【月報2022年8月】元公僕が地域おこし始めてみた件
8月は、
【初の1万文字越え】
【防災と震災の教育のコーディネートとファシリテート】
【吉里吉里公民館の夏休み その2】
【震災の学びなおし】
【ちおこの学びなおし】
【プレゼンテーションと震災伝承】
の内容でお送りします。
1.防災教育コーディネーター養成塾
●3日目(防災教育関係者について知る)
8月6日(土)
これから学校で、震災伝承や防災を通じて子どもたちの生きる力を育む教育を進めていくために必要なことを学んだり、考えたりする講座の3回目です。
今回は、学校の管理職目線での防災教育についての講義と教職員や経験者の心理を理解するワークショップでした。
講義を聴く中で感じた点です。
メタ視点で観てみると、多分この講義などの内容の防災教育の具体的な内容を参考にするということが多いのではないかと感じました。
震災の話を聞く時も、怖いと思ったとか辛そうと思ったという印象を一番目に持ちがちですが、その裏にある伝えたいことを読み取ることが必要だと感じました。
だから震災を知るだけではなくそこを通して学び、活かすことを目指していけたらと思います。
ワークショップでは、教職員と経験者の方にインタビューしました。
その内容で特に印象的だった点が2つありました。
1つ目は、学校の主役である児童生徒とその一番近くにいる教員の立場に立つということが大切だということでした。
学校は様々な点で地域のハブとなる場所ですが、それは学校関係者が周囲に手を広げるだけではなく、そこをハブとして活かす地域の人々が学校の現状を知り、そこがより良くなるように合わせていくことが大切だと感じました。
だから自分ももっと学校の状況について知ってこれからの活動に活かして行かなければと思いました。
2つ目は、被災者と一言で括りがちですが、人によって体験や感情も大きく異なり、感情が揺れ動く時期も様々で、単純に年数が経過したから良くなるというものではないということでした。
要するに震災と一言で言っても立場や環境によって捉え方が人それぞれだと言うことを念頭に置かないとその人とは対話は難しいと感じました。
そのあと、現役コーディネーターの講話がありました。
特に印象に残った点は、現在では防災教育は大切とは言われてはいるものの、教育現場の感覚ではいつ起こるかわからない、ましてや起こらないかも知れない災害に対して時間を費やす必要性も優先順位も、学校を取り巻くほかの目の前の問題に対しては低いのが現状だと思います。
その現状を理解したうえで、防災にも震災伝承にも役立つ、ほかの困り事にも役立つことを防災教育で子供達の身につけさせることが必要で、災害を通した学びはそれを可能にできるということでした。
そのためには『防災』を従来の狭い範囲や災害のみではなく、生きるための力など幅開く解釈することが大切だと思います。
●4日目(ファシリテーションワークショップ)
8月7日(日)
今回の内容は、防災に限らず多くの人との対話を促すために大切な要素であるファシリテーションを学ぶワークショップでした。
そこで重要だと感じた点が2点ありました。
1つ目は、参加者が主役であるということです。
話のテーマが子どもだったり被災者だったりすることがあると思いますが、その場で一番大切なことは、その場に集まった参加者が主体的に対話に参加し、何かを生み出すことができる、そのためのサポート役がファシリテーターであり、参加者がお互いに話しやすく聴きやすい状況を作るということが一番の役割ということを再認識しました。
2つ目は、事前の場作りからファシリテーションは始まっているということです。
ワークショップを上手く進めるためには参加層やグループ分け、テーブルの配置など事前にしなければいけないことがたくさんありそこも含めてのファシリテーションなので、当日のその部分だけをお願いしますというわけにはいかず、ワークショップの場作りに一から関わる必要があると感じました。
それらを踏まえて、行政が実施するワークショップはこれら2点が容易ではなかったりする点が課題だと思います。
例えば、対行政のみの構図になったり、参加者が主役になれなかったり、そもそも結果ありきの場であるため、新たなものを生み出すための場にはなっていないなどがあると思いますが、そう言った旧来のワークショップのイメージに捉われず、話し合える場は今後様々な場面で必要になってくると思いました。
2.吉里吉里公民館の夏休み その2
吉里吉里公民館の『地域で育てる夏休み』事業の後半の8月分についてです。
ただ、残念なことに、残り5回のうち、3回は新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止になってしまいました。
