【月報2023年2月】元公僕が地域おこし始めてみた件
トップ写真は、赤浜の高台から眺めた蓬莱島です。
晴れの日が多く、広い青空が良く見える最近の大槌です。
2月は、
【個性爆発、緊張した活動報告会】
【大槌の地域と学校を知る】
【福島県浜通りで気づく新たな震災伝承の視点】
【学びは震災・防災の枠を大きく超えて】
【フィクションで伝わる震災】
の内容でお送りします。
1.地域おこし協力隊活動報告会
2月15日(水)@おしゃっち
・当日の報告
私を含む5名の大槌町地域おこし協力隊員の活動報告会を開催しました。
メンバーみんな緊張しながらも、自分の思いを精一杯お伝えしました。
自分以外はまだ大槌に来て1年に満たない、また受入事業者も異なるバラバラなメンバーで活動報告会を行うのは、初めてだったので本当に意味のある場にできるかどうか不安でした。
それにも関わらず、ちおこ隊員を含まないで60名を越える多くの方々にご参加頂きました。
そしてほとんどの参加者の方からとても前向きな感想を頂くことができました。
これほどたくさんの方に応援していただけると知ることができる機会となり、本当に感謝しかないです。
そして、その皆様の応援に応えるという新たな目標ができました。
そして参加頂いた皆様を通じて私達を身近に感じて頂ける大槌の人が増えれば大変ありがたいです。
まだ私達は大槌に来て何かを成し遂げたわけでもありませんが、皆様ともに生きて行ければ幸いです。
・報告会の裏側
結果として、大勢の方々にご来場いただき、ちおこメンバーの思いを少しでも伝えることが出来ました。
ただ、そこまで出来たのは、多くの皆様のご協力があったからこそで、自分自身当日になるまでどれくらいの人に来ていただけるのか、うまく伝えることが出来るのか不安は尽きませんでした。
いままで、大槌町地域おこし協力隊の報告会は「ジビエ」「観光」「移住定住」と受入先ごとで行っているものばかりでした。
しかし、今回は、受入先、年齢も、年数も、性別も、仕事内容も、大槌に対する思いもバラバラで、共通する点が「大槌で生きている」しかないと感じるメンバーでした。
でも、だからこそ、各メンバーの個の部分を参加者の皆様にお伝えすることが出来て本当に良かったと思っています。
既存の「地域おこし協力隊」のステレオタイプ的なイメージを少しでも変えることが出来、いろんな人がいるんだということが伝われば幸いです。
・自分の報告
自分自身がこの報告会でお伝えした内容に、少し触れておきたいと思います。
他の隊員4名と比べて時間が長くなった理由についてご説明いたします。
①大槌に来てからの2年分の経緯を説明した
②大槌に来る前の経緯が長い
③内容を説明するのに時間がかかる
そして、知らないままの方が誤解をして中途半端に理解するよりマシである内容だと考えているので、なるべくお伝えできるようにお話ししました。
これからも人に「伝える」機会は多くあると思いますので、相手に合わせて自分の考えや聞いた話、事実を震災伝承に限らず伝えることがうまくできるようにしていきたいです。
当日お伝えした内容は、今までnoteに報告書として書いてきたことをまとめた物なので、ここではあえて書きませんが、これからも大槌のより多くの皆さんとお互いについて深く知るコミュニケーションをとることを続けて行きたいです。
2.大槌のコミュニティを知る
2月2日(木)@おしゃっち
先日、おしゃっちで開かれた町主催のコミュニティ協議会に参加してきました。
主に自治会や、地域活動に関わる団体の方々が参加し、現在の各自の取り組みや課題を共有・整理しました。
私は、小鎚川流域のチームに参加しました。
沿岸から少し離れた地域になるため、震災後に引っ越してきた人が多く、元々住んでいた人との交流が少ないということでした。
なので、いくつかの自治会で合同の行事などを行うなど新たな試みもなされてきたということでした。
また、取組みを聞く中で、地域や内容によって参加者層が偏っていて、女性が少ない、子供が少ない、男性が少ない、若者が少ないなどの声が上がりました。
逆に、内容次第では参加してくれる層はいるので、それらを家族や親子を通じて様々な層に広げることができるのではないかということでした。
また、震災やコロナの影響も含めて家庭の形や校区が変わったことも影響しているのではないかということでした。
例えば大槌学園は、大槌町の吉里吉里地区以外の広大なエリアの児童生徒が通っているため、学校全体のうちの各地域の割合が小さくなり、連携が取りづらいのではということでした。
学校のコミュニティスクールとしても、ふるさと科などで地域の人を呼んで来たとしても、児童生徒の地域と異なると聞いたので、そこでの接点も薄いのではないかと個人的に感じました。
逆に一学年10人程度と少ない吉里吉里学園の校区では、そこに関わる地域の人も児童生徒の顔見知りであることが多く、2つの校区の違いを感じました。
コロナ禍の影響もあり、地域の活動も伸び悩みつつある現状で、今まで自分もあまり関わって来なかったせいか知らない話をたくさん聞くことができました。
そして地域おこし協力隊という看板を背負っているにも関わらず、自分達の地域を大切にしたいという思いは他の参加者の方々にはまだまだ及ばないということを実感できました。
これからも自己研鑽に努め、より多くの大槌の方々のお役に立てるようになりたいです。
3.コミュニティスクールの可能性
2月14日(火)@大槌学園
大槌町教育委員会学務課主催の「みんなで知ろう、学ぼう、コミュニティスクール」という学習会に参加してきました。
大槌に来て、コミュニティスクールという言葉は聞くようになったのですが、あまりよく知らないところもあったのでそこを学びたいと思い参加しました。
・コミュニティスクールとは
最初に、なぜ、コミュニティースクールが必要かという話がありました。
「①一人一人が幸せに」「②将来の地域・社会を創る(次世代育成)」という子どもの未来のためには、つながりの中で育つことが大切ということでした。
そのつながりというのは、縦軸の時間が小中一貫で、横軸の空間がコミュニティスクールということで、学校と家庭と地域を繋ぐのは先生も含めた周りの大人の役割ということでした。
そのように社会総がかりで子供に関わるための新しい視点を持つことのできる持続可能な仕組みとしてコミュニティスクール(学校運営協議会)と地域学校協働活動の一体的推進が必要ということでした。
そしてこの後の話が非常に印象的な話でした。
・世の中の変化に応じた人を育てる
そこで出たたとえ話ですが、飛脚→伝書バト→携帯電話→スマホと世の中の情報伝達手段は時間の経過と共に変化し続けています。
そしてその先の2040年ごろにはどのような伝達手段が使われているのか?という問いがありました。
その問いに対して言えることが、2040年の情報伝達の方法は ①誰も知らない ②その装置を作るのは子供たちということでした。
教科書には答えが載っているわけではないですが、①学んだ事を総動員して、②みんなでで作る、そして1回では出来ないので③何度もトライアンドエラーを繰り返す。
その先に2040年に使われる情報伝達手段があるという話でした。
