わたしと音楽、わたしと誰かの距離について|津村記久子『ミュージック・ブレス・ユー!』
主人公オケタニアザミは、とにかくがちゃがちゃした大阪の高校生である。
髪を赤く染め、派手な歯列矯正のゴムを装着し、パンクロックを愛している。
派手な見た目とは裏腹に日陰生活が長く、周りが当たり前にできていることが自分にはできない、だけど自分はそうでしか生きていけないという諦めみたいなものをうっすらと纏っていて、でかい身長と不器用さを持て余し、与えられた枠に収まるにはあまりにもでこぼこしている。そんな愛おしい主人公アザミの高校生活における身近な人々や、ブログ上で知り合った海外のペンパルのアニーとの関わりあいが描かれる。
タイトルにもあるように、アザミにとって音楽は息をすることと同じくらい必要で、将来について考えるよりもずっと大切なものである。
とあるように、不器用で周囲とうまく渡り合っていけないアザミにとって、音楽は自分と外の世界を繋ぐ唯一の綱であり、また、ヘッドホンで耳を塞いでいる間は外界から身を守り、音楽と自分だけの内側の世界に籠る精神的な繭でもある。
物語は、アザミがベースを担当しているガールズバンドで揉め事が起こるところからはじまる。かけがえのない音楽を媒介してもなお、なかなか人とうまく行かないという強烈な挫折体験からスタートするのだ。
だが、少しずつ、とても繊細に、アザミと音楽の距離感や関係性がが変化してゆく。それはそのまま、アザミの生活における他者との関係性の変化とも繋がっている。
これはアザミ自身の成長や音楽そのものの意義みたいなものだけを描いているものではなく、常に「AとBとの間にある距離」について、またそれらの繊細な変化について描かれた物語である印象が、読むたびに色濃く浮かび上がってくる。
アザミの生活には、さまざまな理不尽が降りかかる。それと同様に、アザミやその友人のチユキもまた、他者に対して理不尽な仕打ちをしでかす。
例えば、いかにもマチズモの権化といった風情の体育会男子生徒が、補講を受けなければならない立場であるにもかかわらず、同じく体育会の教師と口裏を合わせて補講をやすやすと免れていることをアザミは糾弾するが、暴力でねじ伏せられそうになる。
日常的にさりげなく繰り返される強き者から弱き者、持つ者から持たざる者への暴力や蔑み。アザミやチユキは、誰かが誰かに蔑ろにされるたび怒り、不器用な行動を起こす。
ある時はトイレの物置に閉じ込め、ある時はすれ違いざまにガムを髪の毛にくっつける。
それ自体は決して肯定できるものではないし、行動だけ切り取ると突飛で筋が通っておらず、本人たちでさえ自らの衝動の全容を理解できていない。
読者である我々はそれまでの出来事を追っているので、彼女らがただの荒くれ者というわけでなく、その動機の切実さもわかっているが、それにしても斜め上すぎて振り落とされそうになる。
だが、この主観に基づいた「前後と断絶された突飛さ」「切実な衝動」が、あまりにも音楽なのだ。
起こりうる物事が客観的に理路整然と説明できるわけがない。真実なんて1人の人間の内側にしかない。それがどれだけ不格好な形をしていても、無かったことにしてはいけないものを無かったことにしない強さが宿る音楽がこの世にはある。
アザミは弱い。弱いからこそ身近な弱い魂と出くわすたび、何をしたらいいかわからず、そばで佇み続ける。寄り添うより、もっと頼りなくて弱々しい態度であるが、そんな不器用な優しさが私は大好きだ。
同じ歯科に通う気のいいクラスメイトのモチヅキ、アザミと同じくらい変わっていて音楽に詳しいトノムラ、友人を亡くして消沈するアニー、最初はちょっと苦手と思っていたナツメさん、根気強く理解を示してくれる東京弁先生など、さまざまな人々との関わり合いを通じて、物語の終盤、アザミにとある変化が訪れる。
文章を読んでいて、こんなに爽やかな風が吹き込んでくることがあるのかと思う。
音楽の一部だったアザミから、アザミの一部である音楽に変化したのだと私は感じた。
10〜20代の頃、形は違えどほとんど依存といっていいくらいに音楽にしがみついて自分の輪郭を保とうと必死だった私にも、この文章は深く響いた。
最近、ようやくちょうどいい距離感で音楽や、それに付随する人間関係を楽しめるようになった。
今年、谷崎潤一郎記念館での講演で、津村さんが「何も持っていない人間の話を書き続ける。なぜなら自分が何も持っていないから。もっと何も持っていなかった10代の頃の自分が、今の自分が書いたものを見て怒ってこないか、ということを意識している。」というようなことをおっしゃっていた。私はアザミのことをずっと思っていた。
人前に出る時は必ずといっていいほどパンクやロックのバンドTシャツ(Descendents多め!)を着用して登場する津村記久子は最高に誠実で格好良くて、ずっと私のヒーローであるのだ。