奇しくも中止になった1回目が僕が講師を行う防災教室で、災害について考えながら、子ども達同士で教え合ったり、吉里吉里の町について学びあったり、自分の大切な人や頼りになる人達について考えてもらおうと思っていましたが残念ながら実施に至りませんでした。
願わくば今後どこかで実施できる機会があれば子ども達のためにもなるのではと思います。
②森林教室(特定非営利活動法人吉里吉里国)
8月1日(月)
薪割り体験と木工教室が、行われました。
薪割りは小学1年生でも一人で割ることができるようになりました。
木工教室では岩手県内産の木材を使って造るキットで、釘打ちで作る本棚かボンドで接着するペン立て、他には木片を組み合わせて自分の好きなものを造りました。
またそれらの木工製品に自分の好きな絵を書くことができ、みんなオリジナルの木工製品を造っていました。
僕も写真撮影をしながら子供達の本棚の釘打ちの手伝いなどをしましたが、自分の不器用さを改めて思い知らされました。
①キャンプの雰囲気体験(元ボーイスカウト隊員)
8月2日(火)
吉里吉里フィッシャリーナでキャンプの体験教室でした。
元ボーイスカウト隊員の指導の元、テント張りの体験、火起こしで麻ヒモを焼き切るゲーム、モルック、焼きマシュマロなど盛りだくさんでした。
最後にみんなでカレーライスを食べました。
なかなか盛りだくさんの内容でしたが、モルックの手伝いをしていると腰に負担が来る年齢を感じさせられました(笑)
8月分は2日しか開催できませんでしたが、少しでも子ども達の地域での思い出になればと思います。
余談ですが、夏休みの行事が中止になると言えば、僕が小学校4年生の夏はO157という大腸菌が大阪で流行ったせいで夏休みのキャンプとプールが軒並み無くなり、次の夏から塾の夏期講習三昧となったので、充分に夏休みの思い出を作れなかった過去があります。
大人になっても当時のことを思い出すので、今の子ども達にはそういう思いをして欲しくないようになれば良いと思いました。
3.『ちおこ』として新たな気持ちで
トップ画像のようにひよこの気分になってみました。
8月9日(火)、新たな『ちおこ』5名の委嘱状交付式が行われました。
自分の後輩がたくさん増えた一方で、1期として自分の活動やこれからのことを考えたり、少しでも先輩感を出していかないといけないと思いました(笑)
『ちおこ』として1年以上が経ちましたが、自分の今までを振り返り、これからを考えるために、総務省開催の初任者研修をオンラインの動画で観てみました。
よく研修報告でありがちな、研修受けましただけでは伝わらないと思うので、内容について簡単に要点をお伝えできればと思いました。
改めて振り返ると、活動するにあたって、地域の外部支援者の役割として大切なマインドのような要素がいくつか見つかりました。
●『ちおこ』の原点
その前に『ちおこ』の制度が出来た原点を振り返ってみたいと思います。
最近耳にすることもある関係人口という言葉の原点は、震災復興から始まっているそうです。
2004年に新潟県で起こった中越地震で、人口減少の時計の針が20年早まる中、落ち込んでいた住民の方々が外から来たボランティアと触れて元気になり、そこからさらにボランティアが気に入った地域に足繁く通うようになったということが持続的なものとして制度になったものが地域復興支援員です。
その中で、外部人材を活用した地域住民の主体形勢プロセスの事例から地域おこし協力隊『ちおこ』制度が生まれました。
①エンパワーメントという考え方
エンパワーメントという言葉は看護福祉や村落開発などでで主に使われる言葉だそうですが、支援の考え方を表した言葉です。
地域おこし協力隊は、地域の人々を支援する役割を持っていると理解されていますが、「支援」という言葉は多様だと思われます。
「支援」という言葉は一般的には「足りないものを補う」「ダメなものを改善する」と捉えがちです。
もちろんその支援も重要ですが、『ちおこ』で重要なのはエンパワーメント(力を引き出す支援)の考え方と言われています。
ちなみにエンパワーメントとは、元々人や地域に力が備わっていることを前提にしながら、発揮できない環境にない、あるいは力を持っていることを知らない状況を改善することです。
例えば、外部から来た人や若い人などに触れ、その地域の人には大したことがないが、そういった人たちには新鮮に感じられる食べ物芸能などを披露することで、震災などでいったんは落ち込んだ自信などが自ら回復していったというようなことです。
なので、自分が大槌に出来ることは、自分がやりたいことをやるのではなく大槌の人が望めるように、また望んだことが出来るように、またはしなくても済むように自分に出来ることをすることだと思っています。
