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その氷が溶けない限り。~後編

先日投稿した記事の後編です。
実は、前編後編両方を時間をかけて一気に書き上げてあったのですが……
な・ぜ・か。
両方とも前編の原稿にすり替わっていた……なんのバグ?(涙)
というわけで、しょんぼりと記憶をたどりながら、再度書き上げた、後編です。


3.停滞は、「宝」だ。

前回ご紹介した、クックグロイダーの論文の序文に、とても好きなフレーズがあります。

People have the right to be who they are at any station in life.

補足しながら説明しますと……

人はいつだって、その人のありのままでいていい。
そもそも、発達・成長をするかどうかも自由であるし、
発達・成長したからといって立場が優位だとかいうわけではなく、
「発達しなければならない」わけでもなく、
「発達=善」だとも言い切れない。また、そのプロセスでは、
時に停滞したり退行したりということがあって当たり前であり、
その人の自由でもある。

ということを意味します。
そしてこれは、私が支援者として大切にしているスタンスでもあります。

現場で多くの方々と関わっていると、本当に発達・成長のプロセスは本当に人それぞれの固有のもので、ペースも、通る道も、起こる出来事も、やってくる課題も、実に多様です。また、停滞や退行は、発達のプロセスにとってある側面から言えば「宝」ともいえるのです。

……という話を、先日仲間とのミーティングで話しましたら、議事録を書いてくれていた方が、

「今、『停滞』と聞いて即座に『怖い』というのがあがってきた。清乃さんはそんなことを言っていないのに、思わず議事録に書きそうになった」

とおっしゃっていました。

そうか、「停滞=怖い」なんだ。
たしかに、今のビジネス社会ではそうかもしれない。

……と考えていたら、あることを思い出しました。
私の体験です。

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4.「誰か」がいるから、痛みにダイブできる。

昨年、コーマワークという昏睡状態の方に関わる身体×心理的アプローチのトレーニングを受けていました。
(人の発達支援に関わる者として、あらゆる意識状態の方への関わりを学びたかったのと、「死」に関する学びを深めたかったのと……ほかにも理由はありますが今回は割愛)

身体に触れるワークなので、トレーニングはペアワークで行うことも多く。
その時にあった出来事についてお話します。

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ペアワーク、といっても、お互い昏睡ではないので、疑似昏睡に陥ってみたり、それ以外の身体症状をゲートウェイとしたワークをしたりします。
その時は、最近気になる身体症状について扱うワークでした。
私がクライアント役、パートナーがファシリテーター(セラピスト)役の時のことです。「最近気になっていることは?」と聞かれ、こう答えました。


「実はね、数年前から風邪をひくと咳のひどい風邪になってしまい、とっても苦しいの。咳き込むと全然おさまらなくて、ひどいときは吐きそうになるほど。治るのに一ヵ月はかかるし、その後ものどの違和感が長引いてしまって、なんだか気管支のあたりかな、胸がつまるような気もするの。何より、私は子どもの頃から吐くのが怖いくらい嫌いだから、すごく嫌なの……」


するとパートナーは、ささっとごみ袋をそばに用意し、

「わかった。どうなっても、何が起こっても大丈夫だから。全部出しちゃおう!」

と力強く言ってくれました。彼女のその言葉に、そして何よりそのプレゼンスに、圧倒的な信頼を感じて、安心して身をゆだねて深いワークをすることができたのです。
(結果的に吐くことはありませんでしたが、吐くことになってもいい、と思えました)

その時気づいたのです。

私は、「身体的苦痛=怖い」になっていたのだ、と。
そして、「身体的苦痛+信頼」になると、身体的苦痛は消えることは無いけれど、その苦痛に安心して飛び込むことができる。そこに向き合って、自分のワークをすることができるのだ、と。

そう。
痛みはその人固有のものであり、誰も代わってあげることはできない。
けれど、ともに居ることはできる。
そして、誰か信頼できる人がそばにいれば、安心してその痛みに飛び込む勇気とパワーを持つことが、私たちにはできるのです。

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人が発達・成長をするとき、「時には」痛みを伴います。
「すべて」ではありません。アドレナリン系のワクワクする発達・成長の機会もあれば、深く深く内側に沈み込んでいく、痛みを伴う発達・成長の機会もあるのです。

後者の場合……
信頼できる誰かがそばにいてくれたら、何かで誤魔化したり回避することなく「痛みを痛みとして」体験することができます。
それが、私が「発達支援の一環という役割で、セラピーが根付いてほしい」と思っている理由です。
セラピー的な関わりがあれば、たとえば今はどちらかといえばタブーとみられがちの「停滞」だって、宝に変えることもできるのでは、安心して停滞していられるのでは、と思うのです。


私自身、多くのセラピーが発達の背中を押してくれました。
主にやってきたのは、「ソマティックワーク」という心身統合・心身一如のワークです。ファシリテーターにからだに触れてもらうものもあれば、ムーブメントワーク(ダンスや自由な動きをすることで自分の内側から気づきをもたらすもの)や各種瞑想などの体験を重ねてきました。たとえば言語獲得期前のトラウマの解消を身体を入口にしていくセッションは、「言語獲得期前(胎児期から3歳くらいまで)」ですから言語的介入ができない、つまりカウンセリングやコーチングなどでは触れられない領域である、というのは心底うなづける体験でした。

これらの身体ワークは、顕在意識のようないわゆる自覚できる領域をはるかに超えた部分にアプローチできる手法です。私もご提供できるワークがあるので、個人セッションやワークショップ、リトリートに導入しています。
先日、連続の個人セッションを受けてくださっている方が、

「企業内研修で受けたワークもあったけれど、ここまで深く入れたことはなかった」

とおっしゃってくださいました。セラピー系のワークを含めた内容で実践しているからだというのが、私の仮説と実感です。

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痛みを癒せば、氷を溶かせば、今よりさらに豊かな世界が広がります。
「痛み=怖い」ではなく「痛み+信頼」で、多くの方がその旅を楽しまれますように。

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