だからこそそういった人を生み出すための学びが必要ということでした。
確かに自分事として考えてみると、将来の大槌、岩手、日本、世界を担っているのは、今学校で学んでいる世代でしょうし、その世代が考えた制度や仕組み、技術の利益または不利益を被ることになると思います。
例えば、今学校で学んでいる世代が築き上げた社会が、自分自身を見捨てる可能性もありますし、戦いに行くことを強いる可能性もないとは言えません。
そう考えた時、次の世代を育てるということに、学校現場だけではなく、周囲の人々が関わることの重要性をよりリアルに感じることが出来ました。
・これからの時代に期待されること
これからの時代には実社会の課題を、多様な他者と協働して解決にむかうこと→学びに向かう力が期待されているとのことでした。
特に日本は、18歳の意識調査の結果が低く、その理由として学校で学んだ事が社会や人生に繋がらないからということでした。
そして、これからは社会と学びを繋ぐことが大切ということでした。
そのための学力の3要素は
見える学力:知識・技能
見えにくい学力:判断力
見えない学力:学びに向かう力・人間性等
ということでした。
自分自身、見えない学力まで今まで考えたことが無かったので、これからは自分自身でも意識していきたいと感じました。
そのために地域と連携・協働して出来ることは、経験や出会い、安心して失敗でき、そこから学べる機会ということでした。
また、その機会も大人が用意しすぎず、先回りしないからこそ、子どもたちにとって本物との出会いに繋がるとの事でした。
そして子供の本気をどう高められるかが問われており、「大人が満足して終わりになってはいけない」、「大人が失敗させたくない思いがこどもの学びに繋がらない」という指摘はこれからも子ども世代と関わる上では肝に銘じていきたいと思います。
そして、子ども達にそういった学びを提供するために社会に開かれた教育課程や、みんなで最善策を考えていくために学校運営協議会での熟議が大切ということでした。
・学校運営協議会について
そして、学校運営協議会は、学校の方針に対してOKではなくLet’sを出し、合意形成して軌道修正することが大切ということでした。
そのためには、あて職ではなく社会に開かれた教育課程の実現のためにみんなでやる意識を持ち、アクションを起こせ、チームになれる人が欠かせないということでした。
そしてチーム学校として、若い先生もプレゼンするなど、多彩な人の参画により、学校への地域の理解が深まるということでした。
そこでは子どもを主語に熟議する(多くの当事者による熟慮と協議を重ねる)ことが大切で、それがお互いの立場や役割を理解し、解決策が洗練され、誰もが納得して自分の役割を果たすことに繋がるとのことでした。
そういった場を持つことで、学校の役割が明確になりみんなで担えることで、なかなかできなかった「スクラップ」が出来、後ろ盾が出来、クレームが減る、いざという時、共に責任を持ち行動ができるなど学校の負担も減らしながら地域と一体となった①学校運営と②社会に開かれた教育課程の実現に繋がるとのことでした。
その結果、学校もまた地域が学校という場を核に「まちづくり」に関われるぬか床のような役割を果たしていけるということでした。
・まとめ
コミュニティスクールはなにも学校や子どもの為だけのものではなく、子どもの未来を考えて取り組んだことが、やがて町の未来のためになるということでした。
私自身も、大槌に住む大人の一人ということで、移住者で独身ですが、町の未来のために生きる地域おこし協力隊としても、コミュニティスクールが作る繋がりを自分ごととして行きたいと思いました。
4.大槌高校から知る
2月23日(日)@大槌町文化交流センター(おしゃっち)
大槌高校の探求的な学びの成果発表会を観に行ってきました。
午前中は別の用事が被ったので行けなかったのですが、第2部の「マイプロジェクト活動成果発表会」と第3部の「研究協議会(パネルディスカッション)」にを聴講しました。
・第2部 マイプロジェクト活動成果発表会
一人一人の活動内容には、分野・手法・クオリティも様々であり、自分らしさを表現できていると感じました。
発表内容は、高校生の割りにとか、高校生ならではとかいう偏りを一切抜きにして、自分には出来ないと思うことがたくさんありました。
それは自分が出来ないだけで他の人には出来る事かも知れません。
しかし、それを自分自身として表現できるということは素直に尊敬できました。
自分が見た中なのでごく一部に過ぎませんが、「コミュニケーション能力はどうやったら上がるのか?」というテーマで発表した生徒がいました。
なかなか人には相談できないこと、なかなか冷静に分析できないこと、そして大人だろうと同様の悩みを抱えているが容易には解決できないことに対して自分なりに考え、一歩を踏み出している姿勢には一人の人間として感銘を受けました。
また、その内容も個人として参考にしたいほどでした。
なので逆に高校生だけではなく、色々な人のマイプロジェクトというほどのものではなくても、地震の体験から学んだ事や取り組んだことを共有する機会があればそれは大槌町の人々にとっての貴重な財産にもなると感じました。
そして、地域おこし協力隊も、地域のためを目指しながら学び続ける立場である意味学びなおしの期間を頂いているからこそ、より身近に感じました。
・第3部 研究協議会(パネルディスカッション)
生徒や教師、外部の有識者を交えたパネルディスカッションでした。
【まず、文部科学省の職員の方からのお話がありました。】
主にこれからの学校ではどういった学びが必要かということでした。
これから、世界は変化し続け、日本は人口減少と共に産業が変化し、都市部地方部に関係なくより複雑で正解のない時代に突入していくとのことでした。
そんな中で、学習指導要領では、どのような職業や人生を選択するに関わらず答えのない課題に多様な他者と協働しながら納得解を見出す力が必要になるとのことでした。
そして、資質・能力の三つの柱である「知能・技能」「思考力・判断力・表現力等」そして、一番大切だが、学校だけでは身につかない「学びに向かう力・人間性等」を身につけるために、探求的に学ぶことが大切ということでした。
そのためには、地域社会に生徒が出て、様々なものを総動員して探求的に学ぶことが必要だということでした。
そして、それは大人にとっても必要で、生徒が学ぶと同時に学校を軸として地域も共に学ぶことが出来るということでした。
その話を聞いて、先日コミュニティスクールの話を聞いた時の内容と同じで、地域の関わり方の大切さと共に、そこで自分が出来る事は何かないか考えるきっかけになりました。
次は高校生から、自分の大槌(ハンマー)を見つけるために必要な機会についての話がありました。
【1人目の生徒は「帆を張る機会」と言いました。】
中学生時代は、やりたいこともなく学校行事に積極的に参加せず、好きなことも将来の夢もないまま高校生になり、そこからマイプロや生徒会活動など色々やる中でヒントをもらい、そこから自分について考えた時に自分が好きなもの、興味、出来るものがわかり、将来が見えるようになったとのことでした。
