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「遊行(ゆぎょう)のすすめ」遊ぶために地上に降りてきた魂

「遊行」という言葉が、
江戸の昔からあるようです。
仏教の僧侶が、寺を持たず、
日本の全国各地を巡り、
仏の教えを説き歩く事です。
「一遍上人」などが有名です。

遊行をする僧侶は、各地で
難しい説法や、苦行の大切さ
ばかりを話しても、
庶民は。なかなか話を
聞きいてくれません。

そこで僧侶は、各地で
見聞きした面白い話題を
織り交ぜながら、興味を引き、
楽しく、仏の教えを
伝えてきました。

日本の仏教の教えは、
自分で修行する、
小乗仏教ではなく、
徳のある人が代表で
民を救うという大乗仏教の
考え方ですから、
他者に厳しい修行を
勧めるわけではありません。
目的は、苦しみからの
民の心の開放、解脱です。
そのため
「人はみな、天界から
遊びに降りて来たのだ」
と、説く僧侶も多かったようです。

「人間は、何のために生きているか」
という問いに、僕自身、今は、
「もちろん、人生は、
楽しむためにある」
と強く考えています。

「今は」と冒頭につけたのは
逆に、小さい頃は、
「努力してもっと成長するため」
「苦労して何かを成し遂げるため」
と考えていた節があるからです。

そう思うのは、
中学時代に自分が書いた、
作文が、大人になってから、
ふと、古い棚から
出てきた事がきっかけに
なりました。
その作文には
「自分は苦労が足りず、
もっと苦労して成長しなければ」
と書いてあったのです。

これは当時、いつも父親から
「お前は、甘やかされていて
苦労が足りない。もっと苦労して
良い人間になれ」と、
いつも言われていた影響が
色濃く表れたかられでは、
と思っています。

その後、結婚もして、
小さな会社を経営をしていた
僕ですが、
その当時は「楽しいとか、
やりがいがある」というより。
本音は、とても気苦労が
多い期間でした。
その後、病気の妻との死別があり、
もろもろの事情で、会社も休眠、
子供もなく、体調も崩し、
「人生をこのまま
終わらせたい」と思うほど、
精神的にも、肉体的にも
どん底を経験しました。

体験記
https://note.com/kiyohiroh/n/n441da27097b0

その、どん底のどん底に
足を着けて思ったのは
「自分は何のために
生きているのだろう」
という疑問でした。
ひょっとして自分は、今まで、
自分の書いたシナリオ通りに
生きたのではないか、
という気付きがありました。

その頃から、
自分の考え方、解釈を改め、
「これからは、楽しみを
捕まえにいこう」という
思いに至ったのです。

その後は、体質改善
ダイエットを楽しみ
意識して
プラスの考え方や発言を
変えてみると、
人生が劇的に変化して、
新しいご縁を頂き、
10歳年下の女性と再婚
すぐに3人の子宝にも
恵まれました。

やはり、人生は、
「その人自身が思い描いている
シナリオ通り運ばれている」と
確信しました。

「人は、旅行期間
100年の計画で、
地上に遊びに来ているのだ」
と考えた方が、
人生が豊かになる、
と、僕は思っています。
人によって期間は
多少長い短いがありますが、
期間が終わったら、
魂は、もと居た、どこかの場所に
確実に、戻らなくてはいけません

もし、あなたが2週間の予定で
ハワイに放り出され、
お金の心配がなく、
宿の心配もなく、帰りの
飛行機のチケットもあるなら、
2週間、存分に
「はっちゃけ」ませんか。
その間、修行をして苦労しようと
思いますか。

ただ、
人生は、長くて、
毎日面白いだけでは
すぐ飽きてしまうので、
サッカーでは手が使えない
ルールを設けたように
ある程度、自分で自分に
縛りを作って、
お金を稼いだり、失ったり、
失恋したり、
事故に合ったりと、
ある意味アクシデントも
楽しんでいるようです。

以前の僕のように
苦労する事が、とても大事だと
シナリオに書いている人は、、
お金や、健康、人間関係
どんどん苦しくなる
連続トラップや爆弾を、
自ら、色々な所に仕掛けて
しまうようです。

僕の、今までの話は、
真偽の証明のしようが
ありません。が、しかし、
「自分は、一定期間、地上に
遊びに来ている。だから、
なんでも楽しんだ方が勝ち」
この考え方の方が、人生、とても
楽しく、楽になると、今は、
経験から話せます。

いや!人生はそんなに
甘いものではない。
弱肉強食、油断していれば
あっという間にやられてしまう。
もっと、自分を鍛えて、
もっと、スキルを磨き、武器にして、
もっと、苦労して、
もっと、稼いで、
もっと、がんばらなくては、と、
思う人は、どうぞ、
そのシナリオ通りの人生が
その方の幸せのように思います。

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