1000年前も、8000年後も
清少納言と紫式部は同じ会社の先輩後輩であり、共に次期社長を狙う女性役員に仕えていた。
清少納言の仕える定子(ていし)は一条天皇の中宮。藤原道隆の娘。
当時の日本は一夫一妻ではなかった。
やがて道隆の弟 道長が自分の娘である彰子(しょうし)を一条天皇の中宮として送り込んだ。
結果、定子が皇后、彰子が中宮という異例の役員配置となった。
自分の娘が天皇の子を産めば、自身が未来の天皇の外祖父として権力を握れる。優秀な女房(高貴な女性のそばに仕える女性のこと)を用意し、一条天皇の寵愛を受けねばならぬ。
そこで彰子サロンへスカウトされたのが紫式部。
すでに定子サロンでは清少納言が人気者だった。
このパワーバランスの中で、紫式部と清少納言は必然的にライバルとならざるを得なかった。
清少納言の方が若干年上、さっぱりした性格で、見たこと、思ったことをすぐエッセイに書いた。貴重な紙を上司(定子)からいただいた喜びをこう表現している。
一方、紫式部は正反対の湿度高い系で、思いをじっとり発酵させた後、書くタイプだった。
先輩が社内報インタビューで何気なく言った一言がアウティング(*)だ、マタハラだと社内ハラスメント部へメール送っちゃうタイプ。密かに妊活しているのを知っているのは先輩だけ。これは私のことを言っているのよ。
だから紫式部はブログ(紫式部日記)で清少納言のことを散々ディスってる。X(Twitter)の悪口みたいに。
*人のSOGI(性自認、性的指向)を、当事者の許可なく他の人に言いふらしたり、SNSなどに書き込み暴露すること
1000年前の話だが、1000年たった令和のいまも、何ひとつ変わらない。
映画行こう。
JR大阪駅。天空の広場。
若手漫才コンビがステージにいて、観客集まってる。
日曜の午後。人が多い。
1000年後、ここにいる全員、入れ替わってる。ぼくも含め。そもそもこの建築物も、消えてるだろう。
でも、1000年後に生きる人たちは、ケンカしたり、ディスったり、清少納言と紫式部みたいなこと、やってるはずだ。変わらず。
映画館着いた。
ゴジラ-1.0の対策として履いてるデニムの前ボタンを外した。これでゆるくなり、しめつけないから、マシだろう。
デューン part2
part1、予習のためにアマプラで見始めたのだが、途中寝てしまい、残り2時間観てないまま、映画館に来た。
配信待つ選択肢はなかった。これは映画館で観るべき映画だと思った。
戦いの話。
主人公ポールは、あんなに可愛かったのに、だんだん勘違いを始める。
若い頃よくやる勘違いだ。全能感。オレ、何でもできる。オレ、選ばれし人。
そして最後、雌雄を決する一騎打ち。言い換えればマウンティング決勝戦。
ここまで観て、「どっちが勝とうが同じじゃねーか」と醒めてた。
そう。
戦争なんてのに聖戦はない。
要は殺人、破壊である。
朝読んだエコノミストの記事が浮かんだ。
何をどう言おうが、イスラエル、このままじゃ孤立するよ、という内容。
デューン、舞台設定は8000年未来だ。
でも、1000年前の清少納言と紫式部のように、やってることはいまと同じ。
変わらない。
戦争。領土の奪い合い。
その背景にあるのは希少資源の奪い合い。経済的理由。
そして。
支配したい人と支配されたい民衆は8000年後も、変わらず、存在する。
支配されたい民衆が存在する限り、宗教と政治が一体化すると、極めて有効に働く。
救いは、主人公の妹が母のお腹にいること。
おそらく、この後、彼女が何かしてくれる。
やれやれ、これはpart3も観なきゃなあ。配信だとだめだ。映画館の大音響で時々起こしてもらわないと。
余韻に浸りながら劇場出口に向かうゆるい坂道を歩く。何かヘンだ。デニムが落ちてくる。おかしい。
ボタン、開けたままだった。
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