だから、自分の事について深く考える機会があり、そこで自分の将来の姿が見いだせたらいいと思ったそうです。
この話を聞いて自分では「高校デビュー」という単語が浮かび上がりました。
勉強もスポーツと言う目に見える力が評価されやすい時期から、目に見えない学力「学びに向かう力・人間性等」が身に付きつつあり、評価されるようになってきたのではと感じました。
そして先日あった大槌町地域おこし協力隊の活動報告会も、広い視野で見れば、そういう機会になると感じる人がいると思いました。
【2人目の生徒は「経験を食べる機会」と言いました。】
被災した後に復興する過程で、全国の人が来て出会い、コミュニケーションや話を聞く経験をするうちに、話すことが好きということと、知識の大切さに気付けたとのことでした。
こういった経験が無ければ、殻に閉じこもったままだったかもしれないし、中学生の時にふるさとCMを作る経験が外部の人に聞いたり、自分で考える自主性に繋がったとのことでした。
また、食べ物と同じで、見た目は食べにくいものでも食べてもたら美味しかったと思えるのと同じで、一回できたことが次もできるに繋がるとの事でした。
こういった話を聞いて、自分自身も流されるだけではなく、自分の意志で一歩を踏み出し続けてきたから今の自分があると思っているので、この気持ちを大切にしていきたいと思いました。
そして大槌高校の教員からは、目に見えない資質・能力はなかなか具現化しづらいので、本人が不安になるとのことでした。
だからこそ、個人的にはそういった目に見えない資質・能力が見えるようにする機会・場所・文化を作っていくことが、教育現場の外側の役割だと感じました。
そして、それは自分自身にも適用されることだとも思っています。
その一方で、予測不能な社会で生きるためには基礎学力も必要とのことでした。
また、このような発表の場はやったきりで終わらずにフィードバックなどが必要ということでした。
フィードバックとして様々な意見を聞くのは今後のためになりますし、また良いフィードバックを受けると自分のモチベーションに繋がると思います。
そして、個人的には良いフィードバックをもらうためには、自分も普段から他の人の良いフィードバックをしていくことが大切だと思っています。
なので、地域おこし協力隊の報告会に来た、様々な感想や意見をくださったみなさまにもお返しをしていきたいと思いました。
【その点については立命館宇治高校の先生もおっしゃっていました。】
自分の成長や資質・能力の高まりを感じるときは、フィードバックをもらったときや、振り返りをした時だということでした。
振り返りが知恵を生み、振り返りがスキル修得の前提となるので、力を身につけるだけではなく、つけた力を表現する場があることが大切で、その場があるからこそ、力を活かす未来がイメージできるとのことでした。
そしてこれは高校生だけに限らず、地域おこし協力隊も含め自分の力を未来のために活かしたいと考えている人たちに、その力を確実なものにしてもらうためにも、表現できる場(例:震災伝承ならば伝えて共に学べる場)を作ることが、自分の力を活かすことに加えて自分自身が関わっていきたいものだと思いました。
震災伝承の場を通じて、マイラーニングストーリーのように、これまでの自分の経験や想いを振り返ってそれを未来に活かす力に変えるお手伝いが出来ればと思います。
【そのあと、参加者同士で、「地域全体で高校生(自分の)の大槌(ハンマー)を育むために私たちに何ができるか?」という議論を行いました。】
立場によって様々な意見がありましたが、その中でも成長を強制させてはいけないという考えにすごく共感しました。
自分で大海への一歩を踏み出すのを何もせずに見守ることも、大人にできる事だと感じました。
そして大海を航る生徒に風を吹かせるのは大人の役割ということを強く実感する一方で、その風はいつか自分の帆にも吹くのではないかと思っています。
それが、お客様扱いではなく、本音でぶつかりたまにはダメ出しもする本当の意味での協働に繋がると思います。
・まとめ
報道で知る教育現場のことは、極端に良い事や極端に悪い事ばかりだと感じるので、今回は高校生の日常と頭の中をリアリティをもって知る機会となりました。
そして、こういった場で、大人の我々が新たな学びを体験できたのは、高校生が素晴らしいだけではなく、高校の先生や、運営のスタッフ、参加した人達も含め周りの人々が素晴らしかったからだと思います。
そしてそれは関わった人全てにとっても高校生と同じ学びと成長の機会になったのだと思います。
最近、震災に関する分野でも、地域おこし協力隊に関する分野でも教育や人を育てるという話をよく聞きます。
地域おこし協力隊の原点の一つである「めざす」関わりより「すごす」関わりが大切という概念も、幼児保育という教育的な分野から来ているので、人を育てるヒントは大人も子供も共通する部分があるのだと感じました。
地域のすぐ側に学校があるように、私たちのそばには教育はいつも関係していることを実感しました。
従来にように高校生に何かをさせるだけというのではなく、一緒にそれぞれの立場で共に学び合う場も地域おこし協力隊にも必要だと感じました。
そして高校生だからではなく、一人の人間として、大槌で共に生きていく仲間として、関わり続けていきたいと思います。
高校生のために、大槌の町の未来のために、そして自分自身のために。
5.富岡町で学ぶ
2月18日(土)@福島県富岡町
公益財団法人3.11メモリアルネットワーク主催の第5回東日本大震災伝承シンポジウムin富岡-福島から考える 伝承の未来-を聞きに行ってきました。
初の福島開催ということで、他の津波被災地での『震災伝承』の概念を越える考えを学ぶ機会となりました。
全ての内容をお伝えすると長くなるので、一番印象に残ったふたば未来学園の取組内容について書き記したいと思います。
震災伝承の枠を越えた福島の浜通りで学ぶ意味といったことについての内容でした。
・能動的市民の育成を目指して
ふたば未来学園 伝承と創造の学びと言うタイトルの話でした。
そして語り部とは 震災のことを語るのみならず未来のことを語る人材を育むことを目指しているとのことでした。
それ以外にも狭義の防災学習(災害時に命を守る行動がとれる)としてだけで来るのではなく、広義の防災教育(社会の脆弱性を解決できる 前もって持続的な社会を創れる人材を作る)事をふたば未来学園では目指しているとのことでした。
この話を聞いて、防災・防災教育・震災伝承といった既存の言葉をより広げて、より多くの人が自分に当てはまることだと考えられるプロセスが大事だと感じました。
そして、避難指示の地域で復興のプロセスが見えない地域において人類が経験したことがない超複合災害で復興の仕事が次世代にものしかかる現状とのことでした。
その現状において、大人が起こした社会の状況を乗り越えるために、価値観を見直して自分たちの作りたい社会を作り出す力を育てるイノベイター(変革者)を育てる育てたい人材像の上のさらに目指したい社会像があるとのことでした。
そして、社会の脆弱性を解決するための力とは、例えば表現発信力(突然指名されても自分の言葉で答えられる)など福島の現状を説明でき、世界中の多様な人々に腑に落ちるように伝え、共感を得る、人の心を動かせるなどの論理的な発信の先に情緒的な発信で心を動かせる力を育てていきたいとのことでした。
