

こういうタイプの人は、長生きするような気がしている。

考えてるようで考えてないとか
どんなに嫌なことがあっても一晩寝れば忘れるし
何より毎日ぐっすり眠れている

沈んでいるようで結局最後は楽観的で、食欲も睡眠欲も性欲もバッチリ。

自分の世界だけの発言で
「元気なのが嫌になる」時も正直ある。

私の人生は長いと思う。


「美しく枯れる」



「今の君が読む本ではない」って言うのは

著者の玉袋筋太郎さん世代の著書という点にある。

著者に限らす、きっとそのくらいの年齢になると考えることや

自分の人生をどう考えいくか。

良くも悪くも、そういうものと向き合わざるを得ない内容だと思うからだ。

プライド、立場、自身と周囲の評価の乖離、孤独、身体的な老いなど。

どう捉えるかは読む人によるんだろうけど

「今の自分が読むべき本」だと思った。


「美しく枯れる」



当初は別の理由で退職を考えていた。

海外ボランティアに行ってみたかった。

その素晴らしい目標の裏側には

「仕事や人に恵まれているけど、この先の自分はどうなるんだろうか」

「あぁ。みんな何を考えて生きているんだろう」

海外に行ってみたかったんではなく
海外にいってみたい体にしていたのは
その時から分かっていた。

「何かに一生懸命に向かっている人が羨ましい」

そんなものだ。

心のどこかで
「挑戦してダメでも、職場には戻れるだろう」
そんな気持ちもあった。

ただ、蓋を開ければ、怪我して入院手術して、そのまま退職。

体を使う仕事なのに、体が使えない人を置いておくのは難しい。

双方、言葉にはしないが思っていたことだと思う。

その中で「自分のやれることで頑張るので置いてください」

なんて言うことも、その時の自分には出来なかった。


人に言うのは簡単、自分で行動に起こすのは難関。


当初の計画は見事に水の泡で、残ったのは動かし難くなった脚と、空っぽの財布、それでも結局元気な精神と健康。


「あぁ、終わった」という気持ちと
「まぁ、なんとかはなるっしょ」
「いや、なんとかするっしょ」という気持ちと
ぐるぐる回った末に、どうにかこうにか住む場所と仕事に就けて、この文章を書いている。


「美しく枯れる」


後悔のある過去にも、それなりに感謝が出来て
色々あったけど前の職場を恨むこともなく
脚の調子は良くないかもしれないけど、自分の調子が悪い訳でもない。

同じような悩みを、悩んでいるフリをして
沈む自分に酔って、上がれば調子に乗り

中途半端な意欲で、それなりに目の前のことに取り組んでなんとなく生きる。


「美しく枯れる」


ギリギリ若手は、中堅の年代に足が浸かり始める

歳だけとって中身は子供

社会のことも分からない。

器用貧乏だと思っていた自分の実際は

対して器用でもない、中途半端な薄っぺらい人間。


変わっているようで何も変わっていない。

対して成長もなく、若干の体力の衰えを感じている。

考え方の柔軟性も低くなったような感覚もある。


誰かが同じことを言えば、すかさず

「いや、そんなことねーよ」

と言って、その人の良い所をを無限に言う自信がある。

私は人が羨ましい。

自分に無いものを持っている、自分以外の人が羨ましい。


「美しく枯れる」


仏教みたいなものを噛じれば

「合理的に考えれば大体の道筋は立てられる」
ような気がする。

答えが出ないことに悩んでも仕方が無い
無いものねだりせず、あるもので工夫する
求める前に、自分が与える

たくさんの学びがある中で

それでも自分や、自分のような人がいるんだろう。

誰でも感情や、弱い心があるんだろうから。

合理性だけで人は生きられない。


「美しく枯れる」


一見読んだように文章を書いているが

実際は「読み進めたくない」気持ちの現実逃避で手を動かしている。

文字を追いながら色んなことを考える中で

「これからの自分」
をなんとなく想像してしまったからだ。

幸も不幸も、今が成り立ってしまっている。

実際、今後の未来のことなんて分からないけど

きっと、何も無ければ、どうにか仕事に行って中途半端に業務をこなし

待ち遠しい休日が来れば、特別何もせずダラダラ過ごす

欲しなければ、彼氏彼女ができることもないし

意識を向けなければ運動することもない

興味を持たなければ学ぶこともないし

責任感がなければ、いつか来る家族の面倒をみることもなく

ある程度の計画を立てなければ、老後が困る。

そしてなんだかんだで、命が尽きる間際に後悔する。

そこまで的外れではないと思う。

そして

それが分かっていても

結局、今日と同じ明日が来る体で

今を漫然と過ごしている。


「美しく枯れる」


自分の人生は自分のものだから

何をしても良いと考えている。


それを貫く際には、自業自得や自己責任を忘れずに。


私はこれからどうなっていくのか
と考えて
私はこれからどうしたいのか
と向き合って
私はこれからどうするのか
と行動を選択する


その結果、自分自身や、自分を取り巻く人、自分の大切な人が

より良い時間を過ごせたらいい。


「美しく枯れる」とはなんだろう。
なんとなく分かるような気がするけど
はっきりとは分からないし
分かってしまうのも少し怖い。

物事の大体は表裏一体で、捉え方次第。

決まった正解もないし

人生に意味なんてない

自分はこの丸い地球でたまたま生きているだけの動物。

人生に意味はないけど

人生に意味付けをするのは自由。


これからも沢山考えるフリをして
中途半端な選択を行動を繰り返しながら
なんとなく生きていく。


「大丈夫。なんとかなる」
「大丈夫。なんとかする」

頑張りたい時に頑張って
頑張れない時は頑張らずに

自分の直感と協力しながら

「それなりに美しく、ひっそり静かに枯れていく」

そうなれたらいい。

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