他にも世界では災害後の過剰な支援で、被災した地域の人の生きる力を失わせてしまったり、安価や無償で提供される外部からの支援によって地域の産業が失われてしまうケースもみられています。
それらは結果として当事者のためになっていないので、その地域の人のために何が必要なのかを知る努力は欠かせないと思っています。
自分の仕事はサービス業の面もある一方で、教育の一面もあります。その際に1~10まで、代わりにやるのではなく、その人に出来るところを少しでも見守りながら、自力で出来るように促すといったことを大切にしています。(これを歪んだ解釈をすると放置プレイと揶揄されます(笑))
②「めざす」関わりより「すごす」関わりが大切
これは保育の臨床コミュニケーション論で提起された概念ですが、これは震災復興で特別に技術もない大学生のボランティアが地域に関わることで住民が元気になったという事例から来ています。
幼児保育の現場では、子ども達に何かを「できる―できない」ことをめぐる傷付きがあり、そこで成長する中で、目指したように行かず、届かないことが目に見えるようになります。
それでも、めあてに向かって「めざす」ことを求められると、次第に充実感や達成感よりも緊張感、失敗への不安、出来ないことや変わらないことからくる無力感が大きくなるということです。
その一方では「変わらなくてよい」「このままでよい」というメッセージを含んだ「すごす」生活態度が形成されていることが大切と言われています。
なぜかというと、変わっていくことを「めざす」関わりには、相手に良い状態への変化を求めている時点で、同時に対象の現在の否定を含んでいるということです。
より良い状態を目指すということは、現在の状態のなんらかの欠如を暗黙のうちに示しており、このまなざしに当事者が気付いた時に「めざす」関わりで自己を否定的に捉えてしまい、その結果うまくいかなくなるということです。
このような子どもへの願いや期待を込めた大人の関わりが期待に反する結果を生んでしまうことは、災害復興(地域づくり)の支援においても共通するものがあります。
そしてこの考え方は、途上国への支援や、引きこもり、生活保護、依存症など、対象がすでに無力感を抱えているときには、より良い状態を目指し、現在を否定する「めざす」関わりではなく、現在を肯定し「変わらなくてよい」「すごす」関わりをすることで、主体性が回復し、改めてより良い状態を「めざす」ことができるのだと思います。
なので、この関わり方次第では、支援をすればするほど現状が悪化し、相手が主体性を失っていく可能性もあるということです。
災害の影響や人口減少で、復興過程にあった大槌町の今は、すでに「めざし」続けてきた状態であり、さらにこれからも「めざす」ことを続けて行くのは、大変なことだと思います。
だからこそ、自分が来た時の大槌でも十分良いところはあって、それをわざわざ課題解決だの地方創生だの、一方的な価値観で「めざす」ことを強いるような空気は良くないと感じてしまいます。
以前、被災地で働いていた時に、外部から来た専門家に一方的にあれもこれも良くないと一方的に言われて、良くするためとはいえ、なぜこんなことを言われないといけないのかと感じたことも過去にありました。
例えが変かもしれませんが、男女が付き合った後に、それまでも好きだった相手を自分好みの人に変えようとする人みたいだと思いました。
だから自分がこうしたいよりも、相手がどうしたいかに自分が伴走し続けることを大切にしていきたいです。
そのためには、大槌を良くしたいのではなく、今の大槌が好きになれるようになりたいと思います。
例えば、大槌は違うと自分が感じたことでも、それはあくまでも自分の価値観との違いに過ぎないので、もっと大槌の町や人のことを知りたいと思いました。
そして、休みの日には地域活動と呼ばれるものだけではなく、大槌の普通の友達と普通に遊びに行ったりして過ごしたいと思います。
③「足し算」の支援と「掛け算」の支援
「地域づくり」で外部の支援者の力を借りる時に大事なのは住民が自らで動くことが欠かせないということでした。
住民の主体性が満ち溢れてるとは限らない場合に大切な内容となります。
そこで地域づくりには段階があり、第一段階は住民の主体性を引き出す段階、第二段階は、住民の主体性を確認した後で、具体的な地域づくりの様々な活動をするということです。
そこで地域力がない地域を「-2」と考えると「掛け算」の支援(事業導入型支援)をやると「-2」×「2」で「-4」となるという考え方です。
この「掛け算」の支援というのは、補助金が付くからと、よそで成功した事例を物真似する事業導入型支援の事です
これがなぜうまくいかないかと言うと、その土地の文化、歴史、自然や住民も違い、住民がその気になっていない状況で事業を導入してもうまくいかないので、地域力がない地域には「掛け算」の支援をしてはいけないということでした。