その話を聞いて、これからの時代を生きる世代に必要な力が必要と言われているが、それは今学生である人だけではなくもうすでに大人になってしまった世代も、若い世代の学びから影響を受け日々変化し続ける必要があると感じました。
具体的な内容についてです。
子ども達は、震災後に生まれていて、おぼろげな記憶があったとしても大人たちの苦しさや悲しさなどの感情を知らず、守られて避難し、周りのサポートを受けており、避難所の記憶が温かいと思う人もいるのが現状とのことでした。
そしてその裏で大人たちがどういう思いを抱えていたかを知るバスツアーで当時の課題を知りその後今の課題を取材後、演劇をすることで以下のことに繋がるとのことでした。
一つ目は、誰もが前を向いて良くしようと思っているが、立場や考えの違いでぶつかりすれ違う状況を演劇にすることで、分断・対立の構造を多面的に見ることで今世の中で生じている課題の構造を把握できることでした。
二つ目は、インタビューした人の前で、演じる為にその人の思いや背景を真剣に考えて向き合い、その人になりきって演じることで他人ごとではなく我がこととしてとらえることでした。
そして、課題をとらえた後課題解決に向けて、各自でプロジェクトに取り組み、調査だけで終わらず、課題解決の実践も行うとのことでした。
その具体的な事例として出たのが、生徒のアイデアで県外の高校生を案内する地域交換留学とのことでした。
このアイデアを考えた生徒は内陸出身で、もう復興は終わっていると思っていたがバスツアーで衝撃を受け他の人の無関心を無くすためにバスツアーを実施したとのことでした。
しかし福島のことを自分事として考えても 日常に戻ると忘れると感じそれでは足りないと思った先に、どこに行っても課題はあるので、自分の地域の課題を自分事としてとらえてもらい、行動し続けないと意味がないと考えたとのことです。
そこで地域交換留学のプロジェクトによって双葉郡を案内した後、ホストとゲストが入れ替わり、相手の地域の課題を案内してもらったそうです。
都市部でそこの住民は課題はないと思っていても、絶対何かがあるはずと思い、実際に訪れてみると課題の宝庫だと感じるとのことでした。
このように、被災地で防災や震災の経験を学ぶだけではなく先に行くことで各地域の脆弱性の解決につながる可能性が示唆されました。
ふたば未来学園の高校生の卒業時のアンケートでは、「学びを通して、自分が地域や社会にどうかかわっていくか見つかった」と回答した生徒が約9割で、日本の18歳の割合の倍程度とのことでした。
そして、多感な世代、学校に閉じこもって、受験勉強をやる以外でも社会に跳び出て、脆弱性と対峙し、そこに向かってチャレンジする先人大人と出会い、自分で何かをやってみて成功・失敗をすると絶対に自分の生き方を見出す力はふたば未来学園の生徒のみならず、全国の子供にその力があるとのことでした。
まとめとして。
若者にはアイデア、発想、行動を生み出す力があり、大人だけではなくそこに中高生という軸が加わることで、大人では思いつかない発想や立ち入れないタブーに立ち入って分断を越えて社会の脆弱性を解決する力があるとのことでした。
そして、伝承館などでも静かに鑑賞するのではなく、課題を巡って自由に討議がなされるべきで、教訓は固定的にどこかに静的なものとしてあって、受動的に子供たちが受け取るわけではなく、過去を学ぶだけだと子ども達は自分と関係ないと思い受動的になるので、自分の課題意識とつなげて、自分の未来やこれから生きていく社会や地域をつくっていく未来創造の活動の一環として取り込んで行ったときに、真に活きた教訓が主体性を帯びて立ち上がることが社会の脆弱性解決する人材の育成につながるとのことでした。
そういった意味では、伝承者の育成というより能動的市民の育成にまい進することが重要とのことでした。
これらの話を聞いた感想ですが、福島の浜通りという見えないからこそ、未曽有だからこそ、大人も分からないからこそ、試行錯誤出来ている現状から学び、未来の世代にそれを乗り越える力を付けてもらうための環境を作るということ。
これが個人的には、広義の防災・減災・震災伝承だと感じました。
そして、ただ単にふたば未来学園だけががすごいだけではなく、それを学ぶ環境、それにこたえられる人はどこの地域にもあると思いました。
そのための環境をりが作ることが出来れば、どこの地域でも人は育つと強く感じました。
・まとめ
災害の備えと言うものは起こる前にすることが大切であり、それは避難といった防災に限らず、復興やまちづくり、人づくりについてもそれ以前に作られたものが役に立つとのことでした。
そして、震災に関わる分野でにおいても次の担い手の育成が大切であり、それは次の災害への事前の備えでもあります。
そのためには、普段からの災害に限らない市民活動や脆弱性の解決を普段から自分事として考え行動できる能動的市民の育成こそが、この社会の脆弱性に対するレジリエンスを高めることに繋がると感じました。
また、特に印象に残った言葉ですが、「語り部は誰かのためではなく、自分のためになる」「語り部をすることは素敵なこと」「今の福島の人は幸せ」若い世代に向けて「あなたたちがいないと(震災伝承)が途切れて困るではない」といった言葉でした。
いわゆる語り部こうあるべきというイメージとは逆の発想が出てくるのも、従来の「震災」「防災」「伝承」「語り部」という枠組みから外れざるを得ない複雑な出来事を経験した地域だからこそだと感じました。
私自身もこの場で地域おこし協力隊として、とても必要な考え方を福島から、そして震災から学ぶことが出来ました。
これも広義の震災伝承・防災教育なのだと思います。
そして地震や津波に限らない様々な社会問題が人に大きな影響を与えてしまった福島だからこそ、震災伝承や語り部を越えた視野で物事を考えることができました。
だからこそ、東日本大震災の被災地では、震災や防災はもちろんですが、それに限らず、人・自然・社会・心といった人が生きるために必要な幅広い範囲のことが学ぶことが出来ると思っています。
仮に犠牲者を悼む気持ちと切り離して考えた時、災害今の社会の脆弱性をさらけ出すと同時に、それを乗り越える力を人々に育む機会だとも感じました。
災害による犠牲者は無いに越したことは無いですが、ゼロにするのは容易ではないですし、震災を経験していない身で言うのもおこがましい話ですが、震災で失った物、学んだもの、そこから目指すものの上に生き続けることが、人が生きるということなのかもしれません。
ふとそう感じました。
6.大熊町で「考える」
2月19日(日)@福島県大熊町
・「傾聴の場」だけではなく、「学びの場」としても
大熊未来塾塾長の木村紀夫さんに大熊町の期間困難区域内を案内してもらいながら、震災・原発事故を通じた社会問題について考えました。
そう感じたのはあくまでも自分の視点に過ぎないのですが、別の言葉で表したら、『福島第一原発のある大熊町で震災語り部の話を聞いた』と表現できるかもしれません。
ただ、その表現は個人的には本質をついていないと感じたので、別の表現を使いました。
