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『K.G.F Chapter 2』を観た

満を持して『K.G.F Chapter 2』を観てきたのだが、ヤバかった。
語彙力を失ってしまうくらい、とにかくヤバい映画だった。
観終わった後、脳が痺れていた。
「観る麻薬」である。

書きたいことで溢れており、整頓して文章にできるか分からないが、とにかく書いてみる。
なお、記事にはネタバレも含むので、これから鑑賞予定の人はそっと他の記事に移ってください。

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まず一言で表現すると、この映画は「神話」だ。

10歳にして天涯孤独の身となり、ギャングの元で成長した主人公ロッキーが、金鉱で虐げられていた労働者を救い出し、コミュニティの新しいリーダーとして「帝国」を作り上げる過程で民衆から神格化されるのだが、あまりに派手にやりすぎたため政府から目をつけられ、最後は軍隊によって海に沈められる。

舞台は1981年のインドで、時代背景としては現在の生活から遠くかけ離れているわけではないが、登場人物や舞台の設定がSFチックに描かれている。
「悪」をそのまま具現化したような黒ずくめのギャング集団、中世の奴隷のような扱いを受ける労働者、登場するたびに違うジャケットを着こなすロッキー。

はるか昔の話か、地球から遠く離れた惑星の話か、あるいは来たるべき未来の話なのか、絶妙にリアリティーのない世紀末な世界観が漂っている。
Chapter 1 では、地下神殿で仰々しく祭事を執り行うシーンがあり、現代における「神話」の創造を目指して制作されているような気がする。

日本では人気漫画が実写化されるたびに物議をかもすが、アクションや冒険系の漫画は全てインド映画に任せたらいい。
特に今話題の『ゴールデンカムイ』なんかは、インド映画ならかなり上手に原作を再現できると思う。

↑ Chapter 1 はYouTubeで公開されている。
カンナダ語音声で字幕なしなので、細かいストーリーはよく分からない。



この映画に関する基礎知識をざっくりと。

この映画はカンナダ語映画である。
カンナダ語はカルナータカ州で話される言語で、南インドを代表する言語の一つである。
南インドの他言語と比較して、映画の市場規模はかなり小さい方だったのだが、近年は注目を浴びるような映画が徐々に制作されるようになっている。
その最中、彗星の如く現れたのが『K.G.F』なのである。

Chapter 1 の公開は2018年。
感染症の影響で続編の撮影が中断となりながらも、2022年にようやく Chapter 2 が公開された。
4月14日の公開から1ヶ月も経っていないわけだが、すでにインド映画歴代興行収入ランキングでは4位にランクインしている。
まさに社会現象だと言っていい。

同ランキングの3位には『RRR』が入っており、インド映画史に残る名作を立て続けに現地の劇場で鑑賞できたのは幸運だと思う。

主人公ロッキーを演じたのは、ヤッシュ(Yash)というカンナダ語映画の俳優。
カンナダ映画界では有名俳優の一人だが、インド全体では知名度は低かったらしい。
一躍、国民のスターになったわけだが、あまりにもロッキーのカリスマ性が高すぎたために、今後は彼が何を演じてもロッキーになってしまいそうな気がする。




Chapter 1 の内容も含めて、映画のあらすじをざっくりと。

Chapter 2 は英語字幕だったのだが、字幕が流れるのが速かったうえに、登場人物が多すぎて詳細なストーリーは追いきれなかった。
ただ、インド映画にありがちなシンプルな勧善懲悪だったので、簡単な流れは理解できた。

カンナダ語映画なので、舞台はカルナータカ州である。

水色で囲っているところがカルナータカ州。インドの南西部に位置する。
そして、主要な舞台になるのが、コーラールである。
映画のタイトルである「K.G.F」は、「Kolar Gold Fields(コーラール金鉱)」の頭文字を取っている。
なお、コーラール金鉱は実在しているが、映画で描かれている世界は完全にフィクションであるとのこと。

