ひらがなみたいなまいにち
風呂上がり、湿度が高かった。
洗面所の湿気がいつまでも消えなくて、明日は暖かくなるのかな、と考える。
次の日の天気はいつだって、前夜に少しだけ予感がする。
雨が降る日の前の夜は、必ずどこか雨の匂いがするものだ。
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いつだって朝のバスで書きたいのに、周りの目を気にして、むりなのだ。
書こうとして諦め、窓の外を見たときに、
遠くの道まで見える、交差点に差し掛かっているところだった。
そういう時、自分を客観的にみることができる。
ああ、自分は、と。
特に最近は、自分を客観的にみることができなくて、泣いてばかりなのだ。正しくは、客観的に"みたくない"なのかもしれないが。
バスのドアが開いて、人が乗り込んでくる。
外からは、ふわっと青い芝の匂いがしていた。
温度を伴う匂い。
街中なのに、なぜ?
昔から夏は嫌い。だから毎年初夏になると、身体が居心地良くない感じがする。
心拍数の上がる夏の身体を、頭が覚えてしまっているのだ。
ただ、初夏の気温と空気感と言ったら、たまらなく心地いいので、身体が矛盾を叫ぶのだけど。
明るいうちに帰路に着くのが嬉しい。
けれど、家での時間の進みは早い。
もう次の日だ。
次の日も、瞬きするうちに終わる。
そうしてまた気がつくと、その次の日も終わっている。
自分は、何をしているのか分からない。
何のために朝バスに乗っているか。
丸一日、ぎゅっと身体を固めて、まるで意欲的みたいに、そこにいる。ずっとそこにいるという覚悟を決めているみたいに、そこにいる。
今に始まったことではないが、私には社会生活が不向きなのだ。
小学生の時からだ。
外部からの刺激で、いつも疲れていたし、頭の中が散らかっているし、心は揺れていた。
喉には涙のかたまりが、いつだっていた。
いつも全部自分のせいだった。
環境を選んだのは自分。割り切れないのも自分。いつまでも、どうしようもできないのが、自分。
考えなくてもいいことまで考えている。
感情は、ましな日があれば上出来。
地上にぽこっと頭を出す日は、よかった日。
たいてい感情は、地下にいて、匍匐前進で進んでいる。
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この文章にオチをつけられず、下書きに入ったままでいたけれど、私たちの日常にオチなんて存在しないよな。毎日同じで、でも、少しづつ違う。
それの繰り返し。
未来なんて考えなくって良くて、落ち込むなら落ち込んでたらいいよ。
その時の感情を、思いっきり身体で受け止める。
気づかないふりがいちばんきけん。
ひらがなみたいな、まいにちでいよう。
曲線みたいな、まいにち。