震災を経験した話を聞くとき「傾聴」というイメージを持つ方もいらっしゃるかもしれませんが、自分は「学習」というイメージで参加しました。
ただ話し手の話の内容に耳を傾けて頷くだけではなく、なぜそう言うことが起こったのかを自分なりに考えながら聞こうと思ったからです。
当日は、木村さんに帰還困難区域内の原発や津波の爪痕の残る場所を案内して頂きながら、今までの経緯や、その町の出来事や想いを聞かせて頂きました。
その後、木村さんから問いかけがなされ、それについて自分の中で考えるからこそ、傾聴する以上の共感が生まれるのではないかと思いました。
自分自身は帰還困難区域を案内して頂くのは初めてではないので、聞いた話を別の分野・別の表現で活かせないかと考えながら話を聞いていました。
・本来は複雑な社会問題
全てを話すと長くなるので、そこで一番印象に残ったのは、以前木村さんが東京電力の社長から発せられた「電気をつくることは命を守ること」という発言に大変落胆したということでした。
この木村さんの思いを理解するには、今までの経緯を知る必要があるので、公益社団法人3.11メモリアルネットワーク » 木村 紀夫さん (311mn.org)をご覧ください。
ただ、そこで東電が悪い、原発が悪いというだけではなく「東電にそう言わせているのは、原発を再稼働させようとしているのは電気を使っている自分たちなのでは?」という木村さんの言葉を聞いて、思ったことがあります。
逆に今までの経緯を知らないと分からないと言ったのは、この「電気をつくることは命を守ること」という言葉は、東電の原発の被害を受けた人という目線を除外すると、電力会社の代表者として当たり前の言葉だと思うからです。
電力会社にとって、電力を供給することは最も大切な事であり、事故や災害による停電の際にはまさに、「電気をつくることは命を守ること」というの電力会社としての存在意義と役割を果たせるかが試される場面になります。
実際に2018年の大阪北部地震では、広いエリアが停電し、医療にも影響をきたし、関西電力は停電状況もうまく広報できず、住民からは停電に関する問合せが相次ぎました。
その時に人々から求められる電力会社の対応はまさに「電気をつくることは命を守ること」という姿勢だと思いました。
そして、そのためには原発を再稼働すること必要という意見に繋がるということになる部分もあるのだと思いました。
自分自身もうまく整理出来ないのですが、こういった複雑な社会問題は、一言でどれが正しいと言い切れることが出来ないと感じています。
そして、個人的には、東日本大震災で人々を苦しめた様々な出来事は、災害・地震・津波・原発に限った話ではないと思っています。
直接の自然現象そのもの以外にも、今まで見えなかっただけで災害によって顕在化した社会のひずみや、復興の過程で生じた新たな課題などもです。
そして、津波→逃げる、原発→停止という見えやすい答えを選ぶことが絶対的な正解のように感じてしまいがちな社会の風潮があると個人的には思っています。
しかし実際には、そう簡単に逃げる行動がとれるわけではない、停止さえすれば解決するとも限らないことなど考えることはたくさんあると思います。
そういった中で、見えやすい答えを絶対的な正解として選んでしまいがちな社会の風潮こそがそもそもの問題点なのかもしれません。
例えば、原発の停止も、原発設置と同じようなプロセスで進めば、結果として社会のためという大義名分のもと、個人の思いを踏みにじることが起こる可能性もあると思います。
現に、太陽光パネルを強行して設置していることも、やっていることは異なっても元となる考え方は同じだと感じることもあります。
そして、エネルギー問題解決のための原発の被害を受けた人と、太陽光パネルによる災害の被害を受けた人は同じだと個人的に感じています。
・地域おこし協力隊として
私たち地域おこし協力隊は、地域の為、震災復興のため、社会の為という一見正しく見える大義名分を持ちながら、知らず知らずのうちに、周りの人の思いを踏みにじっている可能性があるということを肝に銘じて行きたいです。
先ほども述べましたが、実際に人を苦しめている要素は自然現象としての災害だけではなく、復興過程も含めた震災全体であり、その原因は普段の社会に隠れているひずみにあると思っています。
その考えを理解するためには、一つの災害の被災地だけではなく、多様な被害の様相を様々な地域、人から学ぶことが大切だと感じました。
自然・災害・地域・社会・そして人を通じて広く物事を考え、そしてそれを自分のチカラとする、社会が犯した過ちの残る場所だからこそ、本当の意味で個人と社会を良くすることを学ぶことが出来る場所だと思いました。
7.気仙沼市で集まる
2月26日(日)@宮城県気仙沼市
気仙沼市で開かれた東北被災地語り部フォーラムを聴講してきました。
なぜ、参加したかと言うと、自分は狭義の「語り部」ではありませんが幅広く震災伝承等に関わっている人が何のために、どういった思いで、どういった方法で活動されているのかを多面的に学びたかったからです。
・超学際的
まず「グローカルな観点から見た語り部活動の意義と展望」という基調講演を聞きました。
ここで説明すると難しい話になってしまうので、簡単だけど印象に残った点をお伝えしたいと思います。
1つ目は、最初の前置きであった「超学際的」という言葉です。
今までも、「学際的」という言葉は様々な分野を横断している防災という分野ではよく聞きました。
さらに「超学際的」というのは、専門的分野の人だけではなく社会も関わるようになってきたということでした。
狭い範囲で見ていると順調に見えるが、その壁を取り除くとより良くできるということだったので、自分自身もそういう視点でこれからの仕事に関わっていきたいと思いました。
また、グローカル(glocal)とは、「global(地球規模の)」と「local(地域的な)」を合わせた造語で、地域性を考慮しながら地球規模の視点で考え、行動することを表した言葉です。
近年の技術の進歩で部屋にいながら、世界とつながれることによりグローバルは身近になっており、 言葉の壁がなくなり意識の問題になってきたとのことでした。
地域のローカルな出来事でも例えば地図を使いマルチスケールな見方をすることで、グローカルになるとのことでした。
個人的には最初から地球規模で考えると、話が大きくなる可能性があるので、まずは地域からそして地球規模を意識していきたいです。
これ以上は話が難しくなるので終わります。
・語り部を続ける環境
3名の震災伝承に関わる方を交えてのパネルディスカッションでした。
高校生のころ語り部を始めた方からは、若い語り部が進学就職などのライフイベントを迎えることで継続が困難になってしまい語りを辞めるということが起こってしまうが語り部という枠組みで決めると離れてしまうので新たな語り方を考える必要があるとのことでした。
自分が知る中で、発災時は学生で今語り部を継続している若い人も一旦は語り部活動をやっていない期間があったので、この活動を辞めるのではなく、いったん休むことが誰でもでき、誰でも始められるものになっていけばと思いました。