「-2」から地道に「0.5」ずつ地道に「足し算」の支援をすることで「+0.5」になった時に「掛け算」の支援をすれば良いということでした。
では「足し算」の支援はなにかと言うと
0 住民の不安や悩みに寄り添う(協力隊のスタンス)
課題を解決する必要はなく、住民の共に考え行動し、暮らしに関心を持つこと(外からの無関心が意欲を無くすから)
1 外部とのつながり
その土地では当たり前だが、地域の良さに気づくきっかけになる
(自分の良さは自分ではなく、人から言われて気づく)
2 小さな成功体験の積み重ね
何気ない日常だが、自分の行いに喜んでもらえたなどの積み重ねで人が前向きになっていく(リーダーではない普通の人が地域づくりに関わるきっかけ)
3 共通体験
地元の人と「ちおこ」の人が一緒に食べる、飲む、笑う、泣く、汗をかくなどの共通体験の積み重ねが、言葉では伝わらない考え方がお互いに理解できるようになると共通認識を持つことが出来るようになる
これら3つの「足し算」の支援を続けることは、時間がかかることなので、その地域の現状によって「ちおこ」の関わり方やかかる時間も異なるということです。
なので、いきなりイベントの参加人数や売り上げなどは野暮な話となる場合もあるということです。
「エンパワーメント」「過ごす関わり」をベースに「足し算」の支援をする中で住民と「ちおこ」の関係性をつくる「住民の信頼貯金」を獲得するプロセスによって、その後の移住定住に大きな影響が出ると言われています。
まとめ
これら3つの内容は、地域おこし協力隊になってからではなく、大学院や防災減災復興に関する過去の研修で学んできた内容だったので、今までもその姿勢は意識していたからこそ、これからも続けることが大切と感じている内容です。
要するにこれらのことは全て災害から学んだことです。
だからこうやって他の分野でも活かせることを考えると、災害を通した学びは大切だと感じました。
また、こうやって専門的に学ぶ前から、そのような理解をすることになったきっかけがありました。
かつて被災した自治体で応援職員として働いていた時、全国から応援に来る職員が意識高く復興に取り組んでいたのに比べて、青年海外協力隊帰りの応援職員の人たちは、テンションというか意識が異なっている気がしていました。
その人たちは、多分ここで述べたような考えを持っていて、そういうつもりで被災地で過ごしていたのだと思い、復興を目指す勢いのある外部支援者たちと比べて自然体のように感じたのを覚えています。
だからその時感じた違和感を自分がこれから関わる人のために活かすことが大切だと思いました。
これらの考え方は、国際協力や被災地支援、福祉など、どちらかと言うと弱者の支援に使われる考え方なので、上から目線の考えに見えてしまいがちですが、決してそうではなく、相手の立場に立って、それを尊重して、相手だけではなく共に良くし合うといった意味なので、誤解がなければ幸いです。
だから、その姿勢で大槌の町で、大槌の町の人から学べることはたくさんあり、その一方で自分自身の力で支えること、出来ることを続けて行きたいと思います。
大槌で自分が何かを大槌の人達のためにする前に、すでに自分は大槌の人達からは何かをしてもらっているのですから。
なぜ、こんな内容をわざわざ書いたかと言うと、地域おこし協力隊がどういう姿勢で大槌の町にいるのかを少しでも周りの人に知ってもらい、もし活動がその姿勢に合わないと感じるならば、周りの人から僕の姿勢を正してほしいと考えているからです。
地域おこしは、地域おこし協力隊だけではなく、町の人と一緒になって共に進めていくものだとと思っていますので、立場をお互い少しでも理解することが出来ればと思います。
特に震災伝承というものは町の出来事や人について知らないと、いくら災害の知識やノウハウがあってもできないと思っているので、自分自身はまだ自分のスキルを活かす段階になっていないのを遅く感じる人もいるかも知れませんが、大槌の時の流れとともに待っていただけると幸いです。
そして、これらのことも過去の震災を通して分かったことなので、これらを活かすこともまた、震災伝承のひとつの形なのではと思います。
4.「3.11学びなおし塾」を聴講して
みやぎ東日本大震災津波伝承館の特別企画である『3.11学びなおし塾』を8月7日(日)にYouTubeで視聴しました。
東日本大震災発災から11年以上経ちますが、まだ終わってない、これから分かることもたくさんあると思ったからです。
第1回は以下のリンク先で見ることができます。
細かい内容はともかく、専門的でないところで大切だと思ったところが2点あります。
①東日本大震災は「自然現象+様々な出来事」