主人公ロッキーは、マンガルールにある貧しいシングルマザーの家庭で生まれ育った。気丈な性格だった母親は幼いロッキーに、「1番の富と権力の持ち主になりなさい」的なことを言い聞かせる。ロッキーが10歳の時に、唯一の肉親だった母親が他界する。その後、ムンバイに流れ着いた彼はギャングの元で成長し、いつしかボスすらも恐れを抱くほど強い男になる。
一方、彼の故郷カルナータカ州にはコーラール金鉱という金鉱があった。ここは地元マフィアの一族が牛耳っており、金の密輸で大儲けしていた。労働者は誘拐されてきた人がほとんどで、奴隷のような扱いを受ける地獄のような場所だった。
そんな金鉱マフィアであるが、一族内で権力争いが起こっており、支配の頂点に立つ男を暗殺するようにロッキーに依頼が入る。しかし、暗殺の計画が事前に漏れていたようで、ロッキーは失敗してしまう。
その後、ロッキーは労働者に身を偽って、金鉱内に潜入する。母親の言い聞かせにより権力志向が強かったロッキーは、金鉱の見張りにつくマフィアの下っ端を次々と殺していき、最終的に支配者の殺害にも成功する。
幼い頃に母親を亡くした体験から、ロッキーは子どもや母親に優しい男で、そういった人情深いところが労働者に支持され、ついに彼はコーラール金鉱の実質的な支配者となる。もともとは自身の権力欲から支配の頂点に立ったわけだが、「弱きを助け強きを挫く」性格があるのも事実で、ロッキーは次第に神格化されていく。
金鉱を支配して財を成したロッキーは、ムンバイから南端のケララ州に至るまでの西海岸一帯を自身の勢力下に置くことに成功する。
ちなみに、マフィアが牛耳っていた頃の金鉱は「古代の都市建設ですか?」というような劣悪な労働環境だったが、ロッキー支配以降は近代的な設備が整った工場団地のようになっている。ビジネスマンとしても優秀な男である。
しかし、そういった派手な行動が政府に目をつけられ、いろいろあって最終的に海軍の集中砲火を浴びて、金塊を乗せたフェリーと一緒にロッキーは海の底に沈むことになる。

最後は力尽きて雑な説明になってしまったが、実際の映画も政府が登場するあたりからスピーディーな展開になっていた。

↓Chapter 2 のトレーラー↓

再生回数1億回と、スケールが大きすぎる。

この予告編の最後に、幼いロッキーが母親に「I will fetch you the gold in the world(ぼくがママに世界中の金を取ってきてあげるよ)」というセリフがある。
ロッキーが金塊と共に海に沈むラストシーンでこの回想場面が流れるのだが、涙なくしては観られない。
思い出しただけでも、目頭が熱くなってくる。



この映画の特徴は何といっても、過剰な演出だと思う。
映画の3分の2が見せ場なのである。
展開の緩急がエグくて、「急急緩急急緩急急…」といった感じで常にドキドキしながら観ることになる。
誇張なしに、トレーラーを3時間観ている感覚だ。
表現の仕方としてはかなり画期的ではあると思うが、好き嫌いが分かれるところでもあると思う。

また、ロッキーのカリスマ性も凄まじい。
彼は常にキメ顔をしていて、泣いたり笑ったり表情を崩すシーンはあまりない。
口を開けば全てが格言のように聞こえる。
まさにロッキーを神格化している映画である。
カンナダ語映画の特徴なのか、ロッキーのキャラ設定の一環なのかは分からないが、この映画にダンスシーンはない。
音楽に合わせて少し体を揺らす程度のものはあるが、他のインド映画にみられようなダンスはないと言ってもいい。

映画の主題歌の一つ。
この映像にはダンスシーンがあるが、PV用に撮影されたもの。



最後に盛大なネタバレをする。

実はこの映画のストーリーは、入れ子構造になっている。
ロッキーの自伝を綴った老ジャーナリストが、テレビ番組でロッキーの生涯について語る、というところから物語が始まっている。
Chapter 2 の冒頭、語り部であるジャーナリストが病に倒れ、意識不明の状態となる。番組関係者が彼の書斎から残された原稿を探し回り、「K.G.F Chapter 2」と書かれた紙の束を発見する。そこから、第2作のストーリーが始まるような設定になっている。
そして、この映画のラストシーン、書斎に積まれた本の中から「K.G.F Chapter 3」と書かれた紙の束が発見されたシーンがアップで映されて映画が終わる。
すなわち、続編があるということが暗示されて映画が終わるのだが、この瞬間に劇場内の空気は最高潮に達し、観客は全員総立ちで拳を突き上げ、歓声を上げ、甲高い指笛が響き渡った。
それはすごい盛り上がりようだった。




というわけで、かなり長い記事になってしまったが、この映画は日本でも一部の映画館で自主上映されているようなので、ネタバレを見てしまった後でも興味があるという人は是非観てみてください。
観る麻薬です。

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