そしてこれから若者が産まれ続ける中で、次の若い語り部は自分の体験を持たない世代が語れるタイムリミットであり、あと6年で社会人が震災後生まれの世代となるため彼らのための環境を作ることが大切ということでした。
この言葉を聞いて、急ぎ過ぎてはいけないと思う一方で、急がないといけない人たちもいると痛感しました。
リアルに、震災発生後に生まれた人が子を産むという時代もすぐそばに迫っているという危機感を覚えました。
そした相互発信と相互学習(伝える立場だが同時に学ぶ・相互で考える)という言葉を用いて語り部であると同時に、語りだすことを支援する立場であるということに気づいたということでした。
役割が多様だからこそ自分のような直接当時現地にいなかったものにも出来る事はあると実感しました。
・学ぶことは楽しい
また、釜石東中学校の元教員の方からは、震災を伝える中で2点大切にしていることがあるとのことでした。
一つ目は学ぶことは楽しい事だということでした。
釜石の震災前の防災教育は子供たちにとって楽しいもので、防災と聞いて思い浮かぶ真剣なイメージだけではなく、子どもたちが学んで感じた時に表情が変わることが大切とのことでした。
そして子ども達が自由に学べ、感じられる場を作っているとのことでした。
個人的にも、災害や生きることはは厳しい面もあるが、そのために得られる学びは楽しく、楽しいからこそ身に付く力もたくさんあると思っていますので、いつまでも「厳しい時を乗り越えるために楽しくび」続けて行きたいと思いました。
・特技は何でも誰でも防災に繋がる
二つ目は特技は何でも誰でも防災について繋がるということでした。
理科実験だけではなく、畑が好きだと休耕地を耕すことによって地域の人とつながるなど、どれも災害時に役に立つということでした。
個人的にも同じように防災のために何かをすること以外にも、自分が得意な事、好きなことをすることで、災害時にも他の事にも役にたつんだということをもっと知ってもらいたいと思いました。
・被災した年齢が重要
リアスアーク美術館の館長からは、被災した年齢が重要だと確信を持っているという発言がありました。
当時学生や高齢者、働く世代によってどういった時間が流れたのか?ということでした。
そして、当時第一線で考える立場だったので、自分のやるべきことをやれた恵まれた世代だということでした。
そして若い・高齢だったら何もできず苦々しい思いをしたかもしれないので、動けるだけ幸せかもしれないということでした。
自分がそういった視点で考えることが無かったので、ふと考えてみると戦争の話って当時まだ若かった人の話しか聞いたことなかったので、実はすごく偏っているのではないかと感じました。
だからこそ、個人的には一人の体験を通じた震災の話を聞いて終わりではなく、様々な人の目を通して震災を知ることで、単純な自然災害としてではなく複雑な社会現象としての東日本大震災が浮かび上がってくるのではと感じました。
・伝える表現の変化
また、語る(ナレーション・ナラティブ)は一つの表現活動という視点で見れば、芸術(アート)の分野と全く同じ土俵ということでした。
アートも自分の価値観だけで表現し、共有の財産とされる事例は稀で人類が積み上げたものを糧とし、自分の経験を加えて次の世代に送っていく物なので、今は過去に流行ったスポ根アニメが放映されないように、純然とした自分の価値観や同じ型を繰り返すだけでは難しいとのことでした。
だからこそ、過去の価値観から今何を表現したらいいのかを考えていく必要があり、語り部の多面性多様性をもって持続・発展のためには表現の問題は避けられない問題とのことでした。
個人的にも表現の方法は様々なので、時代や人にあった表現の在り方を常に模索し続けることが大切だと感じました。
・オープンマインドの考え方
そして、まとめとして語り部という一つにくくるのではなくオープンマインドをもって、そういったやり方もあるんだという考え方が大切とのことでした。
自分自身も、自分の考え方や知れる範囲の物事が全て正しいとは思っていない一方ですべてが間違いとされるものでもないと思っているので、オープンマインドのスタンスで学びを広げていきたいと思いました。
・未来の語り部
語り部は語っている姿を自分が聞く見ることが出来ない。
録画すればいいものではなく、相手がいて初めて出来る表現だということでした。
そして、グローバルで聞いてくれる人が増えると自分自身を映してくれる鏡が増えるので表現の幅を増やして世界に発信することが重要とのことでした。
その一方で、若い語り部で横に他の地域で繋がろうとしており、縦の未来の世代に伝える議論と同時に同じ世代を横に広げる議論も進んできているとのことでした。
地理的な縛りと属人的なものを取り除く取組(ネット上で誰でも話せ、議論の対象としてもいい)のきっかけを今若い世代が作ろうとしているとのことでした。
その一方で、それが出来ないせだいだからこそ、地域に根差している人も逆に大切ということでした。
決して、若者だけでやるわけではなく、地域の根っこをつかみながら同時にクラウドの世界との中間を作ることが大切とのことでした。
個人的に、語り部は高齢者が多い、だから若者に注目が行くという構図が見られますが、先人の経験や人生があってこそできる物でもあり、それを未来を生きる世代に託すという意味からは全ての世代が関われるようになっていけたらと思いました。
そして、今は同じ地域での軸と、同じ世代での軸しかなく、自分はそこにまだ入っていないので、それを越える斜めの軸や面が出てくることを期待していきたいです。
・語る負い目・聞く立場の重要性
家族もアパートも無事だったので、語ることで誰かを傷つける不安や負い目があるということでした。
しかし、語ることで、自分の負い目が減る 自分の考えが固まってきたり役に立つと感じたり語ることで、自分も救われるということも感じるようになったそうです。
そして今後被災地に住むなら語る立場ではなく、聞く立場で語る人を増やしていきたいという思いを聞いて、個人的にも語るという一方の側ばかり注目するのではなく対話のキャッチボールの両方について考えていきたいと思いました。
・フィクションをリアルに伝える
人は、物語という人を引き付ける最強のツールをもって伝えることが出来る。
伝えていくためには魅力的な物語が作ってでも必要で、事実に固執しない必要があるとのことでした。
これだけを聞くと、おかしいと思うかもしれませんが、事実か事実でないかを判断することど不可能で、個人の経験は司法の場では通用せず、科学的根拠がないと事実じゃないとも言えないので、逆にフィクションと言ってしまったほうが楽とのことでした。
そして、フィクションだけどこういった人がいて、こういったことがあったということを魅力的に伝えることが大切とのことでした。
確かに、自分が知っている過去の戦争のことも大半はフィクションをもとにしたものですし、三国志演戯というフィクションを通じて、実在の人物や歴史を知り、時にはそれを自分の糧とすることが出来たと思います。
そして、話し手自身の体験の記憶も変化し、話す時も伝えやすく話を組み立てるわけなので、個人的には人が伝えるという行為は、物語性やフィクション性を孕んでいるものだと思いました。