1つ目は、東日本大震災とは地震という自然現象だけではなく、それによって起きた出来事も含んだ言葉だということです。
なので、東日本大震災は終わったのではなく、2011年3月11日から今まで続いているもので、津波発生時のみを言うのではなく、緊急対応期、応急対応期、復旧・復興対応期やその先も続いていると考えられます。
なので言い方としては、「震災から11年」と言うのではなく「震災発生から11年」と言うのが正しく、かつて震災復興過程に釜石で働いていた身でもあるので津波経験者(何をもって経験と呼ぶのかは分からないが)でも被災者でもないが全く震災の影響を受けなかった人間ではないと感じました。
そう言う点では、津波の経験の有無に関わらず多くの人が東日本大震災の当事者だと思っています。
②東日本大震災はまだ続いている
2つ目は、1つ目と関係もあるのですが、震災はまだ続いていると言うことは、震災についての新たな発見や学びはこれからも出てくるという事です。
災害の教訓と言うと発災時や初動対応のイメージが強いですが、復興や災害伝承についても新たに学ぶこともたくさんあります。
例えば同じ東日本大震災の被災地でも、同じタイミングで復興過程が進んでいるわけではないので、後発の地域は先発の事例から良いところも悪いところも学ぶことができると思います。
要するに東日本大震災の教訓を次に活かすだけではなく、東日本大震災の中でも活かし続けていけることがあるということです。
後発の福島では、岩手や宮城から学ぶこともありますし、そこから逆もまた然りだと思います。
また、震災伝承の過程でも実際に行動につながらなかったという点を踏まえて、また災害の種類や受けた人の影響を踏まえて日々変化していくものなのかも知れません。
5.プレゼンテーション研修
8月29日(月)、『ちおこ』向けにプレゼンテーション研修開催されたので、受講しました。
事前にプレゼン資料を作成し、その内容について発表し、講師からフィードバックを受けた後、その場で修正し、再度発表するという流れでした。
プレゼンする内容は、「自己紹介」か「企画提案」でしたが、目的がかっちり決まっている「企画提案」より、ふらふら変化し、自分でもわかっていない部分もある自分を整理するためにも「自己紹介」を選びました。
特に印象に残ったことが数点あります。
①まず相手を知る
1つ目ですが、プレゼンと言うと、パワーポイントの資料作りに目が行きがちですが、それを作りためにまず自分の中で下書きの絵が描けていることが大切だということです。
その中でも相手や目的によって内容も大きく変わるので、まずは何より先にそこを決めることが大切だと思いました。そこが明確になっているからこそ、その目的や相手に応じた見せ方や話の順序や深度など今回の研修で学んだテクニカルな面が活かせると思います。
だからこそ、プレゼンテーションの前にまずはその相手をよく知るということを大切にしていきたいと感じました。
②話し方の重要性
2つ目ですが、プレゼンテーションで大切なことは、スライドだけではなく、話し方も重要だということです。
しかし、その一方で自分がうまく話せるためには、話しやすいスライドを作ることも大切になってい来るので、その事前の準備として、相手が分かりやすいように、聞き手の気持ちや立場になって考えることが大切だと思いました。
③伝えるという点は震災伝承も同じ
3つ目ですが、相手の立場になって考えるというとで、自分自身のメインの仕事である震災伝承とも同じだと感じました。
個人的には、震災伝承は震災からの自分の経験や学びを大切な相手に伝える、贈るというものだと考えているので、プレゼンテーションの語源であるプレゼントと同じような意味だと感じました。
特別なプレゼンテーションの機会に限らず、一方的に発信するのではなく、相手に伝え、行動に繋がることを日頃から意識していきたいと思いました。
6.ちおこの休日
宮城県名取市に出かけたり、
安渡地区の郷土料理「つけ木まんじゅう」を頂いたり、
8月7日に食べる風習のある「あずきばっとう」を頂いたり、
浪板海岸でシュラスコを食べたり、
釜石の花火を観に行ったり、
山田町の花火を観に行ったり、
釜石でシカに威嚇されたりして過ごしました。
7.今月の大槌
いつものゆるふわな感じではなく、ビビッドな大槌の写真です。
8.終わりに
8月も、様々な学びの機会があったので、それらや今まで自分が学んできたことをこれからの学校などでの震災伝承に活かしていきたいと考えています。
「ちおこ」や「震災伝承」、「大槌での暮らし方」で考えることも多く、報告書に書くことがたくさん出た結果、今まで最も多い1万文字を越える報告書になりました。
最後まで読んでいただいた皆様、長らくお付き合いいただきありがとうございました。
みなさまのご協力をよろしくお願いします。