恋は二律背反
私たちは他者の期待を満たすために生きているのではない。
これはアドラー心理学の教えである。
自分の行動で他者がどう思うかは他人の課題だから私は介入できないし、してはいけない。
結局私が考えるべきは自分の課題についてだ。
20歳の頃にアドラーと出会ってからはずっとそうあろうと生きてきた。
しかし、私は恋をした。
あの子の気持ちが知りたい。
どう思われているか気になる。
良く思われたい。
どうだろうか。何ともおかしな話である。
他者の期待を満たすために生きないと誓いながらも、一方で他者の期待を見たそうとする自分がいる。
なんというジレンマ。
これが恋の引力か。
例えば、仮に私が好意を寄せる相手にプレゼントを贈るとする。
もちろん喜んで貰いたい。この時点で既に他者の期待を満たそうとしていることが分かる。
プレゼントを贈られ、相手がどう感じるかは相手の課題だ。私に出来ることは、私の感情と向き合うことだけなのだろうか?
そう考えることもしばしばあった。
最近思うことがある。例え誰かの為にであっても、私がそうしたいと思い、私の健全なる意志で行う行動であれば、相手がどう感じても関係ないのではないかと。
相手の幸福を願い、行う献身こそ恋愛の本義なのかもしれない。
そう思いながら、明日も誰かの幸せを願えたらいいな。
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