また、語り部=経験者が事実を語るものとすると、明日にでも滅びる可能性があるので、未来につなぐためにはそうしていくことも必要とのことでした。
・絶対的な真実はつかめない
世界の人口を知っている人は誰もいないが、アバウトなところで全体像を把握しながらなんとかやっているので、誤りを気にすることは構わないがこだわり過ぎてはいけないとのことでした。
誤解を恐れずに言うと、個人的には津波の犠牲者数や被災者数などなど絶対に分からないものを事実だと言い切ってしまうことの方が、それにカウントされなかった人たちのことを想うと、良くないのではないか?と自問自答しました。
・津波から逃げる時の記憶がない
最後に13年目の語り部についての話を聞きました。
とある方は津波が到来した頃の記憶がなく、自分の事だが人から聞いた話をミックスして話しているとのことでした。
個人的には、それが事実と寸分の狂いもないかどうかにこだわるのではなく、そこの話が他の人から聞いても伝えないといけないくらい重要なことだから必要だと思いました。
・自分の命だけ助かろうと行動した
自分の命が危険にさらされているときに自分の命より大切な物があるのかという問いかけがありました。
おばあちゃんを置き去りにするときに見た眼の色を忘れられず、話まで時間がかかったという葛藤を語り部の中で話しているとのことでした。
この短い話だけでその時の様子や、葛藤の様子が自分の頭の中を駆け巡ったので、どう伝えるか?ということはどれだけ大切かを実感できました。
・語り部はプロのエンターテイナー
話を物語として伝える語り部は一段高いところで話すプロのエンターテイナーなので勉強も難しい言葉を覚えることも大切とのことでした。
個人的にも、身近な人ではなく初対面の多くの人に伝える役割を担う『語り部』の人は、経験も聞いた話も思いも前提として持っている方ばかりなので、それを目の前の相手に届ける力が大切だと思いました。
・まずは自分の周りの大切な人のために
最後に東北地方太平洋沖地震はまだ終わっていないという話がありました。
地震学のとある学説によると、東北地方太平洋沖地震の揺れはまだ収まっていないので、またいつ地震津波が襲ってきてもおかしくないということでした。
「震災は忘れる前にやってくる」ではなく「覚えているがもう来ないだろうと思っている時期に来るかも知れず、備えがあっても憂いがあるのが震災ということでした。
この学説の是非はともかく、自分でも知らないうちに、いつか遠くの未来の地震のための震災伝承活動を続けており、今すぐにでもという危機感は正直持ち合わせていなかったのかもしれません。
そう考えると個人的には、大槌で生きる自分と周りの人を守るために自分が頑張りたいと思いました。
それだけ大槌の周りの人が大切だと思うからです。
・まとめ
簡単にまとめると
●震災の経験についてですが、
「被災した年齢」によって感じ方も異なっていたり、人によっては「記憶がない」などもあり、「絶対的な真実はつかめない」という前提も一つの可能性として考えておいた方が良いと感じました。
●伝える方法については
「学ぶことは楽しい」「特技は何でも誰でも防災に繋がる」等の学びの手法や
「フィクションをリアルに伝える」といった表現の手法を駆使するといった意味では
語り部にはプロの「エンターテイナー」的な役割の存在もいてもいいのではと思いました。
●続ける環境を維持していくために
「超学際的」で「オープンマインドの考え方」を持つことで、
「語る負い目・聞く立場の重要性」も踏まえた
多様な意味での「未来の語り部」を通して、
「まずは自分の周りの大切な人のために」
過去の震災の経験から伝え続けることが出来るのではと思いました。
8.地域の防災を共に考える
2月23日(木祝)@大槌町桜木町
桜木町の住民向けの防災ボランティア研修に参加してきました。
防災・減災について基本的なことは理解しているつもりですが、日々変わり続ける防災を学びなおすため、そして自分が進行することはあっても参加者になることがあまり無かった防災カードゲームクロスロードを体験するために参加しました。
・防災の講座
主な内容は平常時と災害時における「自助」「共助」「公助」の重要性とそのために必要な活動についてです。
ちなみに内閣府によると
自然災害が起こった時に、その被害を少なくするために取る対応には、
「自助」・・・自分の身は自分で守ること
「共助」・・・地域や身近にいる人どうしが助け合うこと
「公助」・・・国や地方公共団体が行う救助・援助・支援
という考え方とのことでした。
内閣府の防災世論調査によると、「自然災害が起こった時に、被害を少なくするために「自助」、「共助」、「公助」のどれに重点をおくべきと考えていますか?」という問いに対して
令和4年9月の調査では
・「自助」に重点をおくべき 28.5%
・「共助」に重点をおくべき 19.7%
・「公助」に重点をおくべき 9.3%
・「自助」、「共助」、「公助」のバランスを取るべき 41.0%
と「自助」、「共助」、「公助」のバランスを取るべきと考えている人が多いということでした。
その話を聞いた時に個人的に思いました。
バランスって具体的にどういう状態の事なのか?と。
バランスが大切というのは考え方としてきれいなのかもしれないが、無難な答えとして終わってしまっているのか気になるところでした。
ちなみにこの問いは「自然災害が起こった時」ですが。「自然災害が起こる前の普段の状態」はどうかと問われたら、個人的には「公助」が大切だと思います。
なぜかと言うと、自然災害と隣り合わせだと人々が感じていないと考えられる現状で、そこから災害に備えるなどの方向性に導くのは公にしかできないと思うからです。
どこかで災害が発生した直後のように一時の流行や風潮にとらわれずに災害に備えるという状況を維持し続けるには、世代も人も変わり続ける中で公の果たす役割は大きいと考えています。
また、公助は公的機関が果たすものと考えられますが、個人的には限定的ななものではないと考えています。
公助に担い手にも自助力が必要ということです。
消防士や警察官、行政職員にも、災害発生時にまず自分の命を守ることが出来なければ、結果として人を救う公助の役割を果たすことが出来ません。
一般の行政職員は、ただの人なので組織の中でないと力は発揮できません。
だから行政職員は災害時の職場参集が義務付けられているのですが、自分が働いていた時も義務付けられているだけで、参集しやすくなるための公助的なサポートが出来ていませんでした。
なので、まずは行政職員自身に災害から被害を減らす為の自助力を高めるための研修を公助的に行ったことがあります。
それが結果的に、職員とその過程の災害からの被害を軽減し、行政機関としての災害発生時の公助力を高めることに繋がると考えたからです。
個人的には公助的なものは会社が従業員の安全確保するような義務的なもので、何も公的機関だけが担うものではないので、担い手だけで「自助」、「共助」、「公助」を分けてしまうのはいかがなものかと思う時もあります。
とにかく、災害時に公助は限界があるので、その時に自助力が発揮できるための普段からのサポートを公助が担うというイメージでいいのではないでしょうか?
・防災カードゲーム クロスロード
その後、クロスロードというカードゲームに参加しました。
そこから再確認できたことは
・全ての意見の価値は同等だということ(あくまでいち意見としては)
・その場で考えを巡らせるより、事前にそうならない対策を考えることが大切だということ
・条件に一言加えるだけで、選択が正反対になる可能性があること
でした。
この3つのことは、別に災害に限った話ではないということです。
例えば人に情報を伝える時に、何かが漏れていたり抜かれていたりするだけで、それを聞いた人の考えは180度変わるというのは体験した方も多いと思います。
参加者の中で自分だけが他は女性というグループで行いましたが、男女できれいに意見が分かれたのも参加していてびっくりしました。
特に練習問題の恋愛に関する問題では(笑)。
もし、防災に限らず、人を知ったり、時間つぶしにでもやってみたらこのクロスロードという手法は役に立つのだと思います。
一方で、このクロスロードというツールを過信しているのではと感じる時もあるので、防災の文脈で使う際は、やはり目指す具体的な行動に繋がることが大切だと思いました。
9.PRとノベルティづくり
2月2日(木)@釜石・大槌地域産業育成センター
デジタル技術の向上やものづくり意欲の醸成を目的として開催された「デジタル設備を活用したものづくり講座」を受講してきました。
主な内容は、PRのためのノベルティの製作体験でした。
そして実際にノベルティ制作に入る前にPRの内容についての話がありました。
・PRとは
個人的には、実際のノベルティ製作よりこの内容が重要だと感じています。
今まで自分は自己PRなどでPRという言葉をなんとなく使っていましたが、Public Pelation(公衆との関係)という意味で使っていたかと言われると微妙かもしれません。
そこでPRのキモとして重要だと感じたことは、一方的なアプローチではなく、双方の関係を構築維持するためのコミュニケーションであるということでした。
今までPRは、単に自分の良さだけを伝えるものだと誤解していましたが、認知度を高めることと、親和性を得るという後者の方にすごく納得がいきました。
ここで自分はこう理解しました。
PRのノベルティはそのものを活用することによって相手とコミュニケーションをとることにより、自分を伝えるだけではなく、相手を知ることにも繋がると。
そのためにはPRの目的やターゲットの明確化、手法の選定などを考えて効果的にすることが大切ということでした。
・ノベルティとは
ノベルティとは、対面だけだと記憶に残りないので初見のイメージをよくするために配るグッズの事です。
会社名やブランド名、ロゴ、キャラクターなどを印刷しているものが多くあります。
前職では、企業名入りのボールペンやカレンダー、クリアファイルなどもらった物を仕事でもよく使っていました。
そして、どんなノベルティが良いかというポイントとして、ノベルティーは使われないで終わることが多い、宣伝目的でロゴやデザインが目立つものは受け入れにくいなどがあげられます。
また、物も長く使われるほうがいいのかすぐ使い切るものの方が良いのか、デザインや、実用性、キャッチコピーの宣伝効果など検討事項は多岐にわたります。
また、よくできたノベルティには、ロゴが目立ちすぎるさりげない使われやすいデザインだったり、カラーでコンセプトが分かったり、使う中で目が付きやすい場所にロゴやキャッチコピーが書いてあるなど、無料で配布されているとはいえ大変工夫されたものも見られました。
実際に前職では、とある企業の卓上カレンダーがサイズ的にもデザイン的にも非常に使いやすく、ノベルティのリピーターになっていたこともありました。
そこで、今回はお試しに自分のノベルティを作ってみました。
・実際にノベルティを作ってみる
今回実際作ってみたのは、以下の種類のものになります。
シール
使い捨てカイロやプリットのりなどに貼ることが出来るレーザー加工機を使って、ペンやクリップ、コースター、名札などに刻印
Tシャツに自分が撮影した写真をオリジナルプリント
トートバッグにロゴをプリント
こういったように釜石・大槌地域産業育成センターにある機器を使えば、簡単なノベルティを作ることが出来るので、今後仕事で大槌の事や震災のことを伝える際などに、コミュニケーションツールとして、より相手の記憶に残ってもらうためにも活用していけたらと思っています。
実際に、自分が撮影した大槌の写真をはがきにしているので、必要に応じて作ったり、大槌の人の相談にも乗れるようになれたらと思います。
10.3Dプリンタに挑戦
スマホスタンドを設計
完成品はまだ手元にありません。
11.今月の大槌
安渡の大槌稲荷神社の節分祭で鬼の巡行があり、おしゃっちに見に行って来ました。
おしゃっちからの告知もあったので親子連れがたくさん集まっていました。
鬼の方も気合が入り、こども達を驚かしていました。
なので、子ども達は鬼の恐怖に本気で怖がり、悲鳴を上げながらも豆を真剣に鬼に向けて撒いていました。
正直僕でも怖いと思う鬼の仮面で、今夜夢に出ないことを願っています(笑)
そして、こども達にとっては夢に出てくるような恐怖体験かも知れませんが、親や周りの大人達にとってはその涙も、体験も大切な宝物だと思いました。
そのあとは大槌稲荷神社で豆まきが行われてました。
餅まきのような感じで、落花生や厄除け団子、茎わかめなどが撒かれて、中には豪華な景品の引換券がついているものもありました。
鬼は子供が怖がったり、逃げたりするのでやらない方が良いという意見もあるかもしれませんが、大人も子供も様々な人も集まれる地元の行事がこれからも続けばいいと思いました。
どの立場で言ってるのかと思われるかもしれませんが、こういった行事を続けるためにご尽力されている方々には本当に感謝しかありません。
12.おわりに
2月は、活動報告会で伝えることを考えながら、自分の考えを振り返り、様々な分野のことに学ぶ機会も多くありました。
今までに自分が出来たことが少しでもアップデートされたと思いますので、これからの仕事に大槌の皆様のために活かしていきたいと思います。
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