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鬱病患者の懇願


 鬱病を1度でも患ってしまったら、完全に回復することはないようです。
と他人に説明してみれば、それとない助言を頂きます。しかし、治らないものは治りません。僕たち患者が求めているのは助言ではありません。傲慢な考えではありますが、できれば放っておいてくださるとありがたいのです。

 日本は精神病への理解のなさが著しいです。理解してくれとは言いませんが、理解がないのなら知った顔で助言を押し付けることは控えてくださると嬉しいです。
貴方のその優しさは、時に人にナイフを突き立てることになります。ありがたいお言葉でありますが、その優しさに苦しめられる鬱病患者が存在するのは事実です。

 鬱病というのには、大きく2種類あります。
単極性鬱病、そして双極性鬱病です。
単極性鬱病というものは、鬱状態のみが起こる病気です。
対して双極性鬱病というものは、躁状態と鬱状態が交互に起こる病気です。
躁状態というものは、所謂、元気な状態のことを指します。元気と言っても、ただ明るいというわけではありません。
躁状態が著しい患者は、異様なまでに昂った状態で散財したりします。後先考えず「今の自分最高!」と考えるようになり、のちに後悔の引き金となる事件を起こす可能性があります。人間関係が壊れてしまうような発言をしてしまうのも躁状態の特徴にあります。
そして、その後には必ず鬱状態が待っています。これが酷い地獄なのです。
誰得な情報ではありますが、僕は双極性鬱病を患っています。
このあと自分が地獄に落ちると分かっている心境、分かっていただけますでしょうか?
なんとも言えない焦燥感に駆られるのです。

 鬱病と言えば、"落ち込んでる状態" と誤解されることが度々あります。
まあ簡単に言えばそれで正解です。
分かりやすく言うならば、「どうしても死にたいという状態が永遠に続く」とでもなるでしょうか。
人間、1度や2度、死にたいと思うことはあるかもしれません。その気持ちを経験したことがある人なら少しは理解してくださるかもしれません。その気持ちが断片的ではなく、永遠に続くのが鬱病です。
そりゃあ、薬を飲めば軽減はされます。ただ、軽減されるだけなのです。
これから生きていくにあたって、死ぬまで鬱というものに怯える必要があるのです。
しかしまあ、その薬というものが残酷なものでして。
治すために、鬱状態を酷くさせるのです。おそらく僕が服用していた薬は、僕に合っていなかったのだと思います。それでも、少しの希望を胸に飲み続けなければなりません。
ちなみに、現在は服用を辞めています。医師に命じられたわけではなく、自己判断で病院に行かなくなりました。実はこれ、良くないことです。
自己判断で薬の服用をストップさせるというのは危険でしかありません。
しかし、現在は症状が軽くなっています。
高校時代の後輩も同じ病気を患っており、彼女もまた服用を辞めているらしく、基本的に健やかな毎日を送っていると以前聞きました。
それでも僕よりは症状が格段に良くありません。
僕でさえ苦しい日々を送っているのに。
そして、日本の精神病棟もまた世界と比べて遅れているらしいのです。
閉鎖病棟はそれはもう地獄らしく。
窓も無ければテレビも無い。スマホは没収され、あるのはラジオだけ。
どう考えても狂っています。鬱病患者はできるだけ穏やかな空間に身を置くことが大切であるのに、完全に隔離された空間に放り込んでおくという治療方法は、もはや治療とは呼べません。
他の国が精神病に対してどのような治療があって、どれくらい理解があるのかについては詳しくありませんが、日本の精神病患者はとても肩身が狭い思いをしています。
なぜなら、精神病というだけで偏見を持たれるからです。そして、精神病の知識が欠乏しているにも関わらず、身勝手な価値観を押し付けてくる人々は多かれ少なかれ存在しています。

 最近もまた1人、友人が鬱病を患ったようです。
症状の重さの程度は聞いていませんが、彼が感じていた多大なプレッシャーによるものだと聞かされています。
以前は他人事だと思っていた鬱病ですが、自らが患者となり、意外にも自分の周りに患者がいることに気がつくこととなりました。
人間いつ死ぬか分からないのと同じように、いつ鬱病を患うか分かりません。
特に、極端に自分に自信が無い人は注意しておくべきだと思います。
1度患ってしまえば、それからの未来に光は無いと同等の人生を歩むことになります。
周りが見えなくなり、気分が晴れない日々が続いた場合はすぐに病院にかかることをお勧めします。
僕は自分が何だかおかしいと感じてから、1年半もの間、病院に足を運ぶことはできませんでした。
精神科に出向くことは、かなりの勇気が必要になります。
しかし、一刻も早く症状を軽くすることが最重要事項です。
起床してから眠りにつくまで、死にたいという思考が頭を右往左往する生活は経験しないに越したことはありません。
さらに言えば、起きることも眠ることも儘なりません。

 先日、鬱病の症状が割と著しかった頃の動画を見ました。恋人が撮った動画です。昔の自分を知る自分だからこそ分かるのかもしれませんが、自然に笑えていませんでした。
今でもたまにそうなのですが、誰といても全く元気が出ず、自然と笑えないという日々が続いたら、明らかに危険信号です。
 ご飯を食べる度に嘔吐する、というのも危険信号です。僕は大好きな寿司もカレーもラーメンも全て戻していました。
 おかしな偏見を持たれる精神病ですが、その危険信号を見落とさずに病院へ行ってください。手遅れになる前に。

 ドライブが好きな僕ですが、病院に通っていた当時は運転を極力控えるよう命じられました。
好きに運転もできず、人混みに踏み出すことはもちろん不可能です。今では随分と気楽に出歩けるようになったのですが。それでも昔のようにはいきません。他人が多くいるところに出かけると、すぐに疲れてしまって苦しくなってしまいます。

 人との関わりに怯え、自身の人生に怯え、未来に、過去に、現在に怯える生活は、自分という人間を腐らせてしまいます。
鬱病患者は、誰も気に留めないような些細な一言で深い傷を負うことになりかねません。
もし、貴方の近くに鬱病を患う方がいらっしゃったら。話を聞いてあげる必要はありません。助言をする必要もありません。特別優しくする必要もありません。ただ、そっとしておいてあげてください。
そして、いつもと変わらぬ態度で接してあげてください。
それが最大の救いとなるはずです。
鬱病は人生を狂わせる病気です。そのくせ理解の浅い病気で、治ることもありません。
精神科や心療内科への通院歴がある患者は、不当な扱いを受けるとも聞いたことがあります。今の時代の話では無いと思いますが。それでも、精神病への理解のなさは異常です。
いえ、理解して欲しいとは言いません。鬱病はなってみないと理解できるものではないと思うので。
しかし、鬱病というものを少しでも知っておくだけで、寄り添い救える誰かがいるかもしれません。



長々と書き連ねましたが、少しでも理解が広まり、深まることを願うばかりです。

『幸せが僕をぶん殴る』という記事に追記しようとした文章ですが、あまりにも長くなってしまったので、1つの記事にしました。

どうか、ご自